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裸の私。

この頃、空を見ながら思う。
一度でいいから、違う自分になってみたいなと。

違う自分・・・それは明るくて気兼ねなく、誰とも話が出来る人。私はそういう人に憧れる。そんな人は、毎日が楽しいんだろうなと思う。ストレスなんて、すぐに吹き飛ばしちゃうんだろうなと思う。もちろん、見えないところでは、誰でも苦労はあるのだろうけど、明るい人はいつだって、私は幸せそうに見える。

私みたいな・・・自信がなくて喋れなくて、常に他人を気にしては、傷ついたり、すぐにあきらめたり・・・いつからこんなになってしまった?わかってる。たぶんきっと、幼い頃からずっと。

こんな性格は息苦しい。
(書いていて涙目になってきた。)

でも、こんな性格って、ドラマや小説じゃ、結構、主人公役が不思議と多い。ぐずで、のろまで、気が弱くて、すぐに泣いて・・・でも、そんな人が次第に人間的に成長して、最後には、トラブルを解決するほどの人助けをしたり、実はものすごい能力を持っていたりするなどなど・・・

そのギャップがいいのだろうか?

でも、そんなこと、
現実にはありえないって。

こんな私だから言える。

いわゆる鬱な人たちは、いつまでたってもひとりきりで暗いままで・・・だからこそ、そこに劇的なドラマは生まれない。学校のクラスの中に絶対にひとりはいた。こんな暗い人間は大人になって、みんなどうやって暮らしてるんだろう?

そんなことを、ふと、思ってみたりする。

最近、私はあらためて
自分のことを思ってしまった。

あぁ、もっと、しっかりしないとなぁ。

誰も私に話しかけない。せいぜい、挨拶程度。当たり前か。私からあまり話しかけないんだから、当然と言えば当然だけど、私が話したくないんだから、これはもうしょうがない。

じゃぁ、なんで話したくないんだろう?
大人の目で、私自身をちょっと見つめ返してみる。

「傷つきたくないから」
やはり、このひと言に尽きるのか?

おいおい、中学生の坊やじゃあるまいし、何を言ってんだ?私は?と思わず突っ込みたくなる。でも、他人と話していると、私は大概、傷ついてしまう。「あぁ、言わなきゃよかった」といつも後悔してしまう。

そうしてあまり話さないものだから、仕事上で、どうしても話さなきゃならない場面でも、ちゃんとした言葉を見つけられなくて、しどろもどろになってしまう。相手は私の言葉の意味が理解できず、困ったような迷惑そうな顔をして、”もういいよ”みたいな空気になる。

そうしてまた、私は話さなきゃよかった心から後悔してる。

まったくの悪循環だ。

昔、職場にこんな人がいた。精神的な病気の為なのか、彼は言葉を話しても、その意味が私にはわからなくて、まるで会話の自然な流れに乗り切れずに、ただ、乱してしまうような人。

私はその人のことを”あぁ、かわいそうな人なんだなぁ”とただ、同情するだけで、たまに話す機会があっても真剣に聞くこともなく、適当に相槌を打つだけだった。

でも、私は最近になって、気づき始めたのだ。

”もしかして、私がかわいそうだと思った彼と今の私は、実は同じなんじゃないか?”と。誰もが私の話す言葉は、どこかずれて、相手は理解できていないのではないかと。これはとてもショックだった。

そう思ったとき、いや、気づいたとき、自分の足元の床がバラバラと崩れて行くような気がした。ずっとどこかで、他人が変だと、他人のせいにしている自分がいて、でも、本当は私のほうが変だったなんて。まるで事実を知ってしまった裸の王様のような気分だ。

あぁ、どうしよう。思い過ごしかもしれないけれど、考えすぎだとは思うけれども、案外、それに近いものが私にあるのではないかと思う。

これに気づいたことはたぶん、悪いことではないのだろう。もう遅いかもしれないけれど、こうして心はもがいてるから。せめて、そう、信じたい。

哀しいことに、人は一度として自分の姿を直に見ることは出来ない。鏡で見たとしてもそれは左右が逆の偽りのものだ。

だから本当の自分を見てるのは
いつも自分以外の他人。

だから私の本当の姿は、いつも他人しか見ていない。当たり前のことだけど、そう思うと今、自分が抱えているこんな大きな勘違いは、どれだけあるんだろうかと思う。

神がいるなら尋ねたい。
どうすれば、人は自分を変えられるんだろうか?

願わくば、私は違う私になって
この私を見てみたい。

笑ってるだろうか?
泣いてるだろうか?

それとも私は、裸だろうか?

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一