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おすすめ映画

こんにちは。映像研究部部長です。
ふと「おもしろい映画を観たので共有したいなあ」と思いまして。はじめました、note。

おもしろかった映画の感想を伝えたいけど140字じゃ収まらない!何かいい媒体はないものか…!と考えていると、ありましたありました。
なるほど、確かにこれなら140字以上で思いの丈を存分ぶつけられる。需要に合わせたSNSの多様化に感謝します。このnoteを活用して、気ままにおすすめ映画を紹介したいと思います。ゆるりとおつきあいください。

まず第1回目はこれ!『特捜部Q -カルテ番号64ー』シリーズ映画第4弾のミステリーです。

【大まかなあらすじ】*ネタバレ注意
アパートのある一室の壁奥からミイラ化した死体3体が発見される。机を囲むようにして椅子に座ったその死体は無惨にも生殖器が取り除かれた奇妙なものであった。怪事件の真相を探るべく特捜部Qカールとアサドが立ち上がる。

映画は2つの時間軸が並行して進む。
従兄弟と関係を持った罪でとある女性が収容所に送られるところから始まる"過去"と特捜部Qが怪事件の捜査を進める"現在"。
とある女性は収容所で周囲から非人道的な仕打ちを受け、遂には医者から強制不妊治療を受けてしまう。裁判に訴えても弁護士は取り合ってくれず、怨みに駆られた女性は収容所の同室者、看護師、弁護士を殺害する。あの怪事件は「自分を陥れた当事者たちに自身と同じ目を合わせる」という女性の復讐劇であった。しかし怪事件の現場の死体は3体のみで、空席の椅子がひとつ存在していた。女性に不妊治療を施した医者はまだ生きていたのだ。

悪の根源である医者は「寒い冬」という団体を築き、現在も医療界で権威を振るっていた。彼らは劣性と見なした人間(移民や障害者)に強制不妊治療を行っていた。その魔の手にアサドの馴染みの店の娘も掛かってしまう。特捜部Qは彼らを逮捕するため追い詰める。

こうしてまとめただけでも十分お腹いっぱいなボリューム感です。原作はユッシ・エーズラ・オールスン(Carl Valdemar Jussi Henry Adler-Olsen)作の2010年出版の同名小説です。

まずこの映画、ストーリー展開がすごくおもしろかったです。「時間軸2つを交互に見られる」というのがおもしろいポイントだと思います。私の書いたあらすじでは伝わりませんが、怪事件の謎が解き進められるうちに動機となる"過去"の惨劇も露わになっていくため、鑑賞者は誰が事件の真犯人なのか推測できます。「決定的な動機で真犯人が最後明らかになる!」というストーリー展開はミステリー王道かもしれませんが、観ていて胸が高鳴りました。

その他にも見どころがたくさんあります。
中でも一押しミイラ死体!!!
アパートの壁を破るとそこにはお茶会をするかのように机を囲んで座る3人のミイラたち…
この描写がリアルで怖い…美術班に拍手です。露わになったミイラの口の中にまでカメラがだんだんとズームしていきます。ぱっかり開いた口は朽ちた歯が剥き出しになり、歯と歯には埃が糸を引いている…このカメラワークでミイラの悍ましい死体を存分に堪能できます。このような魅せ方はあまり他で見ないように思ったので新鮮で、とても印象深く残りました。

印象的なシーンでいうと収容所での暴行でしょうか…
人権を無視した暴力行為や不妊治療を行う描写は観ていて気分の良いものではないです。けれどその迫真に迫る演技は事件がどれほど痛ましいものであったかを伝えます。手術シーンは目を背けたくなりますが、これもリアリティ溢れるものでした。

アクションシーンあり、特捜部の人間模様あ
りと始終興味深く観ていました。
物語の最後、女性は恋仲であった従兄弟の遺灰を海に葬ります。私はここで女性も身投げをすると思ったのですが…。この発想は入水が仏教用語として存在する日本的思考故でしょうか。私はなんだかここで国柄の違いを感じました。

そして、この映画は最後に以下の言葉で終わります。

 “質の劣る物には出産を禁ずる”ーK・K・スタインケ
“質の劣る者とはー”“精神障害者 反社会的人間 性的倒錯者”“依存症者などである”ーJH・ルーンバック医師
1934年から1967年までに1万1000人以上の女性が強制不妊手術を受けた

この物語はデンマークのスプロー島に実在した女子収容所(1921〜1961)を元に制作されました。そこでは不妊治療の同意書にサインしなければ出島できないなど「優生学的に劣った」「道徳的にふしだらな」女性への人権侵害的行為がなされていました。こうした人権侵害は、1883年フランシス・ゴルトンにより定義された優生学が根底にあります。

優生学は「生物の遺伝構造を改良することで人類の進歩を促す科学的社会改良運動」と定義されます。「知的に優秀な人間を創造すること」、「社会的な人的資源を保護すること」、「人間の苦しみや健康上の問題を軽減すること」を目標とし、その手段として産児制限・人種改良・遺伝子操作などが提案されました。これらは人種差別や人権侵害に影響を与え、倫理的問題を引き起こしました。20世紀初頭にこの思想は大きな支持を得、各国に影響を与えます。ドイツ、イギリス、アメリカ合衆国、北欧、そして日本でも優生学的施策が1990年代まで取り入れられていました。この映画は偏った優生思想による人権侵害が引き起こしたデンマークの出来事を取り扱った作品なのです。

原作著者は巻末で『そして、ノルウェー、スウェーデン、ドイツ等とは対照的に、デンマーク王国は今日に至るまで、こうした人権侵害にあった人々に対する賠償金の支払いも、謝罪も行っていない。』(2010年出版当時)と語っています。
理想的な福祉国家として名高いデンマークですがこのような過去をまだ拭い切れずにいるという事実に驚きました。ただのミステリーではなく、社会問題についてとても考えさせられる映画です。実際にこの映画が契機となりデンマークの社会問題に関心を持ちました。次は他のデンマーク映画や同じようなアイルランドの事件を元とした『マグダレンの祈り』も気になります。

特捜部Q -カルテ番号64ー
怖いのが苦手な方にはおすすめしませんが、おもしろいことは確かです。みなさんも是非ご覧ください!



*より詳しいデンマークの優生政策については

●森永佳江「福祉国家における優生政策の意義 ―デンマークとドイツとの比較において1)―」『久留米大学文学部紀要 社会福祉学科編第12号 (2012)』https://www.kurume-u.ac.jp/uploaded/attachment/2473.pdf

●石田祥代「デンマークにおける断種法制定過程に関する研究」
https://www.tsu.ac.jp/Portals/0/research/15/P019-025.pdf
を参考にしました。気になる方はどうぞ。

以下、森永佳江「福祉国家における優生政策の意義 ―デンマークとドイツとの比較において1)―」よりデンマークの優生政策と福祉国家に関する記述を抜粋しました。

デンマークの優生政策
デンマークでは,障害者施設の医療費や維持費などを削減する方法として,障害者の生殖能力をなくす「無性化」が注目され,障害者施設の関係者,具体的にはケラーらによって法制定の動きが強まった.また,それと同時期に断種法の提案を行ったのは,社会民主党員ステインケであった.他の優生学者たちは,福祉政策が自然淘汰を阻害する要因であると考えていたが,ステインケは,障害者や疾病者の持つ「不良な血統」を将来的に根絶できれば,現在生存している障害者らを淘汰 する必要はなく,彼らも対象として充実した社会福祉を実現できると考えていた.数々の社会政策を行ってきたステインケのこの見解には,福祉国家の方向性が端的に現れている. すなわち,福祉国家デンマークの優生政策は, 不況下でいかに抑えられる出費を抑え,国民全体の福祉の向上を保障していくかに力点を置いた.そして,福祉国家である以上避けられない「普遍主義的」な福祉の保障という目標のために,自ずと社会の構成員を制限する 必要性が生じ,その手段として優生学的な方策が選ばれたのであった.
デンマークにおける福祉国家形成のプロセス
デンマークでは,1849 年の「自由主義憲法」
において,補完性の原理のもとに国民が公的
扶助を受ける権利が規定された.しかし「,そ
のためには法が要求する義務を認容しなけれ
ばならない」とされ,扶助を受ける者の所有
権,選挙権や婚姻権などに制限が加えられ た13).
19世紀後半には資本主義の勃興による失
業や貧困の増大,家族の解体といった大きな
社会問題が生じ,それに対処するための社会
政策が展開された.貧民救済法,高齢者援護
法が制定され,医療保険,失業保険も導入さ
れた.また,青少年育成事業や保育施設,障
害者施設の原型も,この時期見られるように
なった.しかし,障害者施設は,労働に適さ
ないと判定された者を人里離れた場所に大量
に隔離するためのものであった.それが障害
者にとっても地域社会にとっても安全である
と考えられたのである.労働能力のある者と
ない者との選別は,精神病院でも行われ た14).
1920 年代に入ると社会民主党が初めて政 権を握った.与党政治家であった K.K.ステ インケは,『将来の社会保障』を著し,到来しつつある福祉社会の概要を示したが,それは, 社会的部門の能率化・合理化の計画であり, かつ200ページ中 28 ページを優生学に関する記述に割いた15).さらに,1930年代に入ると,世界恐慌がもたらした通貨危機や労働争議などがデンマーク経済を混乱させたが, 1933 年には社会制度改革法が施行され,「社会的援助は権利であって,施しではない」という全国民を対象とする社会保障の原則が一 般化され,社会福祉政策が進展した16).
このように,19 世紀後半から 20 世紀前半にかけて,一般的に福祉国家の指標とされるものとして,公的扶助や各種社会保険制度, 福祉サービスの体制が一通り整えられた.こうした施策を進めるなかで「施与の原理」から「権利の原則」への転換が見られたことからも,この時期のデンマークを実質的な福祉国家とみなすことができるといえよう.