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千原ジュニアさんに直接会いに行ってせいじさんに怒鳴られ、番組ができた。の法則。

おはようございます、SUKESANです。現在はCM系を主に色々な企画や編集をさせていただくようになりましたが、30歳前後の時はとにかく頭で思ったことを現実にしていく、ということを大事にしてきました。それを「行動力」と呼ぶのかもしれませんが、人間というのはどうしても何かを考えても「無理だろうな……」とマイナス面を描いてしまいがちなんですよね。

僕はそのネジをあえて自分で外していた時期があったんです。

20歳の後半くらいからいわゆる普通の地上波のテレビが見れないと言いますか、どうしても面白いと思えなくなりまして、見るのはスカパー(当時)で、ディスカバリーチャンネルやナショナルジオグラフィック、アニマルプラネットなどだけを視聴していました。そして、お笑い系に関しても地上波のものというのは規制が多く、マニアックなものが少なかったので同じくスカパーで吉本さんの専門チャンネルなどを視聴したり、下北などで小さな劇場に通うように。

そこで気になってしまったのが『千原兄弟』さんだったんです。特にお二人のやっておられる『チハラトーク』に驚かせられ、実際に劇場に通って拝見するようにもなりました。当時まだブレイク前のオードリーのお二人も来られていたようで、不思議な感覚です。


僕はその時はテレビ番組の制作としては衛星チャンネルでアイドル番組を制作していたくらいで、むしろテレビ制作なんてそれが初めてだったんです。撮影も素人ですし、編集も自分で探り探り勉強して覚えていった感じ。

しかし、人間というのは贅沢なもので、野望も生まれてしまうものでして、もしジュニアさんの番組ができればな……自分がプロデュース、ディレクションできればいいな……と思うようになりました。が、もちろんこんな個人の素人同然の話なんてまず吉本さんに企画を出したところでスルーされるのも理解していましたし、どうしようもないよな……と諦めていたんです。

それでも日に日にその思いは強くなり、ついに行動に出ることにしました。それは、無謀にもチハラトークの劇場で直接楽屋を訪問しジュニアさんに直接、番組を作りたいです! と言うという、今考えると吉本さんを通すよりも異常な行動でした。が、その時には不安もありましたが、変な自信もあったのです。


番組の内容ももちろん事前に自分の中で企画を練ってありまして、ジュニアさんという方は、型にはまった台本通りの司会的展開も上手いのですが、やはり、アドリブ力、特に瞬時に他人、場所の隙間を見つけて入りこみ、その隙間を広げ笑いに変えるという技術が飛び抜けて凄いと感じていたので、ほぼ台本無しの「後輩芸人さんのガチお宅訪問」番組を企画しました。

いざ、その決行の日は近づきます……。

当然ながら事前にアポも何も取っていないので楽屋に近づくことなんてできないのは大前提ですし、実際にお会いできたとしても「瞬殺」で終わることも十分に可能性がある。むしろその可能性の方が高い。のですが、自分の中で確実に面白い作品になると確信していましたのでそれだけを勇気に会場に向かいました。

まずは普通にチハラトークを楽しませていただき、すぐに帰られてしまうと大変ですので、終了後速攻で楽屋に向かいました。しかし、スタッフの方に止められます……そりゃそうですよね……。なので、自分の名刺を提示して、「どうしてもジュニアさんの相談したい企画がございます!」とスタッフさんに伝えました。

するとスタッフさんが「わかりました、ジュニアさんにお聞きしてきます。」と言ってくださり、しばらくしてお戻りになり僕に言ったのです、「ジュニアさん、聴きたいって言っているのでどうぞ」と。とんでもないことが起き始めました。が、正直計算通りでもありました。そして楽屋にお邪魔しましますと、まずはせいじさんの洗礼が……。僕を見たせいじさんは「お前誰やねん!! 帰れや!」と、とんでもない大声で捲し立ててきます。が、僕は思った。ここで引いてしまったらダメだ! そしてこれはきっとせいじさんのテストなのかもしれない! と。前向きなんです、当時の自分。

正直、こんな門番がいるとは思わなかったのですが、せいじさんに、まずはしっかりと返事をしなければいけない! しかし、返事によってはドツボにハマるし、ジュニアさんもそのやりとりを聞いている……。そして僕が選んだ言葉は、本当にギリギリだったのですが、「すいません、今せいじさん関係ないです!そこどいてください!」という本当にどつかれるかのギリギリの賭けの言葉でした。これを聞いたせいじさんは、ニヤッと笑い、「頑張りや〜」と言ってくださった。とんでもない厚みを感じつつ、奥にお座りになられているジュニアさんとお話をすることに。

緊張していて内容はあまり覚えていないのですが、ジュニアさんの魅力を最大限に引き出す番組を作りたい、生意気かもしれません、のようなお話を企画書をお読みいただきながらしました。するとジュニアさんは……。

「おもろいっすね、これ、ええやん、やりましょ」と。

そして、マネージャーの方を呼んでくださって、僕と名刺交換などを仲介していただき、ジュニアさんも僕とメールの連絡先を交換していただきました。

それから約1ヶ月後、実際に番組は始まったのです。

確か、最初のお宅訪問のゲストは「宮川大輔」さん、そして、「ピース、綾部」さん〜と続いて行ったのでした。そしてジュニアさんは東京に進出され、今や日本中で大人気(当時ももちろん有名でしたが特に大阪での部分はあったと思います)となりました。

僕は他にも同じように「直接アポ」で数個の番組や企画を成立させてきました。思うのは、尊敬をしているのだったら、その尊敬の気持ちは必ず伝わる。だからこそ萎縮しすぎないで突っ込んでいくことも大事。ということです。

ジュニアさんには本当に感謝しております。そしてせいじさん、ありがとうございました!



いつもSUKESANの記事をお読みいただきましてありがとうございます。