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季節の移ろいに食べたいお菓子

いつの間にかじっとりとした汗をかかなくなり、日が暮れると鈴虫の音が聞こえるようになった。

いつものごとくあっという間に過ぎて行った夏はぐったりと体に疲労感をへばりつかせ、特別なにかがあるわけではないのだけれど、新しい季節を迎えるために心がそわそわと落着きがない。
季節の変わり目になるといつも思い出すのが「美しくいるためには季節とともに生きること」というどこかで目にした本の一節だ。

はっきりと季節が秋へと変わったのだな、と季節の移ろいを肌で感じているのに、両手を広げて「ようこそ秋!!!」と満面の笑みで言いたい気持ちなのに、なんだか心が落ち着きのないままだ。ちょうどコンロでフライパンをあおってる時に息子に「ねえ!見て!!」と呼びかけられて「うん、わかってる。見てるよ。ちょっとまってて。」とちょっとした焦りとうっかり塩対応をしてしまった時の感覚に似ている。わたし、秋に塩対応している。


こんな時は視覚から秋を迎え入れたい。
おがやのぎんなん餅は秋の訪れを感じるこの時期に食べたくなるお菓子だ。

ぎんなん餅を知ったのはつい最近。ひかえめで可愛らしい感じの包みだなあ、なんてぼんやりと思っていたのだが、包みを開いて万葉の和歌が印字された敷紙が現れたときに思わず「わあっ、、」とつい声をあげてしまった。

万葉集といえば元号の出典元となり、話題ともなった日本最古の歌集だ。
編者の大伴家持は越中の国司であり、富山で223首もの歌を詠んだといわれている。

富山県の氷見市にある明治5年からつづく おがや のぎんなん餅は大伴家持を中心とした100種ほどの和歌を敷紙に記しているそう。

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ーあしひきの山桜花 ひと目だに 君とし見ては 吾恋ひめやもー
(山に咲く桜の花をあなたと一緒に眺められたなら、こんな風に花が恋しいとは思わないでしょう)

わたしが開けたものには、病に伏せっていた家持が春に詠んだ歌が記されていた。

秋の歌ではなかったけれど和歌の美しさに胸がきゅーんとしてため息がでました。こんな言葉でてくるなんて、どういうこと。


半透明の翡翠色をしたぎんなん餅は健康と不老長寿を願って作られ、上日寺の境内にある樹齢1000年を超えるイチョウに実ったぎんなんを使い、手作業で一粒ずつ皮を剥き、創業から変わらぬ製法で作られている。

これは背筋を伸ばして食べなければ失礼!と思い、椅子を座りなおして口にいれる。求肥のむっちりとした弾力とほのかに香るぎんなんが優しい。

お茶の事はあまり分からないが、熱すぎず濃すぎずなキレイな味のお茶がきっと合う。

目を閉じてぎんなん餅を味わっていると、涼しい秋風がカーテンを揺らす。いわし雲を眺めながら「あ~ぁ、秋がきたなあ」としみじみ秋を迎える準備ができた。


【このお菓子をもっとおいしく食べるなら】
ひとりでお茶とともにいただくのもかなりオツですが、この美しい余韻のある感動をぜひ誰かと分かちあっていただきたい。
和歌の記された紙をじっくり読んでくれて、なにも言葉を発さなくても場が持つような相手とのお茶請けにもってこいです。


*twitterでもお菓子についてつぶやいています



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