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非日常が日常になること

慣れとはすごいもので、
慣れることで普通な日常になることと、そして慣れることで大事な有難い感情を忘れることがある。

新しい環境や人に慣れるということ。

自分の存在がそこに認められる、その人達に認められる、いわば受け入れられる(逆でいうとその人、その人達、その環境を自分が受け入れる)ようになったときが慣れてきたときだろうと思う。

認められるというと受け身的だけれど、周知される、自分も環境や対相手を知るということ。


まだそこに達していない日々、慣れていないうちは、それを無意識でも目指している自分がいる。目指すというか自然に慣れるていく部分も多いけれど、慣れた方が居心地も良くなるから人はそちらに近づくだろう。


そして時がたつと達することが出来て、
その達成感が幸福感になる。

それが当たり前になることが日常になるということで
そうなると達成感はなくなるから幸福感は薄まる。薄まるというより、忘れていく。

著しくわかりやすいのが好きな人と付き合ったときなど。新しい仕事や環境に戸惑いながらも達成していく過程など。

勿体ない。
幸福な環境に居続けているのに幸せを感じないなんて。

もっとも、さらに次の達成感を求めていくのだけれど、初心忘れるべからず、でいたい。

自分向上の次なる達成に向かうならいいけれど、人に期待や欲求をさらに求めてしまわないように気をつけたいな、と思うからだ。

欲は限りない、自分磨きは限りなくていい。

今を、感謝して過ごすこと。いつもそうありたい。

慣れることによって自分の中の一部分になるからこそ、大事にしたい日常だと感じる。

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