見出し画像

死後とその幸せと。

これは昔のことだけど、妻の親戚のおじさんが、入院先の病院で亡くなったとの知らせを受けたことがあった。

癌だったそうだ。

本人は知ってたかどうか知らないけれど、亡くなるその数カ月前に、ある機会があって、妻が久しぶりにおじさんに会ったとき、ご馳走になったり、お土産をくれたりと、いろいろと良くしてもらったらしく、妻は「そんなにしてくれなくても・・・」と遠慮がちに言ったのだそうだけど「いやぁ、でも、会うのはこれが最後かもしれないからなぁ・・・」なんて大きな声で笑ってたそうだ。(結局、それが本当に最後になった。)

そのおじさんのお腹にくっついていた訳のわからない医療器械が、大きな声を出すたびに揺れていたらしく、たぶん、もう、わかっていたんだろう。

危篤の知らせを受け、亡くなったのは
そのわずか、3時間後だった。

私はたぶん、自分の結婚式の日に、おじさんに会ってるはずなんだけど、その顔を覚えてなくて、不謹慎だけど、心もそれほど揺れることもなく、ただ、一人の身近なつながりの人が、亡くなってしまったんだなぁという夕日を見るような感慨深い思いが浮かんだだけだった。

人が亡くなるって、どういうことなんだろう?体はもう、動かなくても、それを動かしていた見えない心やその意思は、どこへ去って行くんだろう?

魂や霊魂を、特別に信じてるわけじゃないけど、人の死を思うたびに、私はそんなふうに漠然と思う。

死なない限りその答えは、絶対にわからない。昔よく、死後の世界を見て生き返ったっていうテレビ番組があったけど、あれは結局、本当に死んで生き返ったわけではないし、今はもう「脳が幻を見ていた」ということで解決してしまうようなことで、本当の意味での死後はそういうお花畑的な世界ではないのだろう。

たぶん、私達が死んだ後は、時さえも存在しないような言葉では到底、説明もつかない世界に行くんだと思う。恐らく私たちが考えられるような死は存在しないのだろう。だからこの意思は、心は、どこかでずっと続いてるんだと思う。

もちろんこれも私の単なる空想でしかないのだけど。

幼い頃、よくこんな空想をした。「この僕がもしも死んだら、ただ、永遠に闇が続くだけで、それで僕はもう終わりなんだろうか?」と。

そう思うと怖かった。いつもいつも、怖かった。何もない宇宙空間みたいな世界がどこまでも広がってるイメージが浮かんで「死んじゃったらもう、おしまいじゃん!」と、当たり前のことがとても怖く感じた。自分のいない世界は何の意味もない、ただ、闇のようなものが広がってるだけ・・・永遠に。

子供のくせに「永遠」という言葉のもつその意味に、足が震えるほどだった。よく、テレビで自分が生まれる前の映像を見たりすると、とても不思議な感覚を覚える。自分がまだ、いない世界・・・本当にそんな世界があったのか?ならば私は、そのとき、どこにいたんだ?

もちろん、それもわかることはない。私はただ、ほんの少し、そんな思いに途方に暮れるだけだ。それにしても・・・亡くなってしまった人たちは、今はどこにいるんだろう?楽しいのかな?それとも少し怖いのかな?

それともどこか別な場所で、私たちを見守ってくれているのかな?死なんてないよ、本当はね・・・と教えたくてたまらないのかな。

せめて、そうであって欲しいと思う。

亡くなってしまった人たちも、
ずっと幸せは続いているのだと。

そして、私たちはまだそれを
何も知らないだけなのだと。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一