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生産性改革戦略2070

 その日の午後、俺は内閣府が主催する国家戦略ミーティングに出席していた。戦略会議、戦略特区、戦略カンファレンス、戦略コミットメントなど名前は移り変わったが、「戦略」という単語を受け継ぎ脈々と続いている諮問機関だ。会議室には総理大臣を始め15名のメンバーと、その倍ぐらいの関係者が入室していた。エアコンが効いているはずなのに空気はじっとり湿り、年配の人間特有の臭いが充満していた。遠隔会議にしてくれればいいのに、と俺は切に思った。
 司会の特命大臣が議事次第を述べた。
「本日は生産性改革戦略2070(仮称)の記載内容と、新たに実現した規制改革の事項について確認いたします。また本日は組織の生産性向上における画期的手法について、クオンタム・コンサルティング社CEOの広田様にご出席いただき、お話を伺います。それぞれの項目について、配布資料がございますのでご参照ください」
 その広田が俺だ。出番までいろいろと「戦略」やら「改革」やらを聞かされたが、古くなってカビが生えた餅を裏返して誤魔化したような話ばかりでうんざりした。これで本当に失われた80年が取り返せると考えているのだろうか。
「このまま紙幣の供給量を増やし続ければ、デフレ脱却は実現すると思われます。また地方創生が実現すれば、少子化にも歯止めがかけられるでしょう」
 いまだにデフレ脱却、地方創生か。人口減少で消滅した地方自治体がもうどれぐらいあっただろう。都道府県すら整理統合で40に減少したというのに。

 特命大臣が俺の方を向いた。
「では広田様、お願いします」
 あと少しでイライラがピークになりそうだったが、ここからは俺の時間だ。
「お手元の資料を御覧ください。生産性の最適化について基本的な考え方を記載しております」
 資料の冒頭には、人類の歴史が簡単にまとめてある。
「この地球上で、これだけ人類が繁栄している理由として、協調・協働して物事を進められる特性が挙げられます。文明の達成をほんの一部ですが振り返ってみましょう」
 資料にはピラミッドなどの大規模建造物、農業から工業化、インフラの発展、宇宙開発までの図表と、古代王朝、都市国家、封建社会、近代国家などの集団を並べて配置した。21世紀半ばには企業が国家を凌駕する例も増えたが、日本はまだ超巨大国際企業よりも大きな集団を保っていた。
「逆に個人個人のネガティブな思念も、集団内でのコミュニケーション不全から発生します。うつ病などのように、それが肉体的な症状となって影響を及ぼす場合もあります」
 人間にとって良いことも悪いことも、ぜんぶ人間からやってくる。忙しいとかお金がないこと自体は悩みではない。それを悩みに変える人間関係があるだけだ。
「三人寄れば文殊の知恵、などという古いことわざもあります。人が集まって物事を進めれば、思わぬ化学反応が起こる可能性があるのです。こちらの図を御覧ください」
 資料の続きには、円卓に人を座らせる際の組み合わせ例が書いてある。
「みなさんも、会議でメンバーの並びによって、議論の流れが変わったご経験はありませんか。5人であれば24通りです。10人なら倍の48通り、では済みません。36万2,880通りになります。この会議の人数、15人だと871億7,829万1,200通りの組み合わせが発生します。会社組織のように人員が100人、1,000人となれば、組み合わせ爆発が発生してほぼ無限大の数字になります」
 ちゃんと伝わっているのだろうか。不安に思いながら続けた。
「こうした組み合わせに短時間で最適な答えを見つけてくれるのが、弊社の量子アニーリングコンピュータです。それまでのコンピュータであれば組み合わせを一つひとつ計算するので非常に時間がかかります。量子コンピュータはすべて同時に計算するので、あっという間です」
 これは量子の「重ね合わせ」「もつれ」を利用するのだが、時間も限られているので説明は省略した。
「次に、弊社がコンサルティングした中から5社を抜粋した事例です。個人の能力、社会性、モチベーション、潜在的な可能性まで含めてシミュレーションしました」
 シミュレーションの結果に基づき、ガラリと大幅に組織替えをする。当初は戸惑いが発生するが、それもほんの一瞬で過ぎ去る。
 「体験してみれば、コミュニケーションの違いがもたらす圧倒的な成果に驚かれると思います。皆、積極的に出社するようになり、遅刻・欠勤は皆無。無駄な作業が減り残業も基本ゼロになります。パワハラ、セクハラ、そうした対人的な軋轢も皆無。風通しが良くなり活発なアイデアのやり取りが生まれ、リーダーがそれを取りまとめる際に苦労することもありません。相手先からの信頼も増し情報がまっ先に入るようになります。話し方、態度にも違いが表れ、プレゼンなどの勝率が飛躍的に向上します。組織がまるで生き物のように熱を帯び、躍動し始めます」
 これら5社の業績の伸びを見れば、我が社のコンサルティングが桁違いの結果をもたらしていることは明らかだ。
「業種・業態に関わらず、どの会社も導入年度から倍、その倍、またその倍と指数関数的に業績を伸ばしております。まさに量子コンピュータの扱う数字の如しです」
 ほおーというため息がメンバーだけでなく役人たちからも漏れた。こんな風に量子コンピュータを使えるのは、世界でウチの会社しかない。

