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Re:それでも後悔しながら生きてゆく。

「誰か肩を叩いてくれ・・・」

あの頃、肩こりのひどさに悩まされていた父だった。でも、ヘッドホンで音楽を聞いていた高校生の私には、父の声が聞こえていなかった。兄達は、テレビを見て笑っている。母は台所の片付けで忙しそうだった。

それは私がとっくの昔に、記憶の奥底にしまい込んだいつかの光景だろうと思う。もしそうなら、私は音楽を聞いているふりで、本当は知っていたのかもしれない。「肩を叩いてくれ」という父の言葉を、聞こえないふりをしていた私は後悔をしているのだろうか?

父はずっと、あることを悔やんでいた。

それは私と彼女(今の奥さん)が婚約をした時のこと。彼女の実家で結納を交わす約束をしていて、私と母と父とで彼女の家に行くはずだった。でも、その日の朝、父の体調が急に悪くなってしまい行くことが出来なかった。(結局父は、その日から亡くなるまで、入院生活を送ることとなった。)

父は私の彼女に、とても会いたがっていた。私が父に対して出来ることは、もう彼女に会わせることしかなかった。当時、彼女も仕事をしていて遠方だったので、なかなか会いに来ることが出来なかった。でも、すぐに私達は、お互いの休みを調整して、父に会いに行ったのだった。

彼女は1番のお気に入りの服を着て、父の前で礼儀ただしくお辞儀をした。父も、ちょっと緊張をした彼女を見て、とても幸せそうな笑顔を浮かべていた。そして彼女は私の父にこう言ってくれたのだ。

「これからよろしくお願いします。お父さん」

彼女が何気なく言った”これから”というその言葉に、私は思わず胸がいっぱいになった。”これから”という言葉には、なんて遠い未来まで含まれた夢みたいな言葉なのだろうと。

しかし、そのときすでに、父に”これから”はなかった。

そのときだった。

私は自分の意思に関係なく、突然、手が動いていた。いきなり私は父の手を握り、そして彼女の手を取って父の手の上に重ねたのだ。どうして無意識にあんな行動をしてしまったのだろう?今でもとても不思議に思う。でもあの時、ああしなくちゃいけないんだと私の心は一生懸命だったのかもしれない。やがて父の小さくて冷たい手が、私と彼女の手のぬくもりで暖められていった。

そして父は、突然、泣きはじめた。

顔をしわくちゃにさせながら、時折、うぅ、と小さく声を漏らしながら。あのときの父は、まるで小さな子供のようだった。あんなふうに泣く父を私は生れて初めて見た。父はたぶん、もう長くないことに、気づいていたのだと思う。本当なら私も声をあげて泣きたかった。でも私にはもう、父の手を暖めることくらいしか出来なかった。

人は死ぬ前には、たぶん小さな子供に帰るのだと思う。まだ素直な心でいられたあの頃に、最後に人は帰りたいのだ。だから父はあんなふうに、子供のように泣いたのだと思う。それは哀しいことのようで、それでも幸せなことだと私は信じている。

あのとき父は、何を思って泣いたのだろう?
今はもう知る術はないけれども。

その数ヶ月後に父は亡くなった。私達二人の結婚式にはとうとう間に合わなかった。結納の件でさえ、あんなに後悔をしていた父のことだ。もしかしたら、死ぬ直前にも、結婚式に出られないことを後悔していたかもしれない。でも私はあの時、彼女に会わせることが出来て本当によかったと心から思っている。

「誰か肩を叩いてくれ・・・」

夢の中で、音楽を聞いていた私は父の声が聞こえなかった。いや、本当は聞こえていたのかもしれない。あの頃にはもう戻れない悔しさが、いつまでもそこに残りつづける。

人は後悔しながら生きてゆく。
それでも、やがて訪れる子供の頃に
帰れるその日を待ちわびながらも。

2018/07/25

*ちょうど1年前に書いたもの。私にとって、思い入れの強いエッセイ。それは後悔の涙なのかもしれない。幸せの涙かもしれない。それでも、それだからこそ、人は生きてゆけるのだと私は思う。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一