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鳥越くんのことなど。

鳥越くんとはじめて会ったのは2014年か。パリの凱旋門裏でのこと。
と、こう書くとちょっとかっこよさげだけど、パリマラソンのゴール地点でのことだ。なんてことはない。4月のパリマラソンは終盤は気温もあがり、ちょうへばる。シャンゼリゼ通りを下ってコンコルド広場へ。そこからして石畳だし、そもそもアスファルトが硬い。たぶん、石畳の上のそのままアスファルトひいたんじゃないか?そんな感じがする。嘘みたいだけど、走りながら、「痛い!痛い!」と声をあげるほどに足裏が痛くなる。そんな区間も終盤にでてきたりする。コースの美しさとは裏腹な難コースであるだけに、結構頻繁にパリに毎年通った。金曜日、仕事を終えて羽田に行くと、土曜の朝について、そのままエキスポへ。翌日はマラソンを走るということが可能だったからだ。

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サムネイルの写真が鳥越くんだ。年齢は20代後半。28くらいか。話を戻すと、パリマラソンのゴール地点で、筆者は石畳の上でへばって座り込んでいた。すると「そのユニフォーム知ってます」と声をかけてきた日本人青年が鳥越くんだ。当時の筆者は映画「風が強く吹いている」の影響で寛政大学のレプリカユニフォームを下北沢のステップで作り、いろんな大会で「寛政大学ここにあり!」とマラソン大会に出場していた。寛政大のユニフォームはミズノ製でかなりタイトだから、最近はこれを着ると「くまだまさし」感があるので、着てはいない。「おっ。こんなところで日本人にあうとは」と嬉しくなったので鳥越くんを撮ることにした。当時の筆者は頭がおかしかったのか、パリにキャノンのフィルム一眼レフ(連射がすごいプロ機をヤフオクで買って)を持ち込んでいたのだ。「がっしゃん」とシャッターを押し、鳥越くんを撮った。聞くと、早稲田大学の学生だけど、ベルギーだかフランスの田舎だかに留学してて、パリマラソンを走りにきたという。足元をみると、ミムラボ時代のボロボロのアディダスを履いていた。「その靴じゃ、終盤脚が痛かっただろう?」というと、「これで寿命ですね」と鳥越くんは笑っていた。タイムは覚えていないけど、市民ランナーの筆者よりもはるかに速いタイムだったから、「早稲田同好会とか?」ときくと、早実で陸上部には入っていたという。iPhoneで彼の写真をとってツイッターにあげると、すぐに反応があった。早実で同じ陸上部だった武田凛太郎選手が「おお鳥越」と。反応した。

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「今晩ご飯でもどう?」と鳥越くんを誘った。このとき、ピチカートファイブの野宮真貴さん夫妻とパリマラソンにきていて、食道楽の同僚がパリで買った食材で腕をふるって食べる夕食会が行われることになっていたのだ。鳥越くんは行きます。とやってきた。過剰なまでの肉とパスタとワインとシャンパンにセレブという組み合わせに鳥越くんはわけがわからなかっただろう。このときの経験がもとで、過剰なまでに肉を焼く食道楽の同僚を主人公としてNHKの旅番組「チョイ住み」という企画ができた。

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それからいつしか8年。鳥越くんとは年の離れた友人として、このときの距離感のまま話をする。シカゴは2時間45分2秒。あと2秒速ければ、ベルリンマラソンにエントリーできたのに。と悔しがっていた。シカゴでもパリのときのように、鳥越くんと肉を焼いてささやかな打ち上げをした。次はぼくも走ろうかなと思う。シカゴで焼いたステーキも美味しかったけど、走ったあとのほうがもっとうまかっただろうなと思うからだ。

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