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ちゅん太のいた夏(第五回)

【話好きの多い温泉街】

山の麓に湯気がたなびいて、旅館のビルが何軒か立っている。日本中によくある温泉の風景だ。昔家族で、温泉に行った記憶がある。どこの温泉だったのか、どんなお湯だったのか、今では思い出せない。楽しいはずの旅行なのに、母親がどことなく悲しそうだったのを覚えている。なぜあのとき、母は悲しかったのだろう。私がはしゃぎすぎて、ちょっとセーブしなきゃって思ったのかな。それとも私の思い違いかな。
ねえちゅん太クン、死んじゃったお母さんのこと、覚えてる?

    「ママはきれいな スズメだった」
   
    「ママがくれたムシが いちばんおいしい」

雀にも顔がキレイとかあるの?あとおふくろの味?人間のお母さんと変わらないのね。ちゅん太クンの心から、柔らかいイメージがふわっと広がるのが伝わってきた。頬にカシミアのセーターが触れたような、今までのどのイメージよりも幸福感があった。あとちゅん太クンのお父さんは何してるの?

    「パパとママ なかよしだった」
    
    「ママがしんで そのあとわからない」

家族でいる期間が短いから、寂しいね。雀は、なんでも人間より駆け足で過ぎていく。圧倒的に人間より早死にする。そう思うとなんだか切なくなってきた。ちゅん太は、この先いつまで元気でいてくれるのだろう。なぜか、彼がずっと側にいてくれる前提で考え始めている。
宿を探しながら、温泉街を散策してみた。外に出るときはちゅん太は放し飼い状態で、ときどき肩の上に乗せて歩いたりした。当然、気がついた人は珍しそうに振り返る。
「なにこのスズメ めんこいごと。エサっこ欲すいのだべか」
さっそく土産物屋のおばさんが話しかけてきた。こけしとか、お皿とか、テナントとか、時間が止まったような品揃えの土産物屋で、おばさんは屋号の入った法被を着ていた。こんなに訛っていて、お客さんとちゃんとコミュニケーションできているのだろうか。
「あの、このへんでオススメのホテルとか、ありますか」
「スズメっこ、ずっとすがってるでば。あんだ優しいど思われでんだべか」
人の話は聞かずに、雀ばかり見ている。いつの間にか、手におまんじゅうの切れ端を持っている。
「ほれ、スズメっこ。食べるべか」
もちろん、人馴れしているちゅん太はそれを美味しそうについばんだ。おばさんは大喜びだ。
「なんだべ手がらそのまま食べだよ。めんこいごと。あんだどこがら来たの。東京?」
結局私の質問には答えてもらえなかったが、悪い気分ではなかった。平和な温泉だ。ちょっとの間、足を留めてもいい。
私は温泉街の食堂、ちゅん太は市街地を飛び回り、お昼を済ませた。街歩きを続けていると、今度はランドセルを背負った男の子が声をかけてきた。ショート丈のズボンのチェック柄といい、麻素材の襟付きシャツといい、ちょっと裕福な家の子供のようだった。
「スズメ、なんで逃げないの?」
近くに小さな公園とベンチがあったので、いっしょに座った。手に乗せてみる?と聞いたら「うん」と言ったので、ちゅん太に乗り移ってもらった。ずっと目をキラキラさせてちゅん太を見ている。でも「キラキラさせて」じゃ、この子の興奮とか驚異とか情愛とかの雰囲気をぜんぜん言い足りてない。私の貧相な表現力がただただ残念だ。

    「このこ まえは はなせてた」

ちゅん太が言った。あ、そうなんだ。何かを感じたのか、質問していないのに男の子から話し始めた。
「イヌとかね、ネコとかね、どうぶつを飼いたいけれど、ママがダメって。あなたはどうぶつばっかりでべんきょうしなくなるから。それにきたないって」
話を聞いてみると、この子は外に出ると犬も猫もよく懐いてきて、ずっと動物とじゃれあっている状態になってしまったらしい。(そりゃ話せるから!)
母親は逆に心配して、もっと友達と遊んだり、勉強が好きになって欲しいのだという。だから、汚い汚いといって、動物を遠ざけようとしたようだ。わからないでもないが、この子には気の毒だ。

