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noteとスキを愛してゆく。

あるとき、好きなクリエイターの投稿が途絶えてしまうことがある。何日も過ぎても投稿されない。そうしてある日、気づいてしまう。たぶん、noteをやめてしまったのだと。

もちろん、その人の事情が分からないので何とも言えない。でも、もしも、投稿する意欲がなくなったのだとしたら、本当に切なくなってしまう。

いろんなクリエイターのnoteを見ていて、たくさんの素敵なエッセイや詩や写真、イラストに私は感動する。だけど、時として驚いてしまうことがある。その素敵なnoteのスキが、ゼロのままなのだ。なぜだろう?投稿されたばかりだろうか?と思ったら、もう半日以上時間が過ぎている。こんなにもすばらしいのに。私は不思議に思いつつも、そのnoteにスキをするということがある。

私は思うのだけど、スキは他のクリエイターがつけることが圧倒的に多い。ほぼ、そうだと思う。そして、これは私の勝手なイメージではあるけれど、noteのクリエイターは、心に何らかの傷を抱えた人が多い。私もその一人だ。別にそれは悪いことではない。それは表現者ゆえにそうなるのだと私は思う。そして、その抱えたものの表現の場としてnoteは最適なのだと思う。だからクリエイターはこのnoteに集まるのだろう。

ただ、そんな純粋で生真面目な人の多いこの場は、どうしても自己肯定感の低い人も多いのかもしれない。(たぶん、私もそうだ。)そうしたとき、”この作品、素敵だな”と思ってスキをしようとしたとき、つい、”私なんかがスキをしていいのだろうか?”と遠慮するというか、ためらう人が案外、多いのではないかと思うのだ。もちろん、それだけではないだろうし、その作品とは関係のない要因もあると思う。理由はきっと様々だ。

でも、そんな中でクリエイターが、もしも創作意欲を失って、途絶えてしまったとしたら本当に悲しいことだ。スキはもっと素直な心のままに、その人にプレゼントするみたいに、贈ることが出来たらいいと私は願う。

私はスキの数は1も100も同じだと思っている。いや、その1は奇跡とさえ思う。想像してみて欲しい。ある日、ある時、たまたま見たそのnoteのタイトルや最初の文章に、少しだけ興味を持ってページを開く。そして文章や写真を見る。見終えて素敵だなって思ってスキをする。こんな膨大なコンテンツの中で、これだけの手間と時間をかけて、自分の作品を見て、読んで、そして共感して評価してくれる。これほどの幸せがあるだろうか。これはもう奇跡と言っていいくらいだ。その同じスキの想いは、きっとひとりだけじゃないはずだ。その1の後ろには100以上にも相当するスキがあるとさえ私は思う。

誰かに読んで欲しいから人は文章を書く。誰かに聞いてほしいから人は歌を歌う。誰かに見て欲しいから人はイラストを描くし写真を撮る。そしてその原動力は、誰かの笑顔であり、声援であり、言葉であり、幸せなのだ。

毎日でなくてもいい。続けて欲しいと心から願う。たとえスキがつかなくても、何の反応もなかったとしても、落ち込むことなんて何もない。あなたのそのひたむきさに、きっと気付く誰かがいる。私もその最中だ。

私は毎日のように投稿してはいるけれど、一度として自信を持って、投稿ボタンを押したことなどない。いつも不安でいっぱいだ。こんな作品でいいのだろうか?こんなのをネットに公開していいのだろうか?誰かを傷つけないだろうか?飽きられたりしないだろうか?そもそも、見向きもされないのではないだろうか?今、書いているこの文章もそうだ。

それでも私は投稿ボタンを押してゆく。それは自分を許すことであり、認めることであり、そして好きになることだ。つまり、投稿ボタンを押すことで、すでにその作品には、スキがひとつ与えられているのだ。それはあなたがあなたを愛したという、かけがえのない証拠なのだ。

イチローの言葉を借りれば、努力を重ね、自分が生み出した作品を投稿して、後悔などあろうはずがないのだ。もっと自信を持っていいんだ。自分の伝えたいことを、好きな手段で表現し続ければいい。

ただ、それだけなんだ。

最後に、創作活動でもっとも大事なこととして、noteのクリエイターガイドに書かれている言葉をのせたい。

・創作を楽しみ続けること
・ずっと発表し続けること
上の2つは、ページビューを増やすことよりも、お金を稼ぐことよりも、あるいはフォロワーを集めることよりも、何よりも大事なことです。

私はこの言葉で、このnoteを続けてゆこうと思った。

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最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一