見出し画像

田口ランディさんの言葉。

田口ランディさんのエッセイが、大好きでよく読んでいた。これは私が救われた、彼女の言葉のひとつ。いつだったか病院の待合室で何気なく読んだ昔の小さなエッセイだ。

以下、その一部を引用。

「そうだよな、しょせん他人なんて、誰もそんなに私を必要としているわけじゃないのだ。そのことを思い知ると、かえって気が楽になる。誰にも応えなくったって、私は生きてていいんだな、って。この取るに足らない自分でいいじゃん。半ばヤケくそにそう思ったときの爽快感・・・」
田口ランディ「雨とフラダンス」より。

彼女の言葉はこんなふうに、話し言葉で私たちに大切な何かを気付かせてくれる。まるで少し仲のよい友達と、電車のわずかな待ち時間で何気なく交わされた言葉みたいに。

本当にそれは何気ないことなのだけれども、私たちがいつしか忘れてしまった、そんなごく当たり前のこと。そして大切なこと。

”こんな大切な気持ちを、思い出させてくれてありがとう。”

思わずそんな素直な言葉を、ほろっと彼女に言いたくなる。病院の待合室で、思わず涙がじわっと目に溜まりだしたので、あわてて堪えていた私だった。

たぶん、あの頃、疲れや悩みのせいで、いろいろと思い通りにいかないことの多さに苦しんでたちっぽけな心が、うまくスコーンとヒットしたんだろう。まったく、涙腺の弱すぎる自分がイヤになる。

田口ランディさんのエッセイは、正直、ときどき、神がかり的になりすぎる時があって、ちょっと近寄りがたい気分にもなる時もある。それはたぶん、彼女が知っていることと、私の知らないことの大きな差があるからなんだと思う。私がそれを理解するには、まだまだ私にそれを受け止める心が出来ていないということなのだろう。それこそ、彼女からすれば「誰にも応えなくったって、私は生きてていいんだな」という気持ちなんだと思う。

私は思うのだけれども、これからの人生を生きてゆくうえで大切なことは、どんなひどい出来事や、理不尽なことがあったとしても”何も信じられない”と嘆くのではなくて”何をこれから信じるのか”が必要になってくるのだと思う。また、それによって”何を自分で作り上げるか?”が必要になるのだと思う。

とても難しいけれど、信じることを前提としなければ、きっとこの人生は何も始まらない。一日中部屋にいても、たぶん人は生きてゆける。けれども、毎日、何も身動きもせず、死ぬまでただ、ひとり生きたとしても、それは決して生きたとはいえない。きっと、それと同じなんだと思う。

こんな時代だからこそ、信じることからはじめたい。信じられることを待っていても、決してそれは向こうからはやって来ない。

信じることからはじめよう。そんなごく当たり前のことが、人々の記憶から簡単に消えてゆかないうちに。

はやく、はやく、もっと、はやく。

他人のことを気にしすぎないないように、この自分を生きながら、わずかでも誰かを信じながら、私は私を生きてゆくんだ。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一