M/D/P/S/ Cp.5

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VRC環境課

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[高次元物理学会―実験室―]

「どうだ?」
「会長、レナさんは素晴らしい素質をお持ちですよ」
「そ、そうですか?」
はにかむ少女の顔は明るい。
「改変された式は三か所です。【火力調整】、【振動粒子保存】、【セーフティー】のそれぞれです」
三つ目の単語を聞いて月島の眉間に皺が寄った。
「偶然かと」
「そう思うとしよう。出力と振動粒子の吸出しのバランスによって使用者に負担がかかったと考えられるか?」
「そうですね、不慣れであったからこそその違和感に気付けたのではないかと」
「後はこれに手を加えた者を絞りこめれば正式な抗議を出せるのだが……」
「環境課で何か情報などはありますか?」
「確認しよう。―――ボーパル、私だ」
『課長~~~~。どうしました?わたしの声が聴きたくなりましたか?』
「ああそうだ、お前の声が聴きたくなってな」
『うえっ!??』
「冗談だ。今朝未明に出火事故があっただろう。周辺の映像データは無いか?」
『ありますよ~。解像度を調整したモノを送ります』
一分も立たないうちにでデバイスが震える。
「よくやった。必要があればまた連絡する」
『必要なくても連絡してくれていいですからネ~』
通話を切って二人へと向き直る。
「随分と杜撰な侵入方法だな。警備を欠いていた我々が言えた事ではないのだが」
物理的にピッキングを行い、数分しないうちに外に出てきた二人組の顔ははっきりと見えていた。
「拡大できるか?」
「既に名前と所属が記載された資料が送られてきている」
「……周到だな」
表示された写真と経歴、所属を見てフェリックスの目が細められた。
「フェリックス、彼らを知っているな?」
その些細な挙動に気付き、半ば確信を持って問いかける。
「ええ、知っています。一度彼らと話をしましたので」
「何を話した?」
「彼らの目指す【魔術】の到達点について、です」
三人の視線が集まる。
「【異界律】の再現―――それが彼らの言う到達点です」
「はっ」
月島が心底呆れたような声を出した。
「【異界律】……って何ですか?」
少女が問いかける。
「彼らの言う【異界律】とは、神秘と呼ばれる事象の総称を指す。四次元物理学で原理は解明出来たものの、難易度や危険性が非常に高く、再現性や安定性に乏しすぎる事象だ。この世界の法則を超越した理、つまりは【現実改変】がこれに該当する」
「【重熱効果】と【現実改変】は、四次元物理学によってそれぞれの別の事象として確立させられました。それぞれの原理についてはの説明は割愛しますが、結局のところ【魔術】の式を用いた【異界律】の完全再現は不可能であるという結論が得られました」
「先の事故を例としよう。あれは加熱の上限設定が破棄されてしまった為、【設定されていた出力を超えた】という現象だ。取り出した熱エネルギーを最適な状態で発生させるシステムだったが、その制御が不完全だったというだけで、突き詰めれば只の発火現象でしかない」
火が起こり、それによって燃えたという当たり前の物理現象が結果としてある。
「しかし【異界律】は全く別の働きを見せる。対象の状態を【燃えた】ものに、現実を改変する。それが物理的に燃えるかどうかは関係なく、な」
火が起こらない環境であっても、それが不燃性の物質であっても、どちらも【燃えた】という結果に上書きされてしまう。
「【魔術】とは【重熱効果】と同一のモノであり、エネルギーを取り出して変換する技術に過ぎない。であれば【魔術】の式を扱ったところで【異界律】を発動出来ないことは道理だ」
そしてそれを証明する四次元物理学は、彼らの目的を根本から否定するものである。
「逆に言えば四次元物理学の完全な否定は、【魔術】の式によっても【異界律】の再現が可能である事を肯定すると考えたのかもしれないが……」
それは言葉遊びでしかない。
「急がなければな。彼らが事を急いたのであれば、死人が出るぞ」

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[儀礼派????]