    「だからいま はなすの やめてる」

これが話さなくなるってことなのね、ちゅん太クン。なんだかかわいそう。好きにさせてあげればいいじゃない。

    「もしママがすきに させても ほかのヒトが じゃまする」

    「かわったこ だねえ とか うたがう」

ねえキミ、今日雀を手に乗せたこと、ママに話す?
「ううん、はなさない。またしかられるよ」
自分で言うのもなんだけど、小学生が雀を手のひらに乗せて微笑んでいるような、こんな素敵な場面にはなかなか出会えるものではない。これを身近な人とわかち合えないのはとても残念だ。
「いいの。ママが好きだから」
やっぱりそうなんだよね。動物かママかで言ったら、ママだよね。ちゅん太クン、みんな動物と話せなくなるわけだよね。

    「だよね」

と言って、ちゅん太はさっと飛び去った。何かを察知した証拠だ。
「あ、ママ」
彼の母親が近づいてきた。小学校低学年みたいだし、迎えに来ていたのだろう。
「お母さんですか、ごめんなさい。お子さん呼び止めちゃって」
「おねえさんと、おんせんのおはなししてたの」
「さあ、行くわよ。塾の時間でしょ。すいません、お世話になりました」
二人はそそくさと去っていった。背中越しに、知らない人と話したらダメって学校で教わってるでしょ、という声が聞こえた。動物と話ができないどころか、子供とも簡単には話ができない。そういう世の中だ。
歩き疲れたので、街中に点在する足湯のひとつにつかっていると、常連と思しきおじいさんが斜め向かい側に座って話しかけてきた。背筋は伸びているがヨレヨレのジャージに手ぬぐい姿だ。おじいさんということもあって、何の警戒心もなく話に応じた。
「足湯は最高だべ」
「はい。全身浸かるのと変わらないぐらい疲れがとれますよね」
「オラも毎日来てるからな、寿命も伸びでホレ元気だべ」
お互い、湯に浸かった自分の足先を見ながら他愛ない話をひとしきりしたあと、おもむろにおじいさんは言った。
「女の人が一人で旅行すんのはだいたい男が理由だべ」
いきなり失礼な。セクハラか。別にそんな理由ではないです。いや微妙にあるかな。わかんない。私がムッとして黙っていると彼は続けた。
「最近ホレ、自分探しだの言うべさ。それで旅に出だりしてな。よぐ来るんだ。んだども旅で探すのは食べ物だの名所だのお土産だので、自分は見つからねえべな」
「仕事に疲れたので、ちょっと温泉に浸かりたかっただけですから」
「自分がよく映る鏡が見つかれば、探しものがそこにあるべ。鏡って言っても、ガラスの鏡じゃなくて、目の前にいる人のことなんだなあ」
手書き文字で有名な詩人みたい。どうした老人。本人でもあるまいに。
「誰と会って何を話すか。自分が見つかるとしたら、それしかねえべなあ」
そう言って、彼は常連らしい慣れた身のこなしで足湯場から去っていった。
自分なんか探してません。勝手にいろいろ決めつけないで欲しいよ。説教され損な感じで、またも呆然としてしまった。ほんと最近呆然とさせられるなあ。

    「だから ボクと はなす」

その辺を飛んでいたちゅん太が戻ってきた。

    「キミの かがみは ボクかな ほかのヒトかな」

また聞いてたの、人の話。だいたい鏡なんてどこで知ったのかしら。ビジネスホテルの洗面所でこれなあに?って訊かれたかも。学習能力が意外と高いのね。

    「じぶんが なにを したいのか どう いきたいのか」
    
    「ボクと はなして よく かんがえたほうが いい」

何よ、みんなして説教して。だいたいそんなこと、いままで深く考えたこともないのに、急にわかるわけないじゃない。

    「スズメは あしたまで いきられればいい そのくりかえし」

    「かんたんだけど キミに できる?」

無理。でも「明日まで生きる」が一区切りだとしたら、やるべきこと、やらなくてもいいことが