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エミレーツ航空・運命の出会いとその後

かな~り、そして、しば~らくの間、完全、完璧放置状態でありました青春ドタバタ喜劇グラフティー?!『エミレーツ航空・運命の運命の出会い』シリーズを再開することにしました。

といっても今まで3篇くらいしか更新していなのですがね、、、。

ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、エミレーツ航空はアラブ首長国連邦国の一都市ドバイをベースにした航空会社で、設立は1985年。簡単にこの航空会社をご説明しますと、設立後数年間で飛躍的に路線を拡大させ、潤沢な資金に物を言わせて(どこから出ているのかは謎ですが)機材、設備、人材へ湯水のようにマネー投資をし続けグローバルエアラインに成長し、いわゆる格付けエアライン(イギリス・スカイトラックス社の評価ランキング)のトップ10の常連となり、サッカー、ラグビー、クリケット、テニス、モータースポーツ、ホースレース、などさまざまなスポーツのスポンサーとして、『Fly Emirates』とその『ロゴ』は海外のスポーツ中継で必ず目に留まるという巧みなサブミナル効果でさらにその知名度を上げ、その後迎える幾多の財政危機もドライブとブレーキをうまく使い分けて乗り越えてきたものの、今回のコロナ禍では、大型機のみ運航のエアラインのご多分に洩れず、収益を劇的に落としたため、同社前代未聞の大胆なレイオフに踏み切ったが、多分、おそらく、絶対に、また軽快に復活劇を見せてくれるだろうという中東を代表する航空会社であります。そして、その航空会社の客室乗務員採用試験に合格するまでの経緯を、前回まで綴りました。ここからは『ドバイへの渡航』『ドタバタのトレーニング』から『乗務デビュー』まで綴ってまいりたいと思います。

ここで改めて特記しておきたいのが、この会社、初めて日本人を採用したのが1994年です。そして、筆者きゅうごままは、その一人であるということです。『後には居ても先には居ない』、いわゆる一期生ってやつですね。そして、その『後』というは、それから数年時間が経ってから。なぜなら日本路線がないから。言語のアシストもその国の乗務員の仕事だったりするのですが、なにせ飛行の予定も計画もない。(あったのですが、日本の国土交通省がOKを出さなかったのでぽしゃりました。)ですので、初めての日本人採用から次の日本採用までは7年間ほど空白期間がありました。そして、その間に同期と言われる8名の日本人客室乗務員はつぎつぎと辞めていき、日本人乗務員は絶滅危惧種並み。そのためか、もともと世界珍獣博覧会のような強い個性の集団だったため、その中でアホの純粋培養がうまくされた、おもしろおかしい時間を享受することができたと思っています。そんな時代の経験やエピソードを是非お伝えしていきたいと思います。世界的な発見でもありませんし、ためになる情報も一切ないので、大変心苦しいのですが、お茶の間に苦笑の輪が広がればとの想いで書き綴ってまいります。

入社した1994年当時は、日本人にとって中東諸国は『湾岸戦争』のイメージを強く引きずる風潮がありました。『中東のドバイに仕事で行く』と言ったら、『自衛官になったのか!海上自衛隊か!』とよく言われたものです。さらに年代的に古い方に限っては、『日本に仕事がなくて、とうとう新右翼系の某組織に入ったのか!!』とも。(ちなみに赤軍が潜伏していたのはレバノンですけどね)。あと、スターウォーズとコラボした国内大手航空会社で客室乗務員として働く友人にいたっては、『そこまでして、客室乗務員の仕事はする必要があるのか!』と酒の席でしばかれたのを覚えています。今になれば大きなお世話ですが、当時は何せ情報が極端に少なかったので、その心配や危惧は、まあ当然かもしれません。UAEの情報を得るしても、『Hey! Siri~, UAEについて教えて!』なんて音声認証で反応する人工知能付の携帯などありませんので、本屋に陳列する黄色い帯のかたまりコーナーで、アラビア半島関連のガイドブックを探すことから始まりました。そして、見つけたそのガイドブックの薄いこと薄いこと、『Mac Book か!しかもAir!』と思うほど。同じ中東と呼ばれる地域の『トルコ』、『エジプト』と比較して半分以下の厚さだったと記憶しています。やっとの思いで探し、ドバイを調べても掲載している情報も少なく、『へぇ~ジュメイラビーチは静かできれいなんだ~』『マサフィというミネラルウォーターを採水するとこがあるんだ~』くらいしか、まともな情報はなかったように思います。そんなんですから、もう『百聞は一見に如かず』、どんなに調べたって行ってみなきゃ~わからないとばかりに往生して、未知との遭遇を楽しむことに決めました。