そこは小さな図書館の様であり、紙の本が大量に納められた本棚が並んでいる。
「私は高次元物理学会の会長、月島統四郎と言う者だ。ここの責任者に話があってきた」
「代表は席を外しておりまして」
「では待たせてもらおう。待合室はどこだ?」
「少々お待ちください」
周囲から向けられる視線は鋭く、見渡した顔の中に写真と一致するヒトはいない様だ。
「あれ?」
レナの小声と共に、一体の精霊が姿を現した。
「どうしたの?」
それは呼びかけに応じることなく、ふわふわと道を進んでいく。
「勝手に行っちゃ駄目だよぉ!」
駆け出す少女を見て、顔を見合わせる二人。
「まてーそっちはあぶないぞー」
残念なくらいの棒読みで少女が走り出す。
眼鏡がずり落ちそうになるのを堪え、大柄の男性が最後尾へと続く。
残された職員は呆然と見送るしかなかった。

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「ここなの?」
扉の手前で精霊が姿を消して、追いついた二人はやや息が上がっている。
「ここだって言ってます」
「……鍵がかかっているようです」
「少し下がっていろ」
ドアノブが赤熱して溶け落ちる。
「失礼する」
室内には十人近くが円を描くように立っていて、その中には写真に写っていた顔もあった。
「実証中だ。後にしてもらえないか」
「失敗すると分かっている実験を止めない科学者はいない。【魔術】の式による【異界律】の再現は不可能だと既に我々が証明した」
「四次元物理学が絶対の法則であると誰が決めたのだ」
剣呑な視線を受け止める。
「我々の【魔術】理論による【異界律】再現はこの実証で証明される。邪魔をしてもらっては困る」
背後には数人の魔術師が控えていた。
嘆息し、両手をあげる。
「好きにすると良い。ここで大人しく結末を見届けさせてもらおう」
「―――始めよう」
男性の声と共に、円陣の中央に小さな黒点が生成された。
「【事象の地平面】の一部を拡大し、この場で書き込みを行うつもりか?」
「……非効率的ですね」
二人の会話は誰にも届かない。
黒点の表面に文字が、数式が、模様となって書き込まれていく。
白く発光するそれは次第にフラクタル構造を形作り、折り重なって収束していく。
しかし、
「あっ」
レナが声をあげると同時に、その構造がぐにゃりと歪む。
「やはり、だな」
【事象の地平面】は平面であるかどうかすら定かではないものである。
それを球状に整えて構造を作り上げたとして、広がった時に同様の構造であるかといえば答えは否だ。
黒点が薄く広がり、表面に乗っていた式は歪な形となって宙に浮かび上がった。
「【重熱効果】を個人の脳で制御する場合、当然だが負荷が生じる。それは発生させようとする現象の複雑さや、それに必要な【振動粒子】の総量によって変動するが、凡その場合は死に至る事は無い」
目の前の魔術師たちの顔色は白く、そして土色へと変わっていった。
呼吸は浅く荒く、視線はどこか虚ろですらある。
「しかし【現実改変】や【未来予測】で発生する負荷はその比ではない。だからこそ四次元物理学では危険性が高いと明言したのだ」
亀裂の入る音と共に、円陣を組んでいた魔術師たちは同時に絶命した。
頭部から形象崩壊していく様はある種のフラクタル構造めいて。
「脳内の【振動粒子】が枯渇してしまった結果がアレだ。そして次に何が起こるかも、我々は既に知っている」
黒点が完全に消滅し、残された数式と紋様が蠢いた。
「指向性を失い、しかし【重熱効果】としての式だけが成立してしまったあれらがどう振る舞うかをだ」
式の一部が眩い光と共に熱線を放ち、それより早く生成されていた氷柱を数本貫いてその勢いが止まる。
「死にたくない者は下がれ」
背後で狼狽える魔術師たちは室外へと走っていった。
「十人分の【振動粒子】を枯渇させた程度の式だ。どう予想する?」
「さて、加熱式程度で発散されてもらえれば御の字だと思いますが……」
再び放たれた熱線は同じように氷柱に止められる。
「フェリックス、少し横に逸れろ」
少女の指先に収束された熱が一筋の光となって浮遊する文字を焼き払った。
「お見事です」
「お前も働け」
言葉を交わしながら氷柱と圧縮された熱線を振るう二人の後ろでレナが手持無沙汰になっていた。
「ええ、と。私にも何か……」
と言っても少女が扱う【重熱効果】はこの場では有効ではなく、何かしなければという思いからの発言である。
「とりあえず怪我をしないようにフェリックスの後ろで隠れていてくれ」
「はいっ」
そう言って後ろに隠れた少女に見えない様に顔を顰めつつ、
「会長」
「様子が変わったな」
半分程度まで減った式が一点に収束し、渦を巻く様に回り始めた。
「こういう振る舞いも存在するのですね」
未知の事象にフェリックスの顔が綻ぶ。
「喜ぶな。相殺するしかないが、これは―――」
初めてみる挙動においそれと手が出せずにいる。
『おや、おや、おやおや』
そこに響く誰かの声。
レナのIDカードの裏側から一枚の紙が滑り落ちる。
『お困りの様だ。一つご相談してみるかい?』
「誰ですか!?」
レナの背後に立っていたのは邪悪色をしたプードルだった。
「わたしだよ?」
「うっ……」
「露骨に嫌われると傷ついちゃう……。うるうる」
場を壊すような対応に眉根を顰める少女を見てにこやかに笑った。
「初めまして、俺は隠岐衿奈。覚える必要はない」
「この状況を理解していないわけではあるまい。何をしに来た」
「環境課のお仕事サ、すみかに言われたからね」
指を鳴らすとその頭上に巨大なフラクタル構造の何かが生み出される。
緩やかに移動するソレは光点を飲み込むと体の色を青から赤へ、赤から黒へと移り変わらせていく。
「吸熱……?」
「辺りの温度をやたらめったら吸い込んじゃう手のかかる子ですけど、可愛いとは思いませんか?」
漂いながら回る姿は食事をしている様に見えなくもない。
「あの子を呼ぶのは疲れるんだ。インクが切れそうだからボクは先に失礼するよ。お腹がいっぱいになったら消えてなくなるから、最後はよろしく」
「わわっ!?」
吸い込まれるように消えて、レナが見返すもIDカードに変わった所は無い。
ほとんどが黒色に変わったナニかがこちらを見た気がした。
「お腹がいっぱい、ね」
熱線に穿たれ、弾ける様に消えていった。

