しろという猫がいた(3歳の記憶)

実際は、3歳なのか定かではないけど、保育園に入る前で記憶があるときなので、もう3歳でいいか、という適切な判断だ。

しろ、という名前で、彼か彼女かも正直自信がない。たぶんメスだと思う。だからここでは彼女にする。

しろはシャム寄りの雑種の猫だった。だから全身真っ白な猫というわけではない。
ぼくはしろが大好きだった。それはかわいいからだけじゃなくて、しろがぼくを好きだったからだ。
しろはぼくの後をいつも追っていた。他の家族にはそうしなかった。
でもしろはぼくがただ心配だったのかもしれない。ぼくは家族で一番幼かったから。

動物は黙っている。もどかしい部分もあるが、こうやって余白を与えてくれる。肯定もされないが、否定なんて絶対にされない。

残念だけど、彼女との思い出は特に思い浮かばない。
それはぼくが幼すぎたのが大きい。ただ、たいてい側にいてくれた。とても断片的で長期にわたるものだけど、彼女が生まれれてから死ぬまでが思い出かもしれない。

ところで、おばあちゃんの家はそのときぼっとん便所だった。いわゆる汲み取り式便所である。
ぼくの家は2つあって、正確には、おばあちゃん家と、それ以外の家があった。でも2つの家は30メートルほどしか離れていなくて、ぼくたち家族は行き来していた。
だからぼくは、おばあちゃん家で便意をもよおすと、わざわざもう一つの家までかけて行った。たまにそっちですることもあった。器の上に重なっている白い紙を、もうずっと見ていない。


しろはおばあちゃん家にいた。
おばあちゃん家の周りには何匹かノラ猫がいて、たまに家の中まで入って来る。おばあちゃんの家は昔から自営業をしているせいで、特殊な造りをしている。玄関がなく、戸を開けると地面が庭と台所まで続いている。
ぼくの家の説明はむずかしい。
そんな家だから、庭から猫が入り込んでくるのだ。その猫がキッチンに入り込んでつまみ食いしたり、飼い猫同然の態度で居間に上がり込んでいることもあった。
ときには、カニが居間を駆け抜けることもあった。ほこりまみれのカニを、ぼくは何度か捕まえた。

そんなことが、しろが死んでから頻繁に起こるようになった。

しろは死んだ。寿命とか病気とかではない。

家に入り込んだ猫とケンカして、二匹ともぼっとん便所に落ちてしまった。

ぼくは、くそに浮かぶ愛猫の体半面を見た。

ぼくは悲しかったのを覚えているが、泣いたかは覚えていない。

でも、思い出して泣いたことはある。
家も護ってくれたんだな、とか思ってしまう。

しろの死後わかったことだが、彼女は二代目だった。
どういうことかというと、しろの親の名前もしろで、子どももしろだった、ということ。ぼくが物心ついたときには、親しろはもういなかったのだが、二匹とも生存していたときには、どっちもしろと呼んでいたらしい。

そこでぼくの記憶は終わる。

そういえば、しろはベビーカーによく乗っていた。


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