見出し画像

エミレーツ航空・運命の出会い・渡航後


前回からの続き。アラブ首長国連邦国・ドバイのフラッグエアラインであるエミレーツ航空で働くことになったのが1994年。日本ではバブル経済が崩壊し、就職氷河期と言われる就職難が始まった頃。そんな中『中東という未知の世界に出稼ぎに行こう!』など気概をもつ仲間はそう多くはなく、8名でした。ドバイへの渡航は2グループに分かれての分散入社。ままは、後半グループになり、その仲間と初めて顔を合わせたのは出発時の空港でした。

ままのバッジ(入社の期のことを言います)は127期、前半出発組は126期となります。エミレーツ航空では、さまざまな国籍構成でトレーニングを開始するのが常。この127期は、ままを含め日本人3名、南アフリカ人1名、インド人1名、そしてオーストラリア人2名という、あの会社のトレーニング期としては極く少数の少人数グループ。通常は20名近い訓練生でトレーニングが始まるので、大きなグループとグループの間の人数合わせのような『こじんまり』としたバッジであった。当時、エミレーツは日本に就航はしていないので(就航まで苦節7年待ちましたが)、他社の便で香港まで行き、そこから自社便に搭乗するスケジュール。しかも香港から直行便ではなく、バンコク経由という出発からまあまあの長旅、そして、香港では乗り継ぎ時間は半日という、学生バックパッカーの格安航空券世界一周を思わせるような旅程でした。

成田国際空港で、同期となる2名の日本人と初めての顔合わせ。後の後に同室のフラットメイトになる2人だが、年齢も出身もバラバラで、第三者からお膳立ての紹介を受けることもなかったが、自然と『あ、一緒に行くおかしな仲間だ!』と互いにピンとくるものがあったので見つけ出すのは早かった。初対面の挨拶をして、3人横並びの座席となった搭乗券を確認し、その後そう簡単には帰ってこれなくなるとは思いもしない日本での束の間の時間を、それぞれ見送りの家族や友人と過ごして搭乗時間まで待ちました。香港までの機内では4時間ノンストップガールズトークを炸裂させ、かなり騒々しい団体だと思われたに違いない。(女三人で姦しいと読むのは本当のことだ)おかげで一気に距離を縮めた同期生3人だが、香港到着後はお互い単独行動。ままは、キャセイパシフィック航空CAの友人と香港で遊ぶ約束をしていたので、待ち合わせの時間だけ決めて、とっとと空港をあとにしました。友人は、空港まで迎えにきてくれて、『キャセイパシフィック航空で共に働くことを切望したが、苦しくも最終面接で落とされ続けた』ままを労い、自宅に招いて香港メシをごちそうしてくれた。そして、ギリギリまで尖沙咀のSASAコスメでの日用品爆買いに付き合ってくれたのだ。(ただ暇だったというCAあるあるだが)。そんな友の友情にに報いるためにも、誰もよくわからないアラビア半島のちいさな街で、しかも3か月後にフライトしている姿さえも想像できない、よくわからない会社で『頑張るからね!』と、笑顔で友人と別れて出発ゲートに向かいました。

そして、香港からはとうとう自社便搭乗!2001年まで日本の空では見ることのできなかったエミレーツ航空の機体に乗りこみました。その路線はA310でオペレーションしており、エコノミークラスは120席ほどの小さな飛行機にもかかわらず、全席個人モニター付きで映画や音楽を楽しめるという、当時にしてはハイテクな設備完備におどろきました。また、ほぼ満席の機内を見渡し『本当に乗る人いるんだ~』と更におどろきました。エミレーツ航空では、New joinerが機内にいると、みんな声をかける慣習があります。機体前方のプレミアムキャビンやコックピットへも連れていってくれたりと、みんなとてもフレンドリー。今の時代ではアウトですが、水のボトルをくれたり、お菓子を持ってきてくれたりととても面倒見がよい。後ろのギャレーでは、空のコンテナを椅子がわりにして腰かけて、みんなでおしゃべりに興じている。飲み物をもらいにギャレーに行くと『Wow! Japanese!Welcome!!』と珍しい動物を見るかのようにあっという間に取り囲まれた。今でもその時のエコノミークラスで働いていたクルーたちを覚えている。香港からバンコクまで2時間30分、その後1時間ちょい、乗客の乗り降りがあり、ケイタリング交換、クリーニングなどが入り、ドバイに向けて離陸する。ドバイは中継ハブ空港で、アジアのフライトは夜から夜中にかけての出発で、早朝にドバイ到着、そこから欧州に乗り継ぐので、ヨーロッパ便は朝の出発になる。欧州優先といえなくはないが、時差の考慮と市場はそちらが大きかったので仕方ない。