 何を隠そう、5年前は我が社も倒産秒読みだった。20世紀から続くIT関連の老舗企業で、国内・海外の様々なシステムを手がけていたが、21世紀前半はその遺産で食いつないでいるようなものだった。量子コンピュータの開発にも成功していたのだが、用途が広がらず苦戦していた。
 量子コンピュータにはゲート式とアニーリング式がある。ゲート式はノイマン型のコンピュータの計算がより高速にできるものと考えてもいい。その10億倍とも言われる計算能力を活かして、例えば暗号解読に威力を発揮するとされた。しかしスパイ集団が使うならいざ知らず、合法的な活動をしている組織に、いつ大規模な暗号を解読する局面が訪れるだろうか。医療や金融にも活用が期待されたが、その原理故に計算ミスが多く、2070年現在でも実用化されていない。
 アニーリング式は組み合わせ最適化に特化した計算を行う。我が社の方式はこちらだ。しかし何を最適化すればいいのか、社会のニーズがなかった。膨大な経路選択を最短で通り抜ける「セールスマン問題」や詰め込む荷物の最適化を図る「ナップザック問題」などには、無意味な組み合わせを排除したり近似値を採用するアルゴリズムで、通常のコンピュータでも難なく答えを出せることが判明していた。その他の活用法も、社会システムとの整合性を議論することのほうに時間がかかった。そんなわけでせっかく開発したにも関わらず、無用の長物になりかけていた。
 人材の配置に活用しよう、というのは、半ばヤケクソな俺の意見だった。計算可能なものは普通のコンピュータにやらせればいい。計算が不可能に思えるものにこそニーズがあると予想した。荷物の配置が最適化できるのであれば、人材の配置も最適化できそうなものだ。組織力の源泉、人事を最適化するのだ。うまくいけば企業の生産性は飛躍的に向上する。さっそく人間の相性という、一見数値では表現できそうもないものを可視化するアルゴリズム作成にとりかかった。経営は青息吐息でも技術者達は優秀だ。様々な困難を乗り越え、1年ほどで組織最適化アルゴリズムを持つ人事シミュレータが完成した。
 次に実在する企業のデータで何度もシミュレーションしてみた。何度行っても業績は爆発的に伸びた。実際にサービスとしてローンチするかどうか、CEO案件として最終決定するところまでたどり着いた。

