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あの頃、友達だった君へ。

これはもう、随分と昔の話になる。大学に入学した頃、こんな口下手で人嫌いな私に友達なんか、出来るわけないと思っていた。

だから今まで友達なんて”別にいいや”と思っていたけど、こんな遠く離れた見知らぬ土地では、さすがの私も心細くて仕方なかった。

入学して間もなく私は、同じ学科のK君に声をかけた。K君は、まるでジャイアンの悪いところといいところのいくつかを取り除いたような感じだった。太っちょで友達はおらず、口数も極端に少なくて、常に一人を好むような、そんなおとなしい性格だった。

きっと私と同じなんだろうとそれまでの観察から、私はそう結論付けていた。午前中の講義が終わって、ざわつく教室の中、彼の隣に座ってた私はいくつかの会話を交わした後「よかったら、うちのアパートで昼食でも食べないか?」とそう彼に声をかけた。

意外だったのか彼は少し驚いていた。でも、やがて子供みたいにうん、と声も出さないままで小さくうなずいていた。その笑顔が私も意外で、それほど期待もしないほど誰でもよかったのに(なんて失礼な)なんだかとてもうれしかった。

私とは対照的に、彼は常に体のどこかに汗をかくほど太っていたので、私の住んでいる下宿先が、少しはなれた小高い丘の上にあることを私は急に思い出し”悪いことしたなぁ”ととても後悔をした。

それでも彼は笑顔のまま、ハンカチを額に当てながらも長い坂道をついて来てくれた。なんだかとても申し訳ない気持ちで、私は彼のことを見ていた。

記憶と言うものは不思議なもので、そのとき彼と私の部屋でどんな会話をしたのか、昼ごはんはどこで何を買ったのかを私はまったく覚えていない。ただそのとき、テレビは「笑っていいとも!」をやっていたということだけを覚えている。

もしかしたら、二人はただ、テレビを見ていただけで何一つ会話をしなかったのかもと、そんな怪しい気もしないでもない。確かに無口な二人だったから、実際、そうだったのかも。

季節は春を少し過ぎたくらいだろう。日差しがやけに柔らかくて、とりあえず、友達を作った私はそれだけで何か、この先うまくゆくような・・・
そんな気がしていた。

でも、その先は結局、何も続くことは無かった。

そのわずか数日後、突然、彼が大学に来なくなってしまったのだ。私は彼がどこに住んでいるのかも知らず、もちろん携帯電話なんて当時は無くて、誰かに何かを聞こうにも彼の友達は私しかいなかった。

理由がまったくわからない。まるで迷子のような気持ちで、私はとても切なくなった。虚しいほどに彼を気にする人は誰もいなくて、でも時もむごいもので、やがて私も気にすることもなく、新しく出来た友達と日々を坦々と過ごしていた。

それから1年が過ぎた頃、私は2年に無事に上がれたけど、専門の授業が増えるにつれ、やがてその授業についていけなくなっていた。もともとは第3希望でやっと受かった大学は、学部も第3志望と言う結局のところ、望んで入った大学ではなかった。

でも、あの頃、なぜか私は浪人などする気はさらさらなく今ならよくわかるのだけど、ただ、流されるままに生きていただけに過ぎない。はっきりとした夢もなく、目標も無く、なんとなく何とかなるくらいにしか思ってこなかった。そのしっぺ返しを私は、たぶん痛いほど受けていたのだ。

それから私は、それまでの友達とうまくいかなくなり人間関係にも悩む日々が続き、とうとう大学へ行かなくなった。

半年くらい私は登校拒否を続け、下宿部屋で、もうこれ以上の悲しみは無いだろうと思えるほどに死んだように引きこもったあげくの果てに、大学を辞める決意をした。

私が中退の手続きをするために、久しぶりに大学へ行ったとき、奇跡は向こうからやってきた。

そこで私は彼と偶然、出会ったのだ。

学生達の人ごみに紛れて、見え隠れしていたけれど、あんな太っちょの体格は彼しかいない。彼もやがて私に気づき、私と彼だけがそこに立ち止まって、二人はしばらく時を止めていた。

これが元恋人同士の再会なら、絵になるのだろうけど、一方は、太っちょのさえない男で、もう一方の私は中退の手続きを終えた後で、もうこの先の人生はまるで闇しか見えないような、そんなどうしようもないものだった。

ずっと忘れていたくせに、私は彼に聞きたくて仕方なかった。

ねぇ、どうしたの?なんであれから学校へ来なかったの?君も何か嫌になってたの?逃げたくて仕方なかったの?でも、また、来れるようになったの?ねぇ、やり直せるようになったの?じゃ、また、一緒に昼飯食べようか…。

彼に歩みかけたけど、私は一歩も動けなかった。

私はもう、ココを辞めるんだ。
いや、もう辞めたんだ。

そう思うと、涙がこぼれそうになった。

彼はそんな私のことを知ってか知らずか、私に近づくこともなく、何も言葉にすることもなくただ、小さく微笑んで、小さく手を振ってくれた。

それは「やぁ」という軽い気持ちだったのか、それとも「久しぶり」という挨拶だったのかそれとも「さようなら」だったのかは、私にはわからない。

そして私も小さく手を振った。

それは「やぁ」でもなく「久しぶり」でもなく、ただ、最後に「ありがとう」という、そんな感謝の気持ちで。そして、「忘れてごめん」という、そんな少し切ない気持ちで。

私に似た性格だから、たぶん彼も、いろんな長い苦悩を経てこれからまた、ココで新しくはじめるんだろう。それに比べ、私は長い苦悩の果てに、これからココを去ってゆく。

それはなんて皮肉なことか。

彼は少しも私とは似てはいないんだ。きっと彼は、これからも、もっと強い心を作り、そしてその先を歩いてゆくんだろう。

もしも私が彼のような強い決意が出来たなら、またそこに違う未来があって、彼と本当の友達になれたのかもしれない。

後悔しないと決めたはずなのに、そんな思いが私に巡って、そんな彼がうらやましくて、私は自分の小ささに、すぐにでも逃げたい気持ちだった。

私はココに何をしに来たのだろう。
そんな気持ちばかりが残った。

やがて会話をすることも無く私は大学を去った。でも最後に、偶然彼に逢えたおかげで、その小さな挨拶のおかげで、とてもいい想い出ができた。

思えば「笑っていいとも」を、ただ二人で見ただけの友達なのに、あのときだけが、カケラみたいに輝いている。

ありがとう。K君。

君のおかげでココに来たこと、すべて無駄にならずにすんだ。たぶん君は私のことは、とうの昔に忘れているだろう。だから感謝を込めて、僕はココに君のことを記す。いつかまた、君と逢う、そんな小さな奇跡を祈って。

ありがとう。
あの頃、唯一友達だった君へ。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一