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ジャマイカのタクシー運転手

 夏が来ると、ふとジャマイカで乗ったタクシーの運転手を思い出すことがある。以前仕事でジャマイカに行ったときの話だ。ジャマイカにはボブ・マーリーゆかりのスタジオがあるのだが、ミュージシャンの知り合いがそこを使ってレコーディングをするというので、取材を兼ねて同行した。仕事のフリをした南国の旅を決め込んだわけだ。

 レコーディングは予定より早めに終了して、数日の予備日はせっかくだからリゾート気分を満喫しようということで、首都のキングストンから北部のモンテゴ・ベイに移った。最後の日はモンテゴ・ベイから島の西端まで足を伸ばして、ネグリル・ビーチで派手に遊ぼうということになった。
 
 タクシーを飛ばしてネグリル・ビーチに着いた。帰りのために運転手に待ってもらって、みんなはビーチで遊んでいたのだが、僕はなんだか旅の疲れが出て、ビーチで泳ぐ気分ではなかった。かといってただ海を眺めて過ごすのも貧乏性で無理だ。とりあえず運転手に話し相手になってもらおうと思った。彼は黒人男性で、年齢は判別しにくいがおそらく同世代だろう。午後の強い日差しを避けて、海岸沿いのカクテル・バーに二人で座った。英語が通じるが、僕は日本語英語になってしまうし、彼もクレオールが交じるので、微妙にズレたまま話していたかもしれない。でも潮風に吹かれながらの、他愛ない世間話だからどっちでもよかった。

「奢らせて。ノンアルコールで申し訳ないけど」
「ノープロブレム」と言って彼は笑った。
「結構日本人も観光でやってくる?」
「はい、チップをいっぱいくれる人がいるので、私は日本人が好きです」
「僕にはあまり期待しないでね。でもジャマイカはいい。日陰なら日本より快適だよ」
「ジャマイカは好きです。生まれたところだから。でもとても小さい。地球の裏側まで、時間とお金をかけて来るべきところなのか、わからないです」
「この青い海とレゲエ。それだけで魅力的だよ」
「日本人もレゲエ好きですよね。ボブ・マーリーも有名ですね」
「その他のレゲエミュージシャンも人気があるよ。レゲエを聴くと夏の気分が盛り上がる」
「日本人と話ができるとお客さんになってくれると思って、ちょっと日本のことを調べました」
「ヤーマン、ずいぶん仕事熱心だね」
「私は日本に行ってみたいです。あなたがジャマイカを思うよりも、たぶん強く思っています。残念ながら、行けないでしょう。お金がかかります」
「人混みと喧騒と、ジメジメした空気が待っている。ジャマイカのほうがいい」
「太陽よりも、仕事が大切です。ジャマイカの若者は音楽か陸上競技、そしてギャングぐらいしか選びようがないです」
「物騒な人もいるにはいるが、あなたのようにフレンドリーな人も多い。みんな陽気で素直で友達のように接してくれる」
「キングストンで何人ぐらい、仕事もせずにブラブラしている人を見ました?私は妻と子供を養うためにタクシーを運転していますが、ときどき人以外のものも運びます。お金になるからです。それが何とは言いませんが」
「あ、そう…」

 バーのすぐ近くに何か小屋のような建物があり、その前に椅子を出して、40代ぐらいの女性が20代ぐらいの女性にコーンロウを編んであげていた。観光客向けの商売だが、手持ち無沙汰に地元の女性同士でやっているのだろう。カウンターからときどき見ているのだが、なかなか編み込みは進まない。運転手の話を聞いたあとだと、のどかな時間を湛えた楽園風景の一コマなのか、することのない人間のせめてもの生産的な暇つぶしなのか、どう捉えていいのかわからなくなる。

「小さい頃からの友達が、いろいろあってギャングになりました。抗争に巻き込まれて、ピストルで撃たれて死にました。確か、葬式も出していないはず」深刻な話を、さりげなく、微笑みも浮かべながら話す。命の重さが、日本とこの国では違うのかもしれないという考えが過って、飲んでいたジンバックが少し苦い味がした。
「仕事は上手くいきました?早く終わったから遊びに来た?それはよかった。おかげでこうして日本人相手に仕事ができます」そうしてさっきと同じような微笑みを浮かべた。僕の心情を計ったように話題を変えるなんて、コミュニケーション能力を重視する日本企業なら、文句無しで採用されそうなスキルを持っている。
 相変わらず、コーンロウは進まない。海上遠く積乱雲が発達し始めたのが見えた。スコールが来るかもしれない。

