スーパーな日々①
「そのままでいいですよ」
お客様がペットボトルをサッカー台に置いた。
かしこまりましたと言いながら、わたしは半分口の開いたレジ袋を素早く台の下にしまうと、赤いレーダーが出ている機械に部分に商品のバーコード部分をかざし、テープをバーコードの上にぺたっと貼った。
「89円です」
お客様は100円をキャッシャーに置いて、私は機械にその100円を入れて、機械から出てきた11円をレシートとともにお客様に返した。
「ありがとうございますまたお越しくださいませ」
繰り返しだ。
コンビニのレジは自分でお釣りを取り出すけど、スーパーのレジは機械が全部やってくれる。
楽。
楽だからこのバイトを選んだけど、楽すぎてつまらない。人間ってわがままだなーとか思いながら、時間がすぎるのは遅い。
こんな仕事は誰でもできるから、できればわたしはしたくない。わたしはわたし。わたしにしかできないことがあると信じている。
商品の前陳に夢中になっていると、いつの間にか時間が来ていた。遅番の人にあいさつしてロッカーに行くと、着替えるより先にケータイをチェックする。ライン来てる。
『おつかれー おれも研修疲れたー』
そのメッセージの下で、まるいキャラクターがコミカルにうつ伏せになっている。でも、わたしは笑えない。
『あした面接がんばる!』
噛み合ってないけど、返した。
「いままで一番辛い経験はなんですか。それをどうやって乗り越えましたか」
「はい、わたしはサークルで合宿を――」
なんか、だめだ。面接にはけっこう慣れた。でも、わたしに興味を持ってくれない。履歴書を書き直して、面接の練習をしても、なんかだめだ。
ビルを出ると、二度目の冬だ。
インターホンを押すと、間抜けな音が鳴る。このアパートのインターホンの音はずっと変わらないし、変わらなくてもいいんだ。くだらないとは思いながら、そんなことを考えてしまう。
ドアが開くと、
「おつかれ」
と彼が言った。あったかい空気が、わたしを和ませる。
コタツの上に置かれたコンロに、なべを乗せながら彼は言う。
「今日、どうだったの」
わたしは彼のクローゼットを開け、ハンガーにコートを掛ける。
「うーん、微妙かな。質問にはちゃんと答えられたけど」
わたしは準備していた言葉を並べるだけだ。
「いっつもどんなテンションでやってる?」
この話、まだやるの。
「いつもと同じ感じだけど。まぁでも、友達と話してるときよりはテンション低いけどさ」
匂いつくよ、と彼はわたしにいつものパーカーを差し出した。わたしはリクルートスーツのジャケットをぬ脱いでそれを羽織り、コタツに足を入れる。ほっと、しない。
「それも悪くないと思うけどさ、もっとテンション上げた方がいいんじゃね」
彼は立ったままガスコンロのタブを回して火をつけた。火の熱さはそこまで感じなかったが、背中から汗がにじんだ。
「それってさ、自分を偽るってことだよね」
彼はわたしを落ち着かせるように笑顔をつくった。
「そうじゃなくてさ、理想の自分に近づけるっていうか。いつも元気な感じな方が印象いいじゃん」
「いまのわたしじゃ印象悪いの? 元気じゃないの? いつも頑張ってるよ? 目を見ていつもより声出して、頑張ってるよ?」
感情に反して、なべから漂い始める匂いを、おいしそうだと思った。
彼はわたしに背を向けて本棚の本を出したりしまったりし始めた。
「そんなの決めるの、相手だよ。お前が頑張ってるとか声が大きいとか、決めるのお前じゃないんだよ。 ……ちょっとトイレ」
今朝の牛乳か、と苦しそうにつぶやきながら、彼は玄関入って右にあるユニットバスに駆け込んだ。
わたしは鞄だけ持って、プラスチックガラスからぼやけて見える彼に向かって言った。
「帰る」
わたしは鞄だけを持って外に出た。「え?」と聞こえた。
すべて彼が正しい。初めて会う人にとっては、初めてのわたしがいつものわたしなんだ。
次の日もバイトだった。
込む時間は混むが、混まない時間はとことん混まない。楽だけど、何もない時間に昨日のことを考えてしまい辛い。少しだけ、泣きそうになって、うつむいた。
そのままでいいって、誰かに言って欲しかった。
「そのままでいいですよ」
え?
サッカー台に、ペットボトルが乗っている。
スーツを着た40歳くらいの男性が、財布の中から小銭を探している。
「そのままでいいですか」
自分から訊いていた。
男性はきょとんとした目で、
「はい、そのままでいいですよ」
意味はわかってる。
わたしは機械にバーコードを読み取らせ、値段を告げた。そしてテープをバーコードの上に貼る。
たぶん、テープを貼るか貼らないかのちがいしかないんだ。
いつもとちがっても、わたしはそのままだ。
「11円のお返しです」
<了>
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