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[環境課―管制室―]

一月が経過した。
重熱街灯を始めとしたインフラ整備は進んでおり、試験区域外で本格的な稼働開始まで秒読み段階と言ったところである。
製造にかかるコストは未だに圧倒的ではあるが、新技術としてのパフォーマンスは十分以上の成果をあげている様だ。
併せて一般市民への浸透も進み、大衆記事や報道番組でも【四次元物理学】の名前や月島とフェリックスの姿を見る日が続く。
「それ、前のと違うやつですよね」
ボーパルの手に握られているのはフラクタル構造が球体状になっているものだった。
「これもライターなんだってさ。こうやってきゅって摘まむと……」
人差し指と親指で軽く摘まむと、口のようにくり抜かれた部分から小さな火がついた。
「試作品らしいけど、前のやつより面白いよ。ナタリアさんも使ってみる?」
「では失礼して……」
同じ様に押して火をつける。
「面白いですねこれ。形状が意味不明ですけど」
「形状はあるモノをイメージしてるらしいんだけど、分かる?」
「あるもの?」
じっと見て考えるが、そもそもフラクタル構造などを目にする機会がそもそもなくナタリアは両手を挙げた。
そうだよネ、と変な笑顔を浮かべながら
「うみうしらしいヨ」
納得がいかず、首を傾げた。

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[環境課―課長室―]

「会いに来るのが遅くなって申し訳ない。あれからしばらくバタついたものでな」
表沙汰にはならなかったが、【儀礼派】の組織が一つ実質的な解散となったことは小さな出来事ではなかった。
「事後処理に加えて【儀礼派】からメ学に移る人員の整理と、目が回る忙しさだ」
「大半は私が処理して、会長は実験室に籠っているんですけどね」
脛を蹴られる。
「先日の騒動では助かった。手間でなければ彼女に礼を伝えてもらいたい」
「伝えておこう」
「これからもよろしく頼む」
少女の差しだした右手を握り返して。
「よろしく頼む、月島会長」
にこり、と笑いかけ
「―――」
背筋が凍る様な恐怖を。
「―――」
心が躍る様な歓喜を。
穏やかな笑顔の裏側に、巨大な歯車の軸を覗き込んだような錯覚を経て。
「共に―――」


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【良い環境を、と歯車は軋んだ】

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CAST


皇 純香


月島 統四郎
フェリックス・クライン

VRC環境課 課員


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【 Meta_Dimensional_Physics_Society 】

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【Q.E.D.】

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