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その間違いに気づくこと。

昔、小学3年生だった息子を真剣に叱ったことがある。

今思えば、理由はたいしたことではなくて(寝る前に、歯を磨かなかったとか、そんなことだったか?)ただ、そのことに対して、息子が「むかついた!」と言った言葉が、それまでのいろんな多くの積み重ねから、私はどうにも見逃すことが出来なかった。

少し声が大きくなって、でも、ちゃんと教えなきゃと思って、でも、気づけば息子の目からは、大粒の涙がぽろぽろとそのまあるくて赤いほっぺの上をすべり台みたいに、何度も何度もこぼれていった。

私はしゃがんで息子と同じ目線になって、そして何度もこう聞いていた。

「どうしてむかつくの?お父さん、ゆーくんに何か間違ったこと言った?
ねぇ、ゆーくん、ちゃんとお父さんの目を見て、ねぇ、どうして?教えて」

「知らない!」
(唇をとんがらせて言う)

「いつも、そうやって”知らない”って言うよね。ゆーくんは。知らないってことはないよ、きっと。よく考えてごらん。何が間違っていて、何が正しいかって。知らないはね、答えじゃないよ。考えていないだけだよ。逃げてるだけだよ。考えてみて、もっと、ね」

「・・・何度も・・・何度も同じこと、お父さんが・・・言ったから、だから、ぼく・・”むかついた”」(時々、むせながら、言葉をようやくつなげるゆーくん。)

「そう、それで”むかついた”の?でもね、それでドアを思いっきり閉めたり
床を思いっきり足で蹴ったり、本当にそれでいいのかなぁ?床は泣かないけど、ドアも泣かないけど、でも、そんなふうに、何かを傷つけて、それで本当にいいのかなぁ。ただ、”むかついた”というそれだけで、傷つけていいのかなぁ・・・」

真っ赤になった息子の目が、この私をじっと見ている。私は今、この子に対して、本当に正しいことを言ってるのか?本当に、こんなふうに、泣かせてまで伝えるべきことなのか?ほんの少し弱い心になってしまう。

でもね、でもね、仕方がないんだ。心が君を許そうとしないから。

「ゆーくんは、今、どうして泣いているの?痛いの?悲しいの?それともつらいの?ね、どれ?」

「・・・・・知らない」

「ううん、それはね、ゆーくん、知らないんじゃなくて、わからないんだよ。きっとね、ゆーくんは、悲しいんだ。痛いんじゃなくて、つらいんじゃなくて たぶん、こんなふうに叱られて、ゆーくんの心がね、しくしく悲しがっているんだよ。うれしいときに泣くのと違って、悲しくて泣くときには自分のどこかが間違っていることに”気づいた”という意味なんだよ。それをね、心が今、教えようとしてるんだよ。

ね、ゆーくん。君はね、間違えちゃったんだ。その言葉で間違っちゃったんだ。間違いはね、いいんだよ。気づけばね、それでいいんだよ。だからね、よく考えてみて。大切なのは気づくこと。間違いをしないことじゃない。人なんだから仕方がないよ。ロボットじゃないんだからね。でもね、いつもそんなふうに”知らない”で済ませたりしないで、よく考えてみて。するとね、ちゃんとね、いつかわかるから。その意味がわかるから、ね」

「・・・・・うん」

長い沈黙の後、ゆーくんのその返事が、とてもとても重たくて、でも、私はちゃんと受け止めていた。

本当にわかってくれたのかはわからないけれど、でもね、それが私にとっての、ひとつの大切なことなんだ。それを教えてあげることが、私がココにいる意味なんだと思う。

あんなに息子は泣いていたというのに、不思議と私は悲しい気持ちにはならなかった。そうか、私の言った言葉は、私にとっての間違いじゃなかったんだ。

ケンカをした後のような気まずさがちょっと苦しかった。返事をした後のゆーくんの頭をなでながら私は言った。

「おやすみなさい・・・ゆーくん」

「・・・・おやすみ」

息子の小さないつもの返事が、こんなにも心揺らす。叱られて無視するのかなぁと思ったけれど、それだけで、少し泣きたい気持ちになる。その”泣きたい”という間違いは、私にとって、痛い?悲しい?

それとも・・・何?

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一