がんばれない時というものがある。
がんばれない時というものがある。
ネットでは、ポジティブな言葉があふれている。それでも歩いてゆくんだよ、それでも朝は来るんだよと、その手で背中を押してくれる、私の手を引っ張ってくれる。
私はその手を、そっと離す。今はいいよと、微笑んでゆく。
人にはがんばれない時というものがある。
それはほとんどの場合、心が私を求めている時だ。心が私に呼び掛けている時だ。そんなときは立ち止まる。誰かに追い抜かれていい。誰かの励ますその手を離していい。
私の心をひとりにさせない。
それが大切だと思う。
ひとりで心を見つめてゆく。今、何が大切で、何が大切だったかを、そっと、そっと、思い出す。そうして思い出したなら、静かに涙を流してしまう。忘れていてごめんねと、ひとりにしてごめんね、と私の心を慰めてゆく。
そしていつしか、心が私を許してくれたなら、好きな音楽を聴こう。好きな歌を小さく歌おう。好きな本を読もう。好きな詩を朗読しよう。
誰がが誰かのためでなく、作った優しいものに触れよう。
そうして、この手を差し伸べよう。
誰かがいつか、差し伸べてくれたその手にそっと触れてゆこう。それでも握り返してくれたなら、私も優しく握り返そう。そうしてまた、笑顔に戻って、その人と一緒に走り出すんだ。一緒にがんばろうって、笑顔で言うんだ。
そのとき心が、この背中を押してくれる。
がんばるときは、そのときなんだ。
最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一