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笑顔のない彼女。

私のとても身近なところに、まったく笑わない人がいる。その人は女性で、もう30は過ぎたくらいで・・・うーん、あまり正確に書いてしまうと、いろいろとアレなのでこのくらいにしておくけど、とにかく彼女は笑わない。そして、なぜか私に冷たい。

なぜなんだろう?

挨拶をしても、ほとんど挨拶を返さない。必要なことを話しかけても、最小限度の言葉でしか返してくれない。だから、もう少し詳しく話して欲しくても、もう二度と同じことは聞けないような・・・そんなどこか不機嫌な雰囲気。

私が彼女に対して何か、いけないことでもしたのだろうか?考えても、考えても、何一つとして思い浮ばない。せめて何か思いつけば、そのことを素直に謝りさえすれば、こんな不快な思いをしなくてすむのに。

先日も、こんなことがあった。

彼女に渡すものがあったので、私は直接、手渡そうとした。

「すみません、Kさん、これ、お願いします」

そういうと彼女は何も喋らないで、私のほうを見ることもなく、ただ、あごで”そこに置いて”という単純な態度を示した。思わず私は、何か強く言いたい暴力的な気持ちになった。それが大人である女性の、正しい態度なのだろうかと。

ぐっと私は力をこめて、言葉が何かあふれそうなのを、拳を作るように我慢をする。こんな気持ちのままで何かを言えば、言葉はただのガラクタになる。それこそ大人である私の正しい態度にはならないだろう。

私はただ、彼女の言葉・・・いや、態度のとおりに、その場所に静かに置いた。そして、戻ろうとしたときに、私は一度だけ(ほんの一秒にも満たない時間で)彼女の顔を睨むようにして見つめた。それが私の、唯一出来た精一杯の小さな反抗。(それでも大人げないか)

それにしても、なんと冷めた表情なんだろう。まるで冷たい雨が夜に、降り続いているかのようだ。彼女の心をこんなにも冷たくさせたのは、一体何なのだろう?

人と人がいればそこには、必ず人間関係が生まれる。その関係は、どこの社会でも最も難しいものだけれども、何度も慣れた私でも、いつも、初めてのような傷を負う。

何も笑わない人は、微笑みさえも見せない人は、どこか哀しいように見える。私の勝手な想像だけど、そういう人はたぶん生きていることが、どこかつまらないのだろう。

はじめから笑わない人なんて、この世にはきっと誰もいない。生まれたときは泣いてても、お母さんの胸のあったかさに、やがて安堵し、そして、泣き止んで、天使のような笑顔を誰もが浮かべたのだと思う。

そんな笑顔が生きてゆく中で、次第に憎しみ、悲しみを覚えて、どうしようもなくそれらが増えていって、そして、ゆっくりと離れてしまう。それでも人は振り返るように、その笑顔を取り戻すけど、あまりにも遠く離れすぎて、取り戻せない人たちもいるんだろう。

ちょうどあの彼女みたいに。

そういえば最近、自分の顔を見ていないなと思う。時々、私はそんなときがある。自分の顔を鏡で見ない。いや、見たくない。手を洗うときでさえも、私は意識的に、ただ、自分の洗う手だけを見つめている。そういう時は、たいてい”自分”という人間に自信がないときだ。

この頃、いろんなことがありすぎて、正直、心から楽しめない。ため息の数を数えれば、たぶん、夕闇の星ぐらいになるかもしれない。今生きている私が、それまでの結果かと思うと、こんなはずでは・・・とどこかで思ってる私がいる。何を私は望んでいるのだろう。

それを自分で問うことほど、みじめで滑稽なことはない。とりあえず、決して良いとは言えないけれど、仕事もそれなりにこなしているし、家族は元気で何の不幸も私にはない。ちゃんと苦もなく生きている。

なのに私は、これ以上、何を求めるというのだろう?私よりも哀しい人は、真夜中の星の数ほどいるだろうに。

”今、生きている私が、それまでの生きてきた結果”

いや、違う。結果なんて、まだ、ありえない。私はまだ、生きてる途中で、まだ、どこかへ向っている途中で、ただ、夕闇の中、小さな不安が押し寄せているだけで。

もしかしたら、笑顔から離れてしまっているのは、決して、彼女のほうじゃなく、私のほうが先かもしれない。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一