採用合格の連絡をいただき、その後エミレーツ航空のコーディネーターと電話でのやり取りになるのですが、最初は固定の留守番電話(懐かしいですよね)にメッセージが残されていてました。そして、そのメッセージを擦り切れるくらい繰り返し再生して聞いたのを覚えています。確か、コーディネーターは、『Rinnaさん』だったと思いますが、そのインド訛りのクセの強い英語が何度再生しても聞き取れない!『もしかしてこれって宇宙語なんじゃ?!』と思うメッセージの録音を何度聞いても名前と『Call me』しか脳内の言語域には届かない。意を決してドバイとの5時間時差を考慮しながらも、恐る恐るオフィスに国際電話をかけました。『Hello This is Izumi speaking! May I speak to Ms.Rinna?』『Hi~!!Izumi!This is Rinna speaking!Thank you for calling back!』、その後、『We are going to〇△✖◆✖〇△~』『Then, you need to send it for us』と、何か重要なものを催促されて, 『So, you can call us anytime! OK?! Bye now!』と言って切られました。もちろん何を言ってたのかわからず、しかも聞く暇を与えないくらいの早口で(当時は早口に聞こえましたが実は普通のスピードです。慣れの問題です。)結果を得られないまま通信が終わり、『ツー・ツー・ツー』と鳴る受話器を持ったまま、『なんてこった~!!』とアメリカ英語で教育を受けてきたことを初めて後悔しました。そして、ここからインド英語との戦いが始まりました。(これはのちの珠玉のエピソードでご紹介していきます。)電話を切って悶々としながら数日経ったころ、エミレーツからフェデックスで何やら荷物が送られてきました。その中身を見ると、いまも変わらずのゴールドの高級感あふれるエミレーツロゴがついたバインダーが数冊入っていました。その中にこれまた沢山の書類が入っていました。(あの頃からブランドイメージを崩さない姿勢にエミレーツの確固たる信念を感じます。)

その書類は、ガイドブック、契約書、ビザ申請書類、健康診断の書類、歯科関係の書類、ワクチン接種のリストだったりと、それは盛り沢山。そして、このワクチンの接種要請リストに7つほどあり、中には当時日本では入手できないワクチンもありました。問い合わせたクリニックでは、『あ、それはインドから直輸入しなければならないですね。』との応答。『ふむ~直輸入って、ボジョレーヌーボーじゃなんだから』と驚く半面、『インドにしか流通していないワクチンが必要な環境なのか!』と不安にかられました。ちなみにこのワクチンはA型肝炎のワクチンです。結局これはドバイで接種することになり、『Made in Indiaをドバイで接種かよ~』と不安が倍相したのを覚えています。また厄介だったのが、『歯のレントゲン写真のネガを持ってこい!』というミッションです。なかなかあの大きなレントゲン写真をくれる歯科医がなく、かなり交渉を重ねた覚えがあります。そのように書類を整えることに右往左往しましたが、会社側の対応はいったて不親切。何度尋ねても、『コレは必要だ』、『コレを持参するように』の一点張りで、詳しい説明やインストラクションもなく、一方的なオーダーのみ。(英語での説明が悪かったのもありますがね)こちら側ですべて合わせるといった感じでした。しかも渡航後発覚するのですが、結局必要でない書類を一生懸命揃えていたりと、、これが『ザ!外資系エアライン』で働くととなのか!!という事柄を渡航前から身をもって学習し始めるわけです。『誰も教えてくれない』、『すべて自分で交渉』という『自立』への道の洗礼が始まります。この『外資系エアライン自立編』は、まだ先にもたくさんあるので、ここらもとっておくことにします。

インターネットやメールという便利なツールもない時代の話ですので、今はもっとスムーズに渡航までたどり着けるとは思います。当時は出発予定の3日前になって荷造りをするような状況でありました。それは、その渡航に際して二番目に大切なもの=飛行機のチケット(一番目はパスポートですね)が、『渡航日の2日前に届く』というという(実質的には1日半前だった)、なかなかスリルある状況に置かれたからほかなりません。Eチケットじゃありませんよ、紙のチケットの時代です。そしてまったく連絡もありませんし、問い合わせても、『Don't worry! You will be informed soon!』と切られて『果たしてドバイとやらに本当にに行くのかな~?』『もしかして夢?』とまで思うほど。会社側の徹底スルーぷりにいやはや驚きを超え『安心とはなんぞや!そんなものは幻ではないか!』と自分の頬を叩きたくなるような思いに駆られたことも思い出します。このように直前までドバイで働く実感がわかずに過ごせたので、その後のスペクタクルなライフもこれも『まぼろし~!!』とikkoさんにようなフリで、おもしろおかしく受け入れることができたのかもしれません。次は、旅たち編、ドバイの匂いと、玄関を開けたらすてきなアチャヘワールドなど、お伝えしたいと思います。ご拝読ありがとうございました!



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