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エミレーツ航空・運命の出会い

きゅうごままです。

エミレーツ航空という、中東はアラブ首長国連邦国のドバイをベースにしたエアラインで客室乗務員をしてきました。1994年に入社して2006年まで乗務し、その間繰り広げられた、『おもしろおかしな経験』をお話していこと思います。

いまやワールドクラスの仲間入りをし、ハイグレードな機体と設備、そして多国籍の乗務員による機内サービスに定評あるエミレーツ航空ですが、きゅうごままが入社した当時は、ほぼほぼほぼ、その存在を知る日本人はいなかったと!!言っても過言ではないかと。1985年にパキスタン航空からリースされたB737とA300でドバイ~カラチ、ドバイ~ムンバイを飛行したところか始まり、1987年に自社購入の機材A310で運航開始、そこから2002年の関西国際空港への就航まで苦節(!?)17年という時間がかかりましたので、日本でのその認知度はこの18年間で作り上げられたもの。ですので、それ以前は、『知る人ぞ知る』エアラインであったわけです。

では、日本に就航していないエミレーツ航空をどのように知って、どのように就職したのか、そしてドバイに出稼ぎ労働にいったのかをお伝えしようと思います。

1994年の日本はバブル経済の崩壊で就職氷河期真っ只中。その向かい風のなか、客室乗務員を目指す志願者がかならずチェックするは、英字新聞『Japan Times 』の月曜日求人広告欄でした。いまでは、求人情報はさまざまなサイトやSNSを活用して閲覧できますが、あの当時はもっぱら新聞!(古めかしいですね。)特に外資系航空会社の求人となるとJapan Timesが王道!!これを知らないのはもぐり。新聞の内容にはほぼ目を通さず、求人欄を真っ先に広げ、採用募集をチェックするエアライン求職者は少なくはありませんでしたね。ままもその一人。そして、ある日この広告欄にかなりの大きさで広告を出したエアラインがありました。それこそ紙面の使い方はバブルそのもの。お金があったのですね。(笑)『見たこともないようなベール付赤いハットを被ったアジア人女性が、空港内で小さな女の子の問いかけに笑顔で答えている』そんな写真とともに、『Emirates Arline』 の文字。『エアラインって書いてあるけど、一体どこの国の航空会社なんだろ?なんかえらく遠い異国の香りはするが、、しかもこの帽子、、赤ってなかなか被らんだろ~』これが正直な感想。見れば、なんだかキャビンクルーを募集しているではないか、『でも、まあ面白そうだから、一応応募してみっか』と、指定された書類をせっせと用意して夜中に郵送しましたね。これが、すべてのおもしろおかしい生活の始まりでした。

つづく




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