見出し画像

ちゅん太のいた夏(第八回)

【国民的童話作家のホームタウン】

次の日は朝から雨が降っていた。キャンセルが出たらしく温泉宿の予約も取れたので、のんびり出発することにした。隣の女性は山ガールファッションなので、知らない人が見たら残念なピクニックに見えるかもしれない。ローカル線に乗り、車窓を流れる美しい夏の緑を眺めながらこれからの旅について話し合った。
「私は涼しい東北で温泉巡りをするのが本来の目的で、特に予定を決めずに東京を出て来たんだけど、だんだんそんなプランになってきて嬉しい。でも付き合わせて良かった?」とウエノさんに訊いてみた。
「もちろん。温泉て、一人で行ってもつまらないでしょ。私も温泉でリラックスするの大好きよ」
「それは良かった。でもどうする、このまましばらくこうして行き当たりばったりの旅を続ける?」
「私もとりあえず中尊寺を目指してこっちに来ただけだから、あとはノープラン。それでいいんじゃない?」
こういう二人旅をしたことがなかったから、ちょっとワクワクする。本当は雀と二人旅だったのだが、やはり打ち明けないほうがいいだろう。温泉に着いたら雀にはもっと過ごしやすい自然環境が待っているはずで、ちゅん太にとっても悪い話ではないと思う。カバンの中に話しかけてみた。どう?ちゅん太クン。

   「キミのすきにすればいい」

相変わらずね。ありがとう。で、温泉は実際に行ってみてのお楽しみとして、もうひとつの花巻自慢、宮沢賢治についてはウエノさんはどう思っているのだろう。
「うーん、私ね、読書感想文のためかどうか忘れたけど、小学生の頃に夏目漱石の『坊っちゃん』を読んだの。で、最初から最後まで田舎と田舎者の悪口ばっかりでびっくりしたの」
と、なぜか夏目漱石の話を始めた。坊っちゃんなら私も読んだ記憶はあるのだが、爽やかな青春小説という印象だった。そんなに悪口書いてあったかな。
「それでね、舞台になっている松山ってどんなところかなあと思って図書館で調べてみたら、道後温泉とか、なんか街ぐるみで坊っちゃん推し、ってことになってるのね。それってどういうことなの?って思ったの」
「悪口言われているのに、自分で気づいてないってこと?」
「そうかもしれないし、それをわかってて、でも国民的作家のネームバリューを利用しているのか、まあそれはもうちょっと大きくなって考えたことだけど、とにかく小学生の私は混乱したの」
漱石は発奮してもらいたくて書いたのかもしれないけど、確かにウエノさんはそういうの苦手に感じる気がする。
「だからね、そういう有名作家と町おこしみたいなものがセットになっているのって、ちょっと疑っちゃう」
昨日の微妙な表情の理由はそういうことか。でも松山が赴任先だった漱石とは違い、宮沢賢治は花巻出身でもあるし、郷土愛のある作家さんじゃなかったかな。そういう心配はいらないと思うけど。
話をしている間にあっという間に花巻に着いた。温泉まではシャトルバスもあるし、タクシーで20分ぐらいだが、その前に食事も兼ねて花巻の市街地を散策することにした。

【ソフトクリームと雨ニモマケズ】

「時間的にそろそろお昼なんだけど、何食べる?」と訊いてみた。
「知ってる?レトロな有名食堂があるの。いわゆる昔のデパートの食堂よ」
「何それ?」またいつの間にか調べたのかしら。さすがウエノさん。
「マルカンビル大食堂。とりあえず行ってみましょうよ」
といって歩きだした。ちゅん太はまたこっそり放した。雨の中、徒歩で15分ほど掛かったが、これはこれで食前のいい散歩だ。
「こういう地方の百貨店にありがちだけど、経営不振で一旦閉店になったのね。でもいろんな人の努力で復活したの。クラウドファンディングも使ったみたい。見た目はレトロだけどやり方はイマドキよね。こんなことってあるのねえって思った」
ふ~ん。現在は耐震工事に向けて2~5階は閉鎖のままで、1階と食堂の6階だけがオープンしている。エレベーターで6階に上がってきたが、平日にもかかわらず結構な混雑だ。入り口のショーケースもテーブルも椅子も確かに昭和そのものね。照明もステンドグラス風だったり、私もそんなに昭和を知ってるわけじゃないけど、タイムスリップした感じってこれでしょ、まさに。私はカツナポリタンという、スパゲティととんかつが一緒になったような一品と、ウエノさんは看板メニューのマルカンラーメンを頼んだ。どちらも結構なボリュームで、二人とも少し残してしまった。
「でもね、ソフトクリームいっとくでしょ?」
「え~もう何も入んないよ」
「フフ、別腹別腹」
といってウエノさんは追加の食券を買ってきた。そして目の前に、通常の2倍ほどの高さのソフトクリームが現れた。お腹はパンパンんだったが、美味しいから意外とすんなり収まった。
「おいしかった~ああでももう無理。ホントに何も入んない。動けない」
「別腹な気がしただけだね。ハハハ」
なんだろう…なんだろうこれは。た、楽しい。ただこうして目の前の人と歩いてご飯を食べているだけなのに、こんなにリラックスしたのはいつ以来だろう。
食堂の中に、人々のざわめきが響いている。皆一様にうなずいたり笑ったりしている。外はしとしと雨が降っているけれど、ここだけ別世界のようだ。このまますっぽりとこの空間が東京に移動して、何事もなかったように日常が始まればいいのに、と思った。
「では、腹ごなしにお散歩しよ。大丈夫?行ける?」とウエノさんは言った。
マルカンビルのすぐ裏手に、宮沢賢治の生家跡があった。そこからまた15分ほど歩いて宮沢賢治の詩碑まで来てみた。高村光太郎が賢治の死後に彫った詩碑だ。
「歩いたね」
「いい眺めね、ここ」
詩碑のある場所はちょっと高台になっていて、北上川の河岸を眺めることができる。先程の食堂のざわめきとは打って変わって、雨が木の枝から大粒にまとまって落ちてくる音以外は何も聞こえない、寂しい場所に二人は立っていた。
「ここは羅須地人協会といって、宮沢賢治が私塾みたいなもの開いてた場所なの。もう建物は移築されてここにはないんだけどね。農家の人に農業は芸術だとか言って音楽を聞かせていたらしいわよ。あとエスペラント語を教えたり」
例によってウエノさんの「調べ力」は快調だ。ネットだとは思うがいつ目を通すのだろう。それに今はそらで喋っているわけだから、記憶力もなかなかのものだ。本当、この能力を活かす場面は世の中いくらでもあると思う。
「やっぱり『雨ニモマケズ』が代表作ってことになるのかな。私は読書も資料を見るのも好きだけど、あまり詩とか小説とか、ピンと来ないのよね」とウエノさんは言った。どうも興味の対象が人よりも建物とか数字に向かうようだ。
「ホメラレモセズクニモサレズ、ソウイウヒト二ワタシハナリタイって言ってるけど、結局どういう人ってこと?」私は、ウエノさんがその辺も調べ済みで、苦手と言いつつ答えを出してくれるのを期待して話を振ってみた。
「ひとことで言えば無私の人、ってことかな。ムシって自分のことは後回しで、人の役に立ちたいってことね」
みんなそんな人格に感動して宮沢賢治を好きになっちゃうのだろう。素晴らしいことだけど、なんだか自分にとって都合のいい人を求めているだけの気もする。ウエノさんにはこんな返答をしてみた。
「私だっていつも人の役に立ちたいって思って生きてるはずなんだけど、なんか空回りしてるっていうか、何の手応えもないっていうか。どこかで自分が大事って思っちゃうのかな。やっぱり無私の気持ちが足りないのかな」
「言うは易しってことね。そう。私もどうしてみんな私といると怒り出すのかって時々考える。理由が分からなくて悲しくなる」
ウエノさんも人の役に立ちたいと思っているのね。当たり前といえば当たり前のことなんだけど。でも本人の口から聞くとちょっと切ない。流木にかろうじて捕まった子犬が、目の前の川で流されているのを為す術もなく見ているような気分だ。
どこか近くの木の枝から、ちゅん太が話しかけてきた。

   「あめだから ついてくるの たいへん」

ああ、ゴメンね。どう?花巻は。

   「ここにもステキに おぼえたい おじいさん いた?」

そうね、おじいさんじゃなくておじさんだったんだけど。みんなにいろんなこと伝えたかったみたい。でもおじいさんになるまで生きられなかったから、なかなか全部の想いは伝えきれなかったと思うけどね。残念ね。長生きしたほうがいいわよ。

   「ヒトはそうだけど スズメは すぐ しぬ」

そうか。そうだったね。それを考えるとこっちもまた切ないなあ。なんか、上手く行かないね、なんでも。さてこれからどうしよう。「ウエノさん、どうする、これから」
「もう温泉行っちゃおうか。ゆっくり浸かろうよ。チェックイン前に行って、入っているうちに部屋が使える時間になるよ」
なるほど、そうだね。じゃあ行こう。ちゅん太クンは早く隠れて。

つづく

サポートのしくみがよくわからないので教えてください。