「日本に行きたいです」彼はまたそう言った。
「どこに行きたい?やっぱり京都?東京?食べのものが目当てなら大阪かな。時間があれば、北海道もいいかもね」
「ジャマイカが好きです。ジャマイカの食べ物で満足。お酒も女性も、ジャマイカがいいですよ」
「じゃあ日本の何が見たいの?日本の音楽が聴きたい?原宿でオシャレな洋服を買う?」
「人を見たい。雰囲気が知りたい」
「どういうこと?」
「何もしないでブラブラしている人なんて、いないでしょう?」
「まあ、それはね…」
少し間が空いて、彼は続けた。

「日本は、アメリカと戦争しました」
「ん?なんの関係があるの?」
「オーノー、気分を悪くしましたか?続きを話してもいいですか?」
「ノープロブレム。日本人同士でもこんな話はしないけど、ジャマイカ人と戦争の話をするなんて、貴重な経験じゃない?」
「アメリカに勝てる国などないです。だから、アメリカに対して頭に来たとしても、だれも戦争しようなんて思わない。日本は、アメリカと全面的に戦争しただけでもスゴイと思います」
「いやいや多くの人は傷ついたし、深く後悔しているし、アジアの国々にも迷惑をかけた。どうしてあんな勝ち目のない戦争をしたのか、どうしてそれが正義だと思ったのか、あの頃の人たちに聞いて回りたい気持ちがする」
「反省は大切です。ただ、それも戦ったからそう思うのでは?」
「日本は間違っていた」
「戦って負けるのと、戦わずに負けるのでは、ずいぶん違います。いちばん違うのは、戦わないと、負けたことに気が付かないこと」
「負けたことに気付かない?」
「いつの間にか負けている」
 勝ち負けにこだわるなんて馬鹿げている気もするけど、彼の置かれた状況が勝者のものでないことも確かだろう。だからといって戦争が正当化されるわけでもない。これまでの日本人観光客がチップを相当はずんだ上に、いろいろ吹き込んだのだろう。
「戦って負ければ、名誉ある死か、あるいはセカンドチャンスがあります。でも負けたのに気付かなければ、セカンドチャンスはないです」
「でも戦争はとんでもない犠牲を伴うよ。気が付く代償としたら大きすぎる。しない努力が大切だよ」
「それで負けないのなら、そうするべきです。繰り返しますが、ほとんどの場合戦わないで負けるのです。負けたことに気が付かなかったら、その後どうなるか」
 そう言って彼は、じっと水平線を見つめた。彼が過去のことを考える素振りをしたのは、スペインとイギリスに振り回されたジャマイカの歴史のことなのか、さらにはすでに絶滅してしまった先住民のことなのか、あるいはアフリカから奴隷船に乗せられてここにたどり着いた彼らのルーツのことなのか、そもそも彼らは負けたことになるのか、僕の英語ではそこまで突っ込んだ質問は難しく、だから何もわからなかった。
「ボロボロに負けたのに、日本はすぐに世界をリードするような国に復活しました。何かに気が付いたからではないでしょうか。生身の視線、表情、動き、仕事ぶりを見て、もっとリアルに知りたいです」
「僕も日本人だよ。僕を見て、どう思う?」
「ジャマイカで遊んでいる時と、日本で頑張っている時は同じ人でも違うと思います」
 尤もな意見だ。突然、西の空から鮮やかな光の筋が海に落ちた。次の瞬間、ドーンという大砲のような音が、軽い衝撃波と共に伝わってきた。

 バナナボートもそこそこに切り上げ、仲間たちが戻ってきた。「うわーやべー!怖っ!見た、さっきのカミナリ」一人が僕に声を掛けた。
「ああ。見たよ。凄かったな」と答えた。横で運転手も苦笑いをしている。
「なんかビビったから、もう帰るか。運転手さん帰りもよろしくね。ヤーマン」
 コーンロウの二人も、いつの間にかいなくなっていた。

 帰りのタクシーの中で、みんなはこれからビールを飲みに行こうと盛り上がっていたが、僕と運転手は黙ったままだった。別にどちらも不機嫌でもなく、普通にニコニコしていただけだったので、僕が彼と何を話していたのか誰も気にも留めなかった。

 夏が来ると、ジャマイカで乗ったタクシーの運転手を思い出す。彼は、望み通り日本に来ることが出来たのだろうか。もしそれが叶ったとして、日本にいる日本人を見て、彼は何を思うのだろうか。

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