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エミレーツ航空 運命の出会い(その2)

きゅうごままです。

前回に続き、エミレーツ航空入社までの軌跡をお伝えします。

エミレーツ航空は、いまや押しも押されぬワールドクラスのエアラインに成長しましたね。日本での採用試験は1994年が初めて。それ以降、数年間は日本での採用はありませんでした。なぜ?答えは単純、『日本への就航がない』ということ。そう、94年に入社し、その後数年(数年って2~3年ぐらいを示唆する表現のような気がしますが、、)、日本人は、一期生にあたるわれわれのみ。そして、日本人クルーは自国に帰る際は、他社便を利用するか、ピースボードに潜伏するかして海を渡らないと、島国ジャパンには帰還できないという環境でもありました。

この採用試験、『一体どのようなものだったか』ここでお伝えしていきます。まず、前回お話したように、募集を知ったのは王道Japan Times の求人広告。その後、本当に適切に書類審査がされたかどうかはわかりませんが、採用窓口となっていた、確か民間のドバイー日本貿易振興の組織団体から面接の案内をいただきました。試験会場は新宿にある老舗ホテル。(だったと思います。最終試験はそこでしたので、ここら辺は薄ら覚えですみません)。そのセミナー室のような場所で、エミレーツ航空採用試験は始まりました。まず主催側からの『ご挨拶とエミレーツ航空とドバイについての説明』、『英語の筆記テスト』、『身体測定』、そして、『個人面談』がありました。(あ、面談意外は流れは前後するかも、)この身体測定はパーソナルな領域に入りますのでハラスメントクレイム防止としてのちに廃止になるのですが、身長と体重を測り、BMI数値を出していました。これは外資系ではネックになるポントです。日本ではスリムが良いとされますが、外資系エアラインでは、身長に見合った体重なのかをこの数値でチェックし、アンダー(17以下とか)オーバー(25以上とか)である場合は、フライト業務に適さないとの判断材料にすることがあります。実は、ままは、その後しばらく経って日本でのアセスメントが開催されるようになると(アセスメント=採用試験)、東京・大阪のキャンペーンにアシストで同行し、BMIチェックをしていました。ま、こちらは別の機会にお話ししますが、とにかく、ままの時代のアセスメント一次はざっくりそんな流れでしたね。

ここで、特記したいことは、意外に多くの志願者がいたことです。のちほど代行された団体のトップから伺いましたが、1200人応募があったようです。国内大手に比べれば一桁数字が違いますが、あの誰も知らないような会社の募集に?ってとこがミソですね。この面談も、英語は3割、あとは日本語でおもしろおかしく会話していたのを覚えています。また、最初にドバイをスライドで説明したくださった方は、元日本航空のCAの方で、とても上品な大人の女性でして、『いつもドバイにいつも帰りたくなるの~』と(え?アラブの人?と思いながら)なにか遠い目をしながら語っていたことがいまでも鮮明に脳裏に焼き付いています。スライドの写真をみると、『まあ、思っているより都会かな~』という印象で、『好奇心の応募』から『行ってもいいかな~?!』と随分上目線ですが、気持ちにシフトがあったことも明記しておきます。

そして、数週間後に最終試験の案内をいただき、トントンと選考が進んでいきました。とある外資系エアラインの最終試験で何度も落ちた経験のあるままとしては、最終こそザ!鬼門ですが、なにせ、志望度も高いわけではなく、案内ももらった時は『前回同様楽しんでこよっと!』と能天気な感じで考えていました。ですが、そこに突如問題が発生!その試験日は、以前から熱望していました航空会社の試験も品川でありまして、案内をいただのです。もし、最終面接の時間が押すようなことがあれば、そちらのチャンスがつぶれる!!当時のままにとっては、『待ち望んだリベンジの千載一遇のチャンス』。その場合は、最終を辞退しても、いや途中でお腹痛くなったことにして脱出しよういろいろな言い訳を考えながら試験会場となる個室の外に設けられた椅子に腰かけ、時計の針とにらめっこしながら待つこと30分。

おもしろおかし世界に向けた最終面接の扉が開かれました。


つづく



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