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ちゅん太のいた夏(最終回)

【窓の外のちゅん太】

この夏通り過ぎてきた遠い東北のことを想い、夜風を入れようと窓を開けた。ちゅん太が、目の前に待っていた。

    「コトバ よみおわった?」

うん。どうしたの?改まって。

    「おわかれを いいに きた」

ちょっと勘弁して。会社も今日辞めてきたんだし、ちゅん太クンがいなくなったら本当に私一人ぼっちじゃない。どうしてみんな私から離れて行くの?どうしてなの?そこのところを小1時間問い詰めたいよ。

    「にげてばかりっていわれて ずっと きにしてた」
 
    「だから にげない たたかうことにした」

    「ママを おそった カラスと たたかいにいく」

絶対かなわないって、自分で言ってたじゃない。やめなよ。

    「たぶん しんじゃう」

    「それでも おもいを のこすほうを えらぶ」

残さなくてもいいよ。なんで伝説の勇者気取りなの?私には、まだキミが必要だよ。上から目線で私を導いてって、お願いしたでしょ。

    「じぶんで あるきなって いった」

    「そう キミは なんでもできる」

    「そして ボクは ボクが したいことを する」

それがカラスとの戦いなの?飛躍しすぎだよ。鳥だけに。

    「スズメは おくびょうだって バカにした」

    「だから おくびょうでないしるしを のこさなくちゃ いけない」

あ、ごめんごめん、本当にごめん。頭に来てたの?今からいくらでも謝るから、考え直してくれない?

    「もう キミと はなすことは ない」

    「あえて よかった」

    「さようなら」

チチチっと、いつものように鳴き声をあげて、飛び去ってしまった。全てのイメージが、いつもより強く、尖ったように私に届いた。決意のような「おもい」を感じたが、それはちゅん太自身を鼓舞するものではなく、なぜか私の背中を押すような圧を持っていた。

前向きになれる別れとか言っちゃったけど、ちゅん太とはまだ別れたくない。心の準備ができてないよ。もう、何よ。みんなして。私が何をした?どこかに行っちゃうんじゃなくて、文句があるなら言って。私を一人にしないで。何が欲しいわけでもないの。みんなとただ楽しく過ごせれば、それでいいの。どうしてそれを許してくれないの?どうして?
こうしてまた、疲れて眠り込んでしまった。きちんとした時間に、きちんとしたルーティーンで、規則正しく眠りにつこうと思っているのに。結局こうしてカーペットの上で倒れるように眠ることになる―――。

【さよならは始まり】

これが、半年ほど前に起きた、初夏から夏にかけての私の出来事だ。いろんな人に本当にお世話になった。よく泣いた。そして私は、30歳になった。
まず、東日本大震災で亡くなったすべての方々のご冥福を心から祈りたい。発災からもうだいぶ年月が経ったが、まだ発見されていない方も大勢いる。残された人々の、言葉にならない葛藤もずっと続くのだろう。想像を超えた大きな力が、有無を言わさず大切なものを奪うことがある、ということを忘れずにいようと思う。
そして恐山に行く全ての人々の想いが、愛した人に届くことを祈る。

旅の間、ここまで書いた以外の人とも、多くの出会いがあった。平泉の蕎麦屋の店主、一関のコンビニの店員、花巻の食堂の人々、大沢温泉の従業員、三内丸山遺跡にいた親子連れ、大湊線で乗り合わせた中年カップル(たぶん不倫)、とにかくいろんな人と話をした。
会社を辞めて暇だったので、付けていた日記をもとに、彼らを思い出して旅ブログを書いてみた。よくある自分語りとそう変わりないと思うのだが、ユニークな人がいっぱい出てくる、ということでちょっとした人気になった。そこから、旅について、あるいは人間観察についての書き物の仕事が少しずつ入るようになり、現在はフリーライターの真似事のようなことをしている。ギャラはまさに雀の涙程度だが、有り難い話だ。天上界から下ろされたた蜘蛛の糸みたいに、これにすがってやり直すしかない。だから余計なことは考えずに、来た話はすべて受けている。

鳥恐怖症のおばさんも、土産物屋のおばさんも、優しい小学生と厳しい母親も、説教好きのおじいさんも、観光ガイドのおばあさんも、ペンダントづくりのカップルも、イタコの口寄せに並んだ人たち、それ以外に出会った人たちも、みんな懐かしい。みんな元気にしているだろうか。
彼氏とも、時間を置こうということでそのままになっている。どれぐらい期間を空ければいいのか、さっぱり見当もつかないけれど、こういうことは流れに任せるしかない。くっつくのも離れるのも、神のみぞ知るだ。会社も友人も、つないでいたものは全て一旦離れてしまったが、きっと何もないところから始めなさいという導きなのだろう。

サトウさんとは時々連絡をとっている。あれ以来、生きる気力が湧いてきて、充実した日々を過ごしているとのことだ。私もこれまでのところ霊媒体質が発現していないので、どちらにもホッとしている。サトウさんはまだ、自分の娘さんとダブらせて私を見ているかもしれない。今度会う時は、私は私であるということをわかってもらいたい。数少ない私が戻れる場所だ。東北は涼しいから、行くならやっぱり夏だ。
そしてウエノさん。無事仕事に復帰したのかな。もしかしてまだ旅を続けていたりして。とんだポカをしたもので、電話番号もLineのID(持っていればの話だが)も交換していなかった。彼女がやろうと思えば、宿泊したホテルに問い合わせて、私の連絡先ぐらいはわかると思う。でもしないだろう。彼女のフルネームだけは知っているから、一度フェイスブックを検索してみたけれど、SNS全般に苦手なはずでいるわけもなかった。最後に書き置きだけで別れたのが心残りだ。「あめゆじゆとてちてけんじや」そんな風に上手に甘えて欲しかった。これから私は、夏に浴衣の女性を見かけるるたびにウエノさんを探すことになるのだろう。

ちゅん太が私を必要としていた理由は、うやむやになってしまった。彼にしかわからないことだし、だからもう永遠にわからない。でも最後に人間界のしきたりに従って、離れる際には別れを告げるという礼儀を示してくれた。黙って去って行っても、彼が困ることは何もない。でも私のために「おもいをのこす」方法を考えてくれたのだ。カラスと戦うなんて、一世一代のウソだったと思いたい。死んでもいいとか格好つけていたけれど、やっぱりそこまでの無茶はしないはずだ。雀の世界にウソはないと言っていたから、私の側にいる間にウソつきになったのだろう。申し訳ない。
ちゅん太がイメージの回路を切っている限り、私は彼と話せない。それに見た目だけでは、私にはどの雀がちゅん太なのかわからない。きっと雀の群れに戻って、いままで通りの暮らしを続けているに違いない。そう、信じたい。

今日も窓を開けて、雀たちにパンくずをあげようと思う。きっとこの中にちゅん太がこっそり紛れていて、その小さな黒い瞳で見守ってくれているだろうと想像する。以前と何も変わらない光景だけれど、その羽ばたきも、そのさえずりも、全く違った意味を持つ。
さよならばかりの夏だった。でもそのひとつひとつが、何かの始まりなのだ。今はそう思う。だから心の窓を開けておかなくてはいけない。私はあと何回、夏を過ごすのだろう。できればその一回一回を素晴らしいきっかけにしようと決めた。

おわり

サポートのしくみがよくわからないので教えてください。