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冬のスメル

どんなに逃げようとしてもやってくる冬。年間のデスループで一番の鬼門である。布団から出る作業で頭が痛いのだが、毎年それなりに対策してきたじゃないか。去年もその前もダメだったが、何がいけなかったか。そんなこたあわかりきってる。

バンドがない。

2007年から2010年までミチミチにバンドをやっていたんだけど、毎週木曜日にスタジオに入っていたのだった。この話も耳タコの人は多いかもしれないけども、本当に大切だったんだなあと感じる。どんなつらいこともだいたいチームワークにもっていければしんどくない。
バンドはちょっとしたスポーツである訳だ。それなりに客を呼べるだけのバンドになろうとすればそりゃあ聞かせられるものをやらなきゃいけない。
私以外のメンバーが非常にスキルのある連中だっただけに、私はもう必死で毎朝起きれば爪を切りギターを弾く。
実家暮らしで一応高校生であったけどもほぼフリーランスみたいな活動をしていたので、朝コーヒーを淹れて何でもいいから歌う、ギター弾くというのはとにかく身体に良かった。そして何よりスタジオで"弾けません"じゃいけない訳で、情状酌量の余地があったとしてもかなりシビアな世界にいたと思う。

いや、そんな事より、デスクワークばっかりの日々の中から精神的に楽になったのはライブだ。引き蘢っているのが馬鹿らしくなるほどに練習してそこまで向かって行く。本気ではあったけど4人メンバー全員個人活動があるのでライブは多くなかったが、11月には毎年何かしらライブを入れて無駄な事を考えないようにするのだ。それが本当によかった。身体があたたまるのだ。

今はどうだろう。バンドっていいな。
絵描きってもんは動かないのに腹が減る。デスクワークの比重も増えた。とにかくも冷えるのだ。夏でも冬でも末端が冷える。運動しろだって?そんな事は野暮ってもんだ。運動してる間にだいぶ無駄な事を考える。思考をやめる事が大切なのに運動中は暇で白目をむきたくなる事ばかり考えてしまう。

ギターを弾こう。
イカのゲームをやりすぎた。楽しいけど、向かうべき所がないのはなかなかにしんどいものだ。今のゲームってゴールがないのね。
どこかに向かって動く以外に意味を見いだせない私なので、ランニングしてもウォーキングしても結局行き先は自宅な訳で…。ギターもただ弾くんじゃそこに留まっているのと同じだから、ライブをやるという目標はかなり大切だ。そこに向かってそれなりの答えをそこに出して行くのだから。

右2本が私のギターである。

へぼでもいいからライブをやろう。だいぶステージに上がるのがおっかなくなった。いつからかな。今の私の絵も活動も、新しい源流はギターと歌にある。

それを忘れない為にまたテレキャスターを出そう。アコギもふいてやろう。安いエフェクターなんかも買おうじゃない。
そうだ。
2月に祖父が死んだのだ。私にとって、何食わぬ顔をしている日々とは今年は何もかもは実は違って、そうだ、祖父の死というものは私の東京暮らしの中の拠り所が1つ減ったというものだ。
祖父からもらったものの幾つかにテレキャスターがある。最初のアコギは自分で買ってテレキャスは祖父が出してくれたじゃない。大事なギターなんだよ。SGはローンで買ったけどまだどこでも演奏してない。


少しずつ忘れていた事を思い出す。冬はそういう時期。


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