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チャーリーズ・レポート

 ハイ、ジェーン!元気にしてる?チャーリーだよ。日本に来て1カ月、仕事も順調だし、半年のミッションが終わったら予定通りワシントンに帰れると思う。日本の国立公文書館の職員もみんな親切だし、スケジュールを守ることに命をかけてる国民だしね。食事もなんでも美味しくて日本は最高だ。あと驚いたのは、日本人のほとんどのスマートフォンには、『アイ』って呼ばれるエージェントプログラムが入っていて、なんでも本人に替わってやってくれるんだ。いわゆるAIなんだけどね、チョー便利でとても興味深い。アメリカのIT企業が提供しているスマートスピーカーと似ているんだけど、日本の場合みんなこっちを使ってる。
 動画サイトを見るといろんな国の旅行者がいろんな視点で『アイ』の紹介をしているからだいたい分かるかもしれないけど、かなり断片的なんだ。僕はもっと全体像がわかるように動画でレポートしようと思う。まあ僕の個人的な興味でやってることだし、立場上公開できないから視聴者はキミだけなんだけどね。でも僕が元気でやってるのもわかるだろうから、一石二鳥じゃない?

■2029年8月26日/レポート1回目

 それにしても東京の夏は暑いなあ。日本は観測史上最高気温が40度を超えた場所が50カ所以上に増えたんだよ。信じられる?どこの熱帯地域?真昼は外にいられないんだ。おっと前置きが長くなった。じゃあ『アイ』のレポート第1回目ね。
 始まりは女性向けの、その日着るべき洋服をアドバイスしてくれるだけの簡単なスマートフォンのアプリだった。カレンダーに外出先と会う人が誰かを入力しておくと、SNSにアップした自撮り画像を分析したり、前回着用した日やクリーニングのローテーションも考えて、おすすめコーディネートを表示してくれるシンプルな仕様だったんだ。洋服のストックをスマートフォンで写真撮影しておく手間はあったけど、一度に全部行う必要もないしね。季節ごとに着るものを撮影すればいいんだから。ほとんど着用機会のない洋服はネットオークションに自動で出品し、逆に利用者に似合う洋服があれば自動で最安値で購入するっていう機能が好評で、なかなかのスタートアップだった。買い物のために外出したりするのを面倒だと感じる女性は意外と多かったんだね。キミもそう?日本語で断捨離(Danshari)、これ面白い発音だよね。全部捨てちゃうっていう意味なんだけど、つまり要らない洋服を増やさないためにも重宝されたんだ。
 それに男性からも、コーディネートのアドバイスなんて誰もしてくれないから有り難いし、使っていくうちに自然におしゃれになるという評判で利用が増えた。
 この自動で買い物してくれる機能ね、生体認証とか決済システムのセキュリティーが万全になったから実現してるわけだけど、サービス提供事業者がデータベースに顧客情報を保存しているわけじゃなくて、本人の利用ログがそれぞれのスマートフォンにしか入っていないスタンドアローン式というのもポイントなんだ。スマートフォンの性能が高まったおかげで、複雑なアルゴリズムや膨大なデータ量をスマートフォンだけで処理しても問題なくなった。学習の元になる個人のログデータを、外部に渡しているわけじゃないんだ。常に最安値を探して買ってくれるからお得だし、みんな使うようになるのは当然だよね。事業者のサーバーにも一応データは入ってるけど、スマートフォンを壊したりした際のバックアップ用で、強力に暗号化されているから誰も見ることはできない。
 自動購買機能は、利用者からの希望で洋服以外にもどんどん取扱品目が増えた。必ず使うトイレットペーパーなどの紙類、飲料水、お米などは、定期的に届けてくれるのが合理的だよね。じきにほぼすべての日用品が自動購入の品目に加わったんだ。
 さらにカレンダー機能を使って、歯医者、美容院、エステ、習い事など、ネット予約ができる定期的な予定はすべて自動でスケジュールを押さえ、リマインドする機能も加わったんだ。このへんから急速にバージョンアップしていったみたい。
 簡単な電話やメールの受け答えなら『アイ』がやってくれるし、遊びで占いもしてくれる。ほとんど秘書代わりに使えてアプリの利用は無料。でも自動購買への商品提供企業からの手数料で、事業者も充分に利益が出た。エンジニアを多数ヘッドハンティングして、次々と改良していったんだ。
とりあえず今回のレポートはこれぐらいで。次のレポートは2週間後ぐらいかな。

■2029年9月9日/レポート2回目
 
 前回のレポートで、「でもやっぱりスマートスピーカーじゃない?」と思ったかもしれない。データの取扱がいままでの検索やECサイトと違うのは説明したけど、やれることはあまり変わらない気がするよね。そのあたり、実際のユーザーに話を聞くのがいちばんだから、今日はアプリの最初のリリースから使ってるケイコに来てもらったよ。
「ハーイ!ジェーンさんこんにちは!ケイコでーす。日本語で説明するけど大丈夫?英語の字幕が入るんだっけ、オーケー」
 洋服のサジェスチョンのあたりから説明できる?
「アイちゃんが洋服を勝手にオークションで買ってくるじゃない?で、こんなの着ないよって思っても実際着ると似合ってるってことが何度もあって、最近おしゃれだよねってよく言われる。あと相手が誰かによってアイちゃんが対応を考えてくれるの。友達とメールとかSNSでやり取りが残っているでしょ?その相手のキャラや気分に合わせて洋服のチョイスもカジュアルとかシックとか変えるし、最近元気ない相手なら静かなところで話し相手になれば?とかそんな心配もしてくれる。」
 余計なお世話ってことはないの?
「そのさじ加減がアイちゃん絶妙なの。ごぶさたでーす!とか気軽な挨拶メールをいつの間にか送ってたり、逆に落ち込んでいるような相手なら何もしないで様子を見たり、距離感?その調整がうまいのよ。私、それまで親ともギクシャクしてたんだけど、アイちゃんが電話してみなよ、ってタイミングで電話すると向こうも機嫌よかったりして、すごく助かってる」
 それって恋愛でも役に立ちそうだけど、長くなりそうだからまたの機会にね。洋服以外の買い物で役立つことってある?
「いつもの商品を最安値で買うだけじゃなくて、私の好みに合いそうな商品を見つけて来て、こっちも試して見れば?とかね。洋服で実感してるから言うこと聞くと、また新しい世界が広がるの。世の中いくらでも素晴らしい商品とかサービスとかあるものだと思って、毎日発見があるわ」
 へー、世界を広げてくれる案内役でもあるんだ。
「動画サイトにいろんな使い方の工夫がアップされてて、いつも参考にしてる。使えばみんなヘビーユーザーになる」
 朝から晩までアイちゃん、アイちゃん(笑)
「とはいえ、しつこいバナー広告とかは基本遮断した上でさらっとアドバイスしてくれるから、押し付けがましくはないの。前よりも生活がゆったりした感じがする。余計な情報は防いでくれるし、前向きになれる話にいつの間にか乗せられてる感じ?」
 なんだか有能なコーチとか頼れる友人とか、そんな存在みたいだね。
「そうね、アイちゃんにお任せしすぎてちょっと反省することもあるかな。でもとにかく人間関係がスムーズになって、毎日がポジティブになったのは確か。なんだっけ、きくばりアルゴ?アルゴリズムだっけ?おしゃれも気配りだから、ってことで開発したらしいけど、誰が考えたのかな。ホント頭いい」
 こんな感じだよ。今日はこれぐらいで。またね。

■2029年9月23日/レポート3回目

 前回のケイコの話はどうだった?いやケイコと僕は何もないから!へんなヤキモチやかないでね。今回はコミュニケーションツールとしての面を少し詳しく説明するね。スケジュール管理と決済機能が付いていることを利用して、仲間で集まってイベントをする際にも便利なんだ。例えば、4人で誰かの家に集まってパーティをするとしよう。メンバーのアプリ同士が事前に通信して、自動的にメンバーの好みに合わせておすすめ食材と飲み物の買い出し分担の指示を出す。一人ひとりの体調なんかも配慮して最適な量を計算してあるから材料のムダもなく1円単位できっちり割り勘で自動精算してくれる。後片付けやお開き時間も頃合いを見て適宜指示をしてくれるので、ちゃっかりサボる人もいないし、オールでグダグダになる心配もないから、場所を提供する人も安心だよね。外出先で集まって何かするときもだいたい同じ流れでいい感じに段取りしてくれる。
 コミュニケーションが盛り上がるし、同じことをしても以前より安上がりだし、さらに利用者は増えた。職場の懇親会や地域サークルの集まりなど、いろんな人間関係に応用可能だった。
 当然の流れとして、友達同士だけでなく男女間のコミュニケーションにも役立つツールになった。バージョンアップで、あっという間に日本のマッチングのスタンダードになったんだ。
あらかじめこのアプリが候補者のピックアップ、および気に入った人との事前コンタクトをとってくれる。20世紀の日本にはね、世話焼きおばさん(Sewayakiobasan)って言って、マッチング・マスターがいっぱい居たらしいんだけど、その役割を果たしてくれるんだね。おかげで本人同士の交際まで非常にスムーズだったんだ。もちろん、両方の好き嫌いを最大限に考慮してくれるから、マッチング成功率も高かった。
 またこのアプリには普段の行動ログが残っているから、真面目に交際したい人同士の証明書替わりにとても役立ったんだ。お互いの行動ログデータを開示するのを交際の条件にする人も多い。実際に、この数年間で結婚する人数は増えた。結婚相談所が何十年もあの手この手でできなかったのに、アプリで結婚が増えたなんて驚くべき結果だね。もちろん結婚したあとの浮気の心配もなし。日本の少子高齢化にやっと歯止めをかけてくれそうな存在として、事業者の社長はマスコミに引っ張りだこになった。あとは政治で保育施設等のハード面を拡充するのみ。日本の未来は明るいね。さて、今回はこのへんで。

■2029年10月7日/レポート4回目

 ジェーン、わざわざコメント欄に質問してくれてありがとう。「若者が使っているのはわかったけど、日本人のほとんどが使ってるって言ってなかった?」オーケー。それを今回説明するね。物事には順番てものがあるからさ。
 嘆かわしいことに、日本では固定電話を使ったアナログな詐欺が、ついこの間まで相当な被害を出し続けていたんだ。子供の幸せを願う老人がターゲットで、オレオレとか言ったかな。21世紀も中盤になってこの状態って信じられなかったんだけど、もう過去の話と言っていいと思う。
 お年寄りがスマートフォンを持ってこのアプリを使えばいいんだから簡単だよね。あらかじめ家族の声を登録しておいて、それ以外の通話は途中で遮断すればいい。他にも『アイ』は様々な方法で詐欺的なアクセスを防いで、つながりたい人とだけコミュニケーションできたし、口座の管理もできるから変な振込を予防することもできる。
 また老人向けに限らず、電話やメール、SNSのなりすましやスパム、マルチアカウントでの攻撃的な書き込みも全般的にほぼ不可能になった。ブラックリストのデータ共有を、アプリ同士が連携して行えるんだ。それに発信側としても、このアプリをインストールしたスマートフォンを使って悪質な行為を働くとスマートフォンのデータを全消去する機能も付いているから、ますます信頼できるよね。
 子供のスマートフォンの使いすぎも社会問題になっていたようだけど、これも見事になくなった。一定時間以上連続してスマートフォンを操作すると親が注意する動画に切り替わるペアレンタルコントロールも追加されたからね。親の顔の替わりに、アイドルが優しく諭してくれる動画になるハッキングもすぐに出たけれど、なにしろ時間制限の設定は親しか操作できなかったので絶大な支持を集め、統計によると日本の18歳以下のすべてのスマートフォンにインストールされている計算になるんだって。あとお小遣い関連も、『アイ』経由なら渡し忘れもないし、用途、使いすぎもすべてコントロールできるので、親は大助かりなんだ。
 この少額を一定額決済、または振り替える機能は貯蓄をしたり、友人間でお金の貸し借りをする際にも使われて、このアプリで貯金が増えた人、友人関係を壊さずに済んだ人も多い。主婦だってメニュー管理したり、食材の買い物を効率よく済ませたり、無駄な費用を減らすDanshari?だっけ、家計のスリム化に成功してる。そんなこんなで日本人の老若男女が金銭的にゆとりが増えたと感じているように思う。とりあえず今回はこのへんで。

■2029年10月21日/レポート5回目

 空気が涼しい秋の日本はまた最高だね。僕のレポートも何回目?レポートをこなすだけ帰国も近づくわけで、気分も乗ってくるよね。さて、『アイ』のことだけど「そんなに便利なら、なんで日本でしか使われてないの?」って当然思うよね。不思議だなって僕も思ったんだ。そのあたりを話すね。
このアプリには、ケイコもちらっと話してたけど通称Kikubariっていうアルゴリズムが入ってる。技術的な事は僕にもよくわからないんだけど、このアルゴリズムの肝になる自然言語解析は日本語にしか対応していない。日本人が使う日本語でしか、AIがうまく学習できないんだ。今は翻訳の技術も進んでいるし、他の言語を日本語に訳してログを残せばいいじゃないか、って僕は思ったんだけど、どうもそれだと「空気読む」ような対応はできないんだって。気が利いているようでいて、『アイ』はその点不器用なんだ。だから今のところ正式版としては日本語だけ。いろんな言語をくまなく調べた結果、イタリア語とタイ語が対応できる可能性があるらしいんだけど、研究者が足りなくてまったく開発の目処が立っていない。
 そう、話が横道に逸れるけど、アメリカではもうスタートしている自動運転なんだけど、逆に日本では実現不可能かなって思ってる。
 それは、法律を決める人たちが万が一の際の責任所在とその補償方法を決められないからなんだ。一時期、自動車メーカーが基金を立ち上げて、ドライバーの責任は不問にして事故の際はそこから支払うというプランが検討された。それぐらい技術的には自信があります、ってことだったんだけど、その補償を狙って当たり屋が頻発するだろう、場合によっては替え玉で人身事故をでっち上げるだろうということになりお蔵入りになった。AIの問題というよりは、ボデイ全面にソフトパッドを貼り付けるとか、道路に段差をつけて人間と自動車が同一の平面を通行しないとか、インフラとハード面で死亡事故が起きない環境を整備することが先だとして、棚上げになっている。なんか心配しすぎで話が前に進まない。
 Yes/Noがはっきりしない、意思決定ができない、というのは日本人の特徴のように言われるけど、話に聞いていたよりもそんな傾向の人は多いかもしれない。なんでも肩代わりしてやってくれるこのアプリが、またそれに拍車をかけているような気もする。
 あと可笑しいのは、このアプリをちょっといじって株取引などの自動化にトライした人もいるようなんだけど、Kikubariアルゴリズムはそうした「勝ち負け」「取引」には滅法弱いらしく、すべての例で失敗した、という話を聞いたことがある。
 なんというか、良くも悪くも日本人のメンタリティを再現しちゃっているんだね。僕らが使うには僕らが日本語を習得して、自分自身が「気配り」を実践しないといけない。

■2029年11月4日/レポート6回目

 ジェーン、本来であればあと約2カ月後に帰国する予定だったけれど、どうもそれは延期になりそうだ。僕も事情はまだよく飲み込めていないのだけれど、僕のミッションではなく、いや、それも関連しているんだけれど、ずっとキミにレポートしている『アイ』に関する問題なんだ。
 このアプリについて、当然だけれど世界中のIT関連企業が注目している。スマートフォンのアプリとして使うだけではなくて、コミュニケーションが発生するすべての場面で、このアルゴリズムが応用できないかと手ぐすねを引いているんだ。また、アプリによる社会の好循環が日本だけに起きていることも議論の対象だ。このままでは、日本が一人勝ちしてしまう。それに対する反発も少なからずあるんだ。特に我が国アメリカを筆頭に。
 しかしこのアルゴリズムは、日本語圏でしか使えない。他言語で研究した事例があるのは前に話したけれど、どうも「気配り」自体が日本語と一体化した一種のコードであることがわかってきたらしい。外部に何か独立したロジックや行動様式が存在するのではなく、気配りは日本語に含まれる言語的な特性そのもの、という結論が出つつある。
 だから、世界のAI業界、特に対人コミュニケーションの領域では今後全面的に使用言語を日本語に切り替えるか、逆にKikubariアルゴリズムを完全に無視して、これまでどおり英語ベースのプログラムを続けるか、究極の選択が迫られている状況なんだ。そしてたまたま僕は、出張で日本にいる。何かしらの大きな決定がされるタイミングだから、この件における日本の様々な意思決定のすべてを、つぶさに収集し整理・保管せよ、ってミッションが加わったんだ。
 昨日、そのことを知らされて困惑している。僕がキミに届けていた動画も上からの判断材料になった。チャーリー、あのエージェントアプリについてよく理解しているではないか。その行末を見守る仕事は、まさに適役だろう。だってさ。

■2029年12月23日

 もはやレポートではない。本当に個人的記録としてこの動画を残している。立場上、アメリカと日本の決定事項に対して何の異議もない。もし後世でこのビデオを見る人がいるのなら、僕の表情から言いたいことを察してほしい。
 本年12月14日、アメリカの検索大手企業、SNS大手企業、大手ECサイト各社は、『アイ』をインストールしているスマートフォンからのアクセスを完全に遮断することを決定した。日本語のみの対応はグローバル化の時代に逆行しており、インターネットの世界に致命的な歪みを与えることが懸念される、という理由だった。日本政府に対し何らかの意思表明、対策の有無が問われたが、1週間の議論の末、外国企業の施策に異論を挟むのは内政干渉だとして、「何もしない」ということになった。提供事業者はこれまでどおりのサポートを表明したが、検索も自撮りのアップロードもできないスマートフォンなど意味はない。『アイ』は遠くない将来アプリのリストから消えるだろう。
 僕はこれから数カ月、これまでの『アイ』利用者のアンケート調査、提供事業者の残務整理、関連企業の対応、ライバル企業の対応、日本政府の対応などの資料を整理してアメリカに持ち帰ることになると思う。本国では同僚が様々なロビー活動の実態を調査・資料収集しているはずだ。
 この時期、東京でも盛大にクリスマスのデコレーションが施され、どこの街角もキレイな光に彩られている。でも、クリスマスは誰のためにある?少なくとも、今年のクリスマスはアメリカを祝うためのものだろう。

サポートのしくみがよくわからないので教えてください。