ところで、そのバンコクフライトはタイ時間の深夜0時を過ぎた頃の出発なので、当然機内で睡眠をとる時間帯なのだが、前の香港~バンコクのフライトで降下中に突如歯の痛みで苦しんだので、痛み止めで様子を見ながらおそるおそるのフライトになり、あまり睡眠がとれなかった。いわゆる『航空歯痛』『気圧性歯痛』といわれるもので、歯の治療はしてきたが詰めものがあっていなかったようだ、降下ごとのその神経圧迫痛は、その後経験する『航空中耳炎』『ぎっくり腰』『膀胱炎』『乱気流によるスライディング転倒』『乗客の投げ出した足にひっかかっての顔面転倒』など、所々インシデントトップ10に入る痛みだったと記憶している。とにかく、バファリンを服用し、機体があまり高くそして急降下もしないように平た~く飛んでくれることを祈りながらの5時間だった。

薄い朝焼けとともにドバイ国際空港に機体が到着し、痛みが少し治まってくれたことにホッとして急に睡魔に襲われたが、すでに到着しているので、急いで飛行機を降りていく。当時ドバイ国際空港は、国際空港と名前はついているが、確かに行きかう人々は『インターナショナル!』なんだけど、施設は簡素なローカル空港といった感じ。ボーディングブリッジなどはなく、すべてバスでの送迎でした。ターミナル入り口でわれわれのネーム入りボードを掲げたフィリピン人のお姉さんに待っていてくれて、イミグレーションで入国手続きをエスコートしてもらい、無事ドバイ国内に入った。ベルトコンベアから荷物をピックアップしていると、今度はオリビアニュートンジョンのようなヘアースタイルをしたインド人女性から『Are you Izumi, xxxxx, and〇〇〇〇?』と声をかけられて、『Welcome! Girls!!』と朝っぱらから握手とハグを求められました。そのインド人女性は、まま達のキャビンマネージャーになる上司。上司直々の出迎えの慣習はそれ以降はなくなったようですが、ファーストネームで、フランクかつ対等にコミュニケーションをとる上司と部下の関係は、日本の社会や航空会社とはまったく異なるもので最初は躊躇しましたが、染まるのは早かった。その後、しょっちゅう交渉事や嘆願、言い訳をしに彼女のところに行ったものです。そして、空港から一路、まま達が住むマンション(アコモデーション)にリムジンバスで移動。街の中心地といわれるシェイク・ザイード・ロードの17階建てのマンションに到着し、『ここ、White Buildingが、あなたがたの住むところよ!』と告げられて、それぞれの部屋番号と鍵を渡された。White Building=WBは3人部屋が各フロアーに3つあるマンションだ。3人部屋だが、20平米以上はある家具付きリビングルームや学生時代に住んでいいたIKのマンションと同じ広さのキッチン、そしてもの物置になっていたメイドルーム、ゲスト用のトイレ、そこに寝室3部屋がついているものだ。3部屋のうち1部屋はマスタールームといって部屋の中にバスとトイレが付いている少し大きな部屋。そして、バスとトイレが共用だが、各自ベットルームがある2部屋がWTのルーム構造。だれがマスターを取るかは、古い住人順となるのは自然の摂理、新参ものは当然小さい部屋からの下剋上となる。

WBに着いてから、部屋の振り分けを告げられて、ままは12階の部屋、他の日本人2名の同期は、9階で同じ部屋とのこと。9階は先住者としてドイツ人のクルーが住んでいるらしく、まずは朝早いにも関わらず、9階から案内は始まった。一応勝手に入室するわけにもいかないから、チャイムを押す、インド人マネージャー。すると寝ぼけマナコでも美人と一目みてわかる金髪の女性が優しく出迎えてくれた。ドイツ人のルームメイトだ。同期二人ともちょっと安心したようだ。ルームシェアをする人間だから、やっぱり優し気な人が良いのは当然だ。当分の食糧代?500DH(ディラハム=UAE通貨)をもらい、あとベットシーツやらフライパン、鍋、カットラリー、ビスケット、ミルク、トイレットペーパーなどすぐに必要とされる日用品がパックされた袋を贈呈された。『へ~こんなんまで用意してくれるんだ!』とおどろいたが、まあ、右も左もわからない場所にぽ~んと放り込むのだからそれくらいの心遣いはあってもおかしくはない。しかも後に分かるが、これらの費用はきっちり2年間のモーゲージで給料から差っ引かれることも、また途中でリタイアしたら返金することも、ルーペで確認できるような小さな文字で契約書に記載されているとこも外資系らしい。そして、次は12階へ移る。もちろん、ままとマネージャーだけ。『どんなルーミーなんだろう?!』ドキドキしていると、チャイムを鳴らししてしばらくたってドアを開けてくれたのは、インド人のおねーちゃんだった。そう、ままのルーミーはインド人、そしてもう1部屋入ってくるのも同期のインド人という、インド帝国の部屋に住むことになった。かなり文化の温度差を感じるところはあるが、『まあそれも良かろう!』と思い、インド帝国の住人となりました。そして、それはおもしろおかしいライフの始まりだったわけです。

~To Be Continued~次に続く




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?