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ご質問頂きました

神野さんは、何かで迷った時や決断をする時、自分にとっての本質を見極めるのにどのような基準で選ばれていますか?

これは自分にとって不要、これは自分の本質に合っているから選ぶというときに、どのような基準や尺度で行動、選別されているのか、お聞きできたら嬉しいです。

ご質問ありがとうございます😊
そしてこの質問、まさに丁度noteに書こうと思ったテーマだったのでびっくり。

私が「あそこから人生が変わったな」と感じる決断を振り返ると、そこには間違いなく共通点があります。

それは、

進もうとした時に怖くなる選択肢

だった事です。

絶対に、常識的に、誰に聞いたってそっちは行かないでしょーと言う道を選ぶ時に起こりやすく、恐怖の9割は金銭的な所を含めた将来の不安から湧き起こるものです。

ただただ恐怖に抗って道を選択しているのかと言うとそうではなく、身体の奥底から湧き上がる「やりたい!」と言う思いに抗えず、震えながら進んで行く感じです。

今回頂いたご質問のおかげで、私は「自分の本質」と言うものをちゃんと考えてみた事がないことに気付かされました。

自分の本質に合っているか合っていないかと言う視点で考えた事がなく、その瞬間の自分がやりたいかやりたくないかで決めて来た感じです。

この状況をシンプルに表現するなら、「行き当たりばったり」と言うのかもしれません。

そちらを選ぶ欲求が湧き上がってしまうから、どうしようもないんですよね。

記憶があるだけでも高校進学からずっと、このパターンで今日まで来ています。

そして大きな変化をもたらす決断ほど、怖さが増します!

書いていて気づいたのですが、もしかすると私は「迷った事」がないのかもしれません。

この気付きはちょっとエキサイティングです。

怖い道に一歩踏み出すまでに逡巡しているのを、自分では「悩んでいる」と解釈していましたが、進む事が前提だったから怖かったのだと思います。

なんだかごちゃごちゃ言ってしまいましたが、一言で表現すると、北海道弁しか浮かびませんでした。

私は『選ばさる』〜どうしたことか選んでしまう〜のです。

私の場合は、「どちらを選ぼうか」といつまでも迷ってるいる時点で、どちらも(その時点では)必要ない場合が多いです。

あくまでも私の場合はです。

もしいつまでも決断できない事柄があるとしたら、「そもそもそれは本当にやりたい事なのか」も含めて考えてみても良いかも知れませんね✨

ご質問頂きありがとうございました😊


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