 俺は今でも当時のCEO、香川さんを心から尊敬している。無理を承知で実証実験を許可してくれたからだ。
 無理の1つ目は、この人事シミュレータの実証実験はまず自分の会社でやるしかない点だ。成功すればいいが失敗すれば倒産する。そのリスクを他社、他組織が負うはずもない。責任は私が取る、と香川さんは言った。どうやって取るつもりだったのかはいまとなっては不明なのだが。
2つ目は下剋上のような人事になるという点だ。世界中のフラットで意思決定の速い企業をロールモデルにし、部署の整理、部署間の移動だけでなく、上司と部下の大幅な入れ替えも想定している。それがないとまず最適化は実現しない。
 香川さんは、倒産という最悪の結末と、乾坤一擲の逆転を天秤に載せ、社員達の可能性に賭けた。自ら先頭に立って清水の舞台から飛び降り、立場の保全は後回しにしたのだ。香川さんはシミュレータの指示によりディレクターに降格になった。入れ替わりに俺がCEOになった。こんなひどい話はないと自分では思ったが、みんな実際に量子コンピュータが弾き出した答えなのは知っているので、意外に反発は少なかった。半年間の試験運用の結果、会社の業績は急回復し、倒産を防ぐことができた。社名も変え、クライアント企業の業績向上を請け負うべく、新しいコンサルティング企業として再出発した。

 俺の発表もそろそろ仕上げに入る。
「この人事シミュレータを日本の様々な組織に活用すれば、日本全体の生産性は向上し、失われた80年という低空飛行は終わりを告げるでしょう。日本は生まれ変わります」
 おー、とあちこちから声が出た。当たり前の話だが、同じマンパワーでアウトプットが増えれば、すべて好循環になるのが道理だ。
「首相、ひとつご提案があります」
 発言の締めとして、俺はこんな申し出をした。
「まず、このミーティング・メンバーのシミュレーションを行いたいのです。日本の各方面から何の制約も設けず、場合によっては外国人も招聘してメンバーをリストアップします。このミーティングの生産性がアップすれば、自ずと国民全体の信任を得られるでしょう」
「この戦略ミーティングをガラガラポンしようというのですか」
 首相は驚いたような顔をして、俺に確かめた。他のメンバーからはざわざわしたつぶやきが漏れた。
「はい。 申し上げにくいのですが、首相も例外ではありません。肩書や序列に関係なく、最適なメンバーをほぼゼロベースで選びます」
 首相は一瞬考えたあと、今度は微笑みながら言った。
「いいでしょう、そもそもお声がけしたのは我々です。もし私がいなくても随時報告してくれれば問題ない。それで成長戦略の新しい見通しが立つなら、喜んで捨て石になりましょう。官房長官も、それでいいですね」
「ありがとうございます。では、答えが出るまで1カ月ほどお時間をいただけますか」
 次の招集日を決めて、その日は散会した。

 俺はミーティングに呼ばれた時点で、メンバーの入れ替えシミュレーション強行を密かに想定していた。首相、閣僚、有識者、お決まりのお歴々だ。立派な人々の集まりにも思えるが、肩書で適当に選んだとも言える。メンバーの力量と、その集団のアウトプットが比例しないのは様々な研究で明らかにされている。いい組織は、お互いに共感できるマインドを持ち、同じ目標に向けて献身できる人達の集団でなければならない。この戦略なんたらの集まりもこれまでどれほど時間を浪費したのか、よくよく考えてみるべきなのだ。
 あらかじめ多数のユニークな人材をリストアップしたのは俺の判断だが、その上で、日本の未来に深くコミットできる人、一方で時間的に会議に出席できる人、男女比は半々、謙虚で他者を尊敬する性向、年齢に縛りなく10代からも選考するなどの条件を入力しておいた。答えは2週間あまりで出た。
 意外というか当然と言うべきか、俺はメンバーから外れていた。謙虚さのスコアが低い。まあいい。ざっと見たところ、宮大工、女性歌舞伎役者、女性僧侶、学者で大道芸人、動物園の園長、コンピュータ技術者2名、トランスジェンダーの小説家、引退したばかりのアスリート、15歳の先天性代謝異常患者、アメリカ出身コメンテーターなどだった。量子の頭脳は発想が違う。国会議員や経済界からは、一人も選ばれていなかった。俺が感動したのは、チェアマンにあの香川さんが選ばれたことだ。香川さんなら、私利私欲に汲々とすることなく、常にみんなを前向きにリードしてくれるだろう。
 俺は事前に香川さん宅に出向き、この結果を伝えた。現在は引退しているが、まとまった退職金が支払われ悠々自適な生活をしている。
「香川さん、また働いていただくことになりそうです。お嫌ですか」
「キミの頼みなら断る理由はないが、あの人事シミュレータを戦略ミーティングの人選に使ったのか」
「はい。確認の為に再計算をして、2週間後に発表しにいきます」
「そうか・・・」
 なぜか香川さんは浮かない返事をし、さりげなく話題を変えた。
「会社のみんなは元気か」
「はい、おかげさまで。組織最適化の効果に、いちばん驚いているのは私自身です。香川さんに決断していただいたから、いまがあります」
「職権を最大限行使したまでだ。みんなに反対されたが、あの時はあの選択しかなかったと思う」
 役員連中に総攻撃を受け、四面楚歌だったのを俺は知っている。一度、廊下で土下座しているのを見かけたこともある。
「キミも必死だった。開発陣も一生懸命だった。やるべきことをやると決めたチームに、怖いものはない。違うか」
 いずれにしろ俺は次の会議で役目は終わる。香川さんにバトンタッチして、いつもの仕事に戻るのだ。

 その日が来た。特命大臣が案内をした。
「本日の議題は、新しいミーティング・メンバーの招集についてです。広田様からコンピュータがシミュレーションした結果を発表していただきます」
「このミーティングから、新しい活力ある日本の未来が切り開けるよう、弊社の総力を挙げて人選に取り組ませていただきました。では、発表させていただきます。まずチェアマンは首相に替わり香川裕二さん、現在無職。ディレクターに外国人コメンテーターの、マックス・ギルバートさん・・・」
 こうして15人の発表を終えた。・・・無反応。普通、反応が薄いといっても、ため息やがっかりした空気みたいなものが伝わるものだ。今回は、無人の部屋で俺だけが話しているような反応を体験して、ちょっと戦慄した。長い沈黙の後、特命大臣が口を開いた。
「広田さんのお名前はありませんでしたね」
「最適化の結果です」
「香川さんというのはあなた方の以前の社長ですか」
「はい」
 会議室が少しざわざわした。「・・・利益誘導か?」「・・・なんの肩書もない一般人?」「・・・次が外人だぞ?」聞き取れたのはこの3つのフレーズで、あとはもっとひそひそした話し声だった。
 首相が俺の方も見ずに、しかし微笑んで言った。
「ありがとうございます。なかなか思い切ったご提案で、大変貴重なご意見でした」特命大臣が続けた。「本日はこれで終了といたします。結論はまた次回に皆様にうかがいます」
 ちょっと待て。結論を先延ばしにするなんて、だから生産性が低いのだ。みんなの意見だけでもいま聞けばいいではないか。俺はその旨抗議した。
「それを含めて、また次回です」
 これでミーティングは終わってしまった。結局俺はその後お呼びがかからなかったので、進捗は知らない。内閣府のリリースを見たら、また同じメンバーで引き続きミーティングは行われているらしい。驚いたことに、前回の提案は議事録すら残っていない。つまり、なかったことにされていた。俺は香川さんに詫びを入れに行った。
「申し訳ございません。このような結果になってしまいました」
「知っている。お疲れ様だったな」
「もしかして香川さんは、こうなることは予想されてました?」
「自分がクビになる話を喜んで聞く人などいない。みんな実績もあるし、なによりプライドの高い面々だ」
「首相の口約束を信じた私が愚かでした。日本を変えられると有頂天になっていました」
「気にすることもない。いまの仕事を続けていれば、民間から次第に変わって行く。確実に」
 この人の下で働いていた幸運に、再度感謝した。
「それより、そろそろクオンタム・コンサルティングの足を引っ張る連中が湧いて出てくるぞ。いくら社内が好調に回っていても、外からのやっかみ、嫉妬は止められない」
「わかりました。気を引き締めていきます」
 信じられる仲間と、助け合って前に進む。ミーティングで自分が話した内容ではないか。人間が人間である以上、それが正しい戦略なのだ。

サポートのしくみがよくわからないので教えてください。