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これからインターネットは「誰かに作られた偶然」 であふれる?

インスタで友達が誰かと飲んでるとか、facebookで誰かが結婚したり転職したとか、プッシュ通知に来た注目度急上昇中のニュースとか見て、ツイッターで白熱する言葉のプロレスを眺めては、歓喜したり悔しい気持ちになったり、色んなポジネガな感情が渦巻く。

とりあえず服やコスメやニュース情報などは、良い感じに有識者がまとめて発信してくれるから、フォロー・アンフォローを繰り返して手塩にかけて完成させた我がSNSを眺めてれば完璧。

目にしたくないものは飛ばしたりミュートしてオフにしているから、自分の手足で悠々とインターネットの大海を泳いでいる。

あ〜!!
自分の好きなものだけに出会える、ネットサーフィン最っ高っ!!!!!

Instagramさん、ストーリーっていう楽しく飽きない機能をありがとう!
Twitterさん、むしろ140文字っていう制限のあるからこそ濃縮された情報がゴロゴロ転がってるカオス世界をありがとう!
Google先生、世の中全てが知れる魔法の「検索欄」を作ってくれてウルトラありがとう!
いろんなインターネットサービスやアプリって無料で使えるもの多いし最高!



いうまでもなく、インターネットはモノも人も感情も動かす、とてつもない発明だ。

って、思ったそんな時に目にしたこの記事。

「偶然出会ったものを"必然"と感じさせるマーケティングをやろう」

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女性の「パルス型消費」を生む、SNS時代の“直感マーケティング”とは
https://markezine.jp/article/detail/32712
(※上記写真 記事より引用)

必然性を生むための偶然性
広告主によってあからさまにターゲティングされるのではなく、その情報コンテンツや商品との出会いに“偶然性”があればあるほど、アクションの“必然性”へとつながりやすくなるといえます。
https://markezine.jp/article/detail/32712?p=2

この記事では


いまTwitterやSNSに情報が溢れすぎている

タイムラインは視聴者にとっても配信側にとっても混雑

視聴者がタイムラインで"リアリティある自分のための情報"に出会う

視聴者が直感的に衝動的にそのまま購入する(=パルス型消費、これが増えている)

配信者はこの購入を狙うために「偶然性も演出も重要になってくる」

という今の傾向と新たな要素を論じている。

偶然の出会いは「いま動かなきゃ」「買わなきゃ」という必然に繋がっているから、逆に「必然を生むために、偶然を演出しよう」ということが起きているのだ。

これからインターネットは「誰かに作られた偶然」 であふれる?

SNSマーケティングの効果を最大化させる意味では、そのプラットフォームや環境やニーズ合わることは正解である。

でも、この目的達成のためのハック的な発想自体にはちょっと個人的には気持ち悪さを感じてしまった。
というのも手法としてだけで捉えてしまうと、単なるツイッターユーザーライクな「全スイーツ好きに教えたいんだが〜」で始まるようなテキストや、生っぽい人物アイコンで飾られた広告クリエイティブ、結局は#pr付きpotsが氾濫しかねない。
表面を取り繕った虚像の情報で溢れてしまいかねない。
なんだかなあ。。。

もっと偶然性ってチャーミングなことじゃない?

偶然性の別の捉え方として、これから企業は、好きなあの子を学校の帰り道の死角でこっそり待ち伏せて「あれ?君もこの道なの?」的に、さも偶然を装って隣に現れるってことも生まれるかもしれない。
コテコテな小学生ちっくなアプローチ方法だけど、これも人間らしいシンプルな手法ではある。
(私は社会人になってもやったことあるが)

これは極端な例だったけど、これぐらい「偶然性の演出」ってこと自体、もっともっと人間らしい・チャーミングな行動だったんじゃない?

情報だって人だって、人力でシステマチックに出会うには限界があるし、爆発的な偶然にはなかなかならない。

ペアーズをやってても日本の裏側のブラジル人と出会える可能性は0に近い。
それよりかはちょっと外国人が多いエリアの道を歩いている方がまだ偶然出会えそうだし。

こんな感じに、全てがコントロールされすぎてないもっと本来的でシンプルな「偶然の出会い」がインターネットに増えるのは、私は大大大大歓迎である!

そのうち、netflixで映画をクリックしようとしたら、少女漫画の図書館よろしくそのクリックのタイミングが全く同じだった人と運命的に出会えるかもなんてね。


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