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人生の最後に残る感覚。

人はどうして音楽や歌や、その言葉に癒されるのだろう。私はヘッドホンで音楽を聴きながら、いつもエッセイを書いている。今、聞こえているのは、モーリス・ホワイトの”I need you"。ゆっくりと流れるリズムがとても心地いい。

何かの本に書いてあった。人はやがて死ぬ時に、一番最後残る感覚は”聴覚”らしいとのこと。やがて目も見えなくなって、やがて言葉も話せなくなって、それでも耳だけはちゃんと、最後まで聞こえているのだそうだ。(まるで、胎児の頃に戻ってゆくようなものなのか。)

昔のこと、こんな出来事があった。

それは私の父が亡くなるわずか数ヶ月前のことだった。もう、ずっと意識がなくて、それで家族が呼び出されて、そして、私や兄や姉や母が、何度も大きな声で呼びかけても意識が戻らない。もう、どうしようもなくて、誰もが声をかけなくなったとき・・・遠い田舎に住んでるおばあちゃん(つまり、父の母親)が、やっと病院に到着して、そして、父に・・・自分の息子におばあちゃんが父の名前を、小さな声で呼んだとき・・・

「あぁ」って確かにはっきりと、父がそれに答えたのだった。

その出来事に、家族全員がビックリした。おばあちゃんのたった一言で、父の意識が一瞬にして戻ったのだ。父は、私達家族の呼びかけには、意識を戻すことはなかったけれど、自分の母親の声には簡単に戻った・・・という事実に、不思議だとか、奇跡とかいうよりも素直に、”そういうものなんだ”って、ある意味、感心してしまったのだった。

声(言葉)は人の心のどこかの、スイッチを入れるものらしい。耳は最後まで機能してるってこと。悲しい終わりを迎えるにしても、やはり、素敵なことだと思う。

いつか、その日が来たとしても、誰かの声は聞こえるように、好きなあの歌が聞こえるように、そして、その言葉から、歌からはじまるあの想い出たちを閉じた瞳で懐かしむために。

そうしてひとつの人生は
静かに終わりを迎えるものかもしれない。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一