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エミレーツ航空・運命の出会い・インド帝国(その2)

エミレーツ航空90年代グラフティーをお送りしております、きゅうごままです。5日間連続投稿しま~す!と気軽に宣言しましたが、実は大掃除のため持ち上げたテーブルの重みで腰をいため、続投への一抹の不安を隠せない大晦日前日です。

ままが94年に出稼ぎの行きましたドバイは都市ではなくUAEの一つの首長国であります。UAEは7つの首長国から成り立っていまして、(あ、首長国名はウキでお調べください。)各々の首長による首長国統治のため、リーダーにより考え方や方針も異なり、それぞれの首長国はその発展の進み方もスピードも異なっていました。ドバイのルーラー(統治者)はマクトゥーム家。ままがドバイに渡ったことは、シェイク・マクトゥーム・ビン・ラーシドで、現在は息子のシェイク・ムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥームを首長とし、ドバイは中東のコスモポリタンになるべく急速に発展を遂げてきました。ですが、もともとは海洋商業の中継地で、木製のダウ船でインド・パキスタンなどの近隣諸国と金やテキスタイル、香辛料などの交貿で成り立っている港町であり漁村だったようです。ドバイ博物館は小さな施設でしたが当時ジオラマがありまして、今昔を観るのは非常に興味深いもでした。まあ、2020年の今となればその今昔のギャップは当時よりはるかに大きなものなってることでしょう。あと、ままの友人にドバイのローカルがいます。(ドバイ人ってことです。)ブラザー・シスターと呼び合う関係で、いまでもSNSでやり取りを交わし26年のお付き合いです。毎年バースデーメッセージを送っていますが、実は彼が生まれた当時はまだ出生のレジストレーションがなかったようで、ブラザーのママ曰く、『う~ん、だいたい月がこれくらいに傾いている時に生まれた』と非常にあいまいなものだったそうです。なので、正確な誕生日は分からないとのこと。(ふむ、西洋占星術のホロスコープは確実に作成できないな)もちろんレジスターした誕生祭にはメッセージ送っていますが、、。そのようなドバイ首長国が半世紀をかけて、セレブな観光都市、国際金融都市と言われるまでに成長したわけです。マクトゥーム家のビジネス手腕は”やっぱ、さすがドバイの英雄ですね!”大したものだ”と”心から感心します。あと、現在はディラハムというU通貨(アメリアドルに固定された通貨でしたね)いう通貨がUAE通貨ですが、ブラザーの幼少期時代はルピア(インドの通貨)が流通していたそうです。『そう!!ひと昔のドバイはインドの文化・経済圏の中にあったと言っても過言ではない、インドの影響を大きく受けてきたことは間違いありません。』

前回の続きに戻りますと、ままは、インド人のルーメイトとその彼氏(フィアンセ)と共同生活をはじめましたが、同期でマドラス出身のルーミー(ルームメイトのこと)は、ザ・天然の明るく人懐っこい性格ですが、食べ物のソースをよく制服に付けてしまい、でもまったく気しないタイプのため、周りに面倒を見てもらう妹タイプ、ベンガル出身のもう一人のルーミーは敬虔なクリスチャンでもあり、エモーションのアップダウンがかなり激しいシャイな方で、明るいときはハミング、落ち込むときは部屋から数日でここないとうメンタルジェットコースターですが、他人の面倒をよくみるお姉さんタイプでした。このような個性的なインド人達と住むフラット1203は、朝、昼、晩とインド本格的自家製カレーが当たり前で、日本ではお目にかからない香辛料にあふれていました。『ターメリックがショウガ科であって、油を使うことで黄色味が鮮やかになる』などスパイスについて教えてもらうことも多かったですね。その御礼にと、日本から持参したハウス食品のバーモンドカレールー辛口タイプでジャパニーズカレーを調理しふるまった時の反応は非常に薄く、”やはりは本場に勝ものはなし”と匙ともにタオルも投げました。

そして、トイレ話になりますが、当時クルーのアコモデーション各トイレにはビデは別に取り付けれてていて、便器の横に、少し低めの水場として設置されていました。最初は足を洗うためのものだと思っていましたので、実は土獏歩行で汚れた足を洗っていました。また、便器にはかならずシャワーがついていまして、これはウォシュレットの代わりですね。まあ、よく水浸しになっているバスルームを仕方なく片付けた経験は少なくはありません。また、ドバイがほぼインド?『リトル・インディア』の時代でしたので、インド人金太郎アメのごとく、どこを切ってもインド人。そして、最初の洗礼は、ままの持つ美意識の最小基準を揺るがすものでした。

また、これは明日お話します!







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