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ちゅん太のいた夏(第十回)

【縁日と不思議な体験】

次の日は朝からよく晴れていた。私は早起きしてこっそり朝の露天風呂に入った。東京とは違いもともと澄んだ空気の地域だが、雨で洗われた朝の空気はまた格別だった。よくお風呂に入って「あ~生き返るう」と声を出すのがお約束だけれど、紛れもなく今の私の気分そのものだった。そのあと朝食を摂りに、ウエノさんと一緒に旅館の食堂に入った。
玉子かけごはんを食べながら、ウエノさんが私に訊ねた。
「ねえ、今日縁日行こうよ」
「どこの?」
「花巻ではね、7月の後半は毎日宵宮(よみや)をしているみたいなの。縁日もあるよ。夏まつり。行かない?」
また調べ済みらしい。余計はことは言わずに付いていくのが基本路線だ。
「もちろん行く」
「じゃあ浴衣、持ってる?」
お互い最低限の着替えしか持っていないのはわかるはずだが。
「持ってないよ」
「縁日行く前にどっかで買わない?」
「え~もったいない。今日しか着る時ないでしょ?」
「いいじゃない。記念よ。旅の想い出」
中尊寺に行くのに山ガールになってしまったウエノさんからすれば、当然の選択なのだろう。普段の私ならあり得ないが、これも旅の恥をかき捨てる行動なのかもと思い、一応同意した。
「花巻にもさ、洋服のチェーン店みたいのあるよね。そこで手頃な浴衣売ってるでしょ。着替えてから駅のコインロッカーに洋服はしまっておけばいいし」
午後、シャトルバスのある時間に花巻駅に向かうことにして、それまでまた温泉に入ることにした。考えてみれば、住所も電話番号も知らない相手と、なぜかこうしてどっぷり裸の付き合いをしている。急に可笑しくなって、フフッっと笑ってしまった。
「そんなに温泉入るの嬉しいの?」とウエノさんが訊いてきた。
「いや、なんかまだ友達でもない気がするのに、こうしてお互い裸と裸の付き合いになってるのって、可笑しいなあと思って」
「そうね。でも洋服を着てる着てないに、どれぐらい意味があるかな。それに私たち友達じゃないの?」と言って、ウエノさんは真顔になった。
言われてみればそうかもしれない。もし入れ墨を彫っているとか、女装フェチとか、着衣と裸体で見る人に与える印象が変わるならば別だが、通常アイデンティティーは変わらない。同性どうしなら基本的に性的な意味もない。裸体が変なのであれば、こうして公衆の場に浴場がある事自体が変なのだ。
湯場に入り、昨日からおなじみの光景を見ながら、生きててよかった、と早朝と同じ感慨がこみ上げてきた。私は単純な人間だとつくづく思った。するとしばらくして、後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。
「こんにちは。どう?いい温泉でしょう?」
うわ、と声が出そうになったが、昨日のご婦人がそこにいた。
「こ、こんにちは。もしかして、地元なのに宿泊されてるんですか?」と恐る恐る訊いてみた。
「いいえ。年金生活で暇なだけよ。昨日今日はたまたま続けて来ちゃって、たまたまお二人と一緒になったけど」
もしかして、同性であっても裸体に意味を見出してしまう方面の人なのだろうか。
「ごめんなさいね。ハトが豆鉄砲を食らった顔って言い方があるけど、お二人ともさっきそうだった。たまたまだから本当に気にしないでね。ゆっくりお風呂を楽しんで」
お互いしばらく無言が続いた。ウエノさんが珍しく、その沈黙を破るようにご婦人に話しかけた。
「今日、花巻の夏まつりに行こうと思っているんです」
「ああ、よみやね。楽しいわよ」
ご婦人は、ひとしきり花巻の宵宮について話してくれた。7月に市内にある寺社を持ち回るような形で、21カ所で奉納神楽が行われ、半分ぐらいは出店が軒を連ねる縁日になる。7月後半はほぼ毎日どこかで宵宮が行われる。こんなに毎日お祭りをするのは全国でも珍しいのではないか。だそうだ。
「無計画でやってきて、おまつりに会えるんだから運がいいです」
「そうね、私がそうだったように、お二人も賢治に呼ばれたんじゃないかしら」
「昨日ボランティアガイドしているっておっしゃってました。どちらでされてるんですか?」と私が訊ねた。
「やっぱり宮沢賢治記念館が多いかしら。見どころや資料の解説とか」
「みなさん宮沢賢治がお目当てて来られるんですか」
「そうねえ…7割ぐらいそうかしら。私は、賢治はお釈迦様みたいな存在だと思っているの。昨日、裕福な子供時代だった、って言ったでしょ。そこから修行僧のような農業生活を経て、民の救済を目指したりして。私はね、彼の想いが今まで続いて、花巻を支えてくれていると感じているの」
 今日も私たちが先に湯から出たが、二日も続けて会った人の名前を聞き忘れた。裸でいると、名前もかなりどうでもいいモノに思える。あとで考えれば、ちゃんと訊いておくべきだったのだけれど。

午後、温泉を出て花巻に出かけた。衣料スーパーで浴衣と下駄を買い、着替えて市内をそぞろ歩いた。そこかしこに浴衣姿の女性がいて、夏まつりの気分が盛り上がってきた。
浴衣に着替えたウエノさんは、山ガールと違った色気があって、女性の私でも惚れ惚れするほどだ。東京にいても縁日なんてめったに出かけないが、ウエノさんと夏まつりを楽しむことができて幸せな気がした。
わたあめ、たい焼き、大判焼き、ソースせんべい、じゃがバター、ベビーカステラ、バナナチョコレート、タコ焼き、焼きそば、お好み焼き、肉串。ああ何食べよう。全部食べたい。
金魚すくい、ヨーヨーすくい、スーパーボールすくい、射的、輪投げ、型抜き、千本引き、全部遊びたい。金魚すくいと射的はとりあえずやった。二人とも金魚もおもちゃも収穫ゼロだったが、思っきり笑いあったからそれでいい。
ソースとしょうゆの焦げる匂い。ザラメ砂糖の熱された匂い。あんことクリームのまとわりつくような匂い。そしてアルコールの立ち上る匂い。それらの匂いの粒が夏の暖かい空気に溶け込み、渾然一体となって私たちの周りを漂っている。
子供たちの歓声、大人たちの笑い声、どこかのスピーカーから流れる太鼓の音、発電機の奏でる通奏低音と振動。
全ての物体に水飴が塗ってあって、白熱灯の光を艶かしく反射し、舐めればもれなく甘い味がするようなこの時間が、永遠に続けばいいと思った。
神社に着くと、奉納舞踊が行われていた。鹿(しし)踊りと言って、鹿を供養する舞いなのだそうだ。ウエノさんと二人で置いてある椅子に座り見物することにした。角が生えているお面のようなものを被り、それぞれ太鼓を持った踊り手がそのときは5人、躍動感あるステップを踏んでいた。背中に2本、白くて長い飾りのようなものを付けていて、身体の向きによってその長い飾りも華麗に揺れる。私には最初一人でやる獅子舞に思えたのだが、力強い太鼓のリズムをずっと聞き続けていると、いつしか鹿の精霊が目の前で飛び跳ねているような錯覚を感じた。
(ドンドコドンドコドンドン、ドンドコドンドコドンドン)
(ドンドコドンドコドンドン、ドンドコドンドコドンドン)
気がつくと、その5人の一番奥でウエノさんが浴衣姿で踊っているのが見えた。
「!?」私は言葉を失った。まるで5頭の鹿を統率するように、しなやかに両腕を振り回し、中腰で足元も太鼓の拍子に合わせて小刻みにステップを刻んでいた。
周りを見回してみたが、見知らぬ飛び入りの踊り手が参加しているのも気にもせず、皆神妙な顔で踊りを見つめていた。さらに信じられないことに、さっきまでウエノさんが座っていた私の隣に、温泉で出会った老婦人が座っていた。いつのまに?
「賢治もこの鹿踊りを数え切れないほど見ていたはずです。鹿踊りがどうやって始まったのかの話も書いているぐらいです」まるでガイドをしてくれるように、彼女は話し始めた。
「ウ、ウ、ウエノさんが…」と、私は絞り出すように訊ねた。
「賢治がお釈迦様なら、彼女は天細女命ね。とっても踊りが堂に入ってるわ」婦人は目を細めて鹿踊りを見つめていた。なんだっけ?アメノウズメって。アマテラスが岩戸に隠れた時に踊って誘い出した人、じゃなくて神様だっけ。
そうではなくて、飛び入りで踊っているのは可笑しくないんですか?ということを私は訊きたい。「へ、変ですよね。大事な奉納神楽によそ者が飛び入りして」
「あら、何も変じゃないわ。あなたもいかが?」
彼女がそう言うと、ウエノさんが私を手招きしているのが見えた。私が腰が抜けたように固まっていると、ウエノさんは手でおいでおいでをしながら近づいてきた。うそ、やめて、私は踊らないから。無理無理。来ないで。もうそこまでウエノさんが近づいた時、急に太鼓の音が止み、無音になった。女性の「どうしたの?」という声だけが聞こえた。
「どうしたの?大丈夫?太鼓の音うるさい?」と言う声がして、誰かが私の背中をさすっている。私はそのとき、両手のひらで耳をふさぎ、目をつぶって背中を丸め、ほとんどうずくまるような姿勢をしていた。それから恐る恐る背中を伸ばしてみた。
「あれ、ウエノさん?ずっとここにいた?」ウエノさんは、何事もなかったように隣に座っていた。また太鼓の音が鳴り出した。
「うん、ずっと鹿踊り見てたよ。カッコイイね。鹿踊り。でもふと隣を見たら、あなたが耳をふさいで小さくなっているから驚いちゃった」
「だってウエノさんが…」と言いかけて、もう老婦人もいないし、私が何かの拍子に妄想を見たのだと考えた。「そうね、なんか聞き入っちゃって、こう、入り込みすぎちゃったのかな」
「だよね。迫力あったし、どんどん引き込まれた。最高だった。」
ウエノさんは私を心配して、もう帰ろうか、と言ってくれた。私はすっかり元通りの気分だったが、帰ったほうがいいだろうとなんとなく思った。駅のロッカーで着替えて、例によってちゅん太をカバンに忍ばせた。もうお互い慣れたもので手際がよくなってきた。
タクシーの中で、ちゅん太に話しかけてみた。ねえ、見てた?鹿踊り。

    「うん。なかまのヒトもおどってた」

やっぱり!そうだったでしょ。あれ、どういうこと?

    「あのヒトは ココロで いっしょに おどってた」 

    「だから もうひとりの じぶんが あらわれた」  

え?何言ってんの?分身?もう訳がわからない。

    「よくある こと」

    「ヒトは ココロではなさないから みえない」

よくある?世界は分身だらけなの?

    「このまちには そのケンジさんとか、ここのヒトたちとかいろんなおもいが ある」

    「そして おまつり やってる」

    「そういうとき じぶんの なかの じぶんが そとに でる」

ちゅん太くん、私よくわからない。いいわ、またあとで話そう。そのうちにね。
旅館に戻り、すぐに温泉に入った。一旦今日の縁日の空気を身体から洗い流して、リセットしたほうがいいような気がした。温泉から上がり、部屋でウエノさんが言った。
「私、宮沢賢治にそんなに興味があるわけでもないし、そろそろどこか行かない?」今夜あったことは、まるで意識にないようだ。私も特に気にしていない風を装って答えた。
「うん、どこに行く?」
「青森行かない?」とウエノさんが提案してきた。「三内丸山遺跡って、知ってる?縄文時代の遺跡。実はね、平泉から足を伸ばして行こうかなって最初は思っていたの。でも一人だと、そんなに何箇所も行くの無理だなって、あきらめてたんだけど」
「行ってみましょう」もちろん、温泉で楽しい時間を過ごした私に断る理由はない。その日は時刻表の確認だけで、ホテルの予約はできなかったがなんとかなるだろう。次の朝、青森に向かうことにした。

つづく

サポートのしくみがよくわからないので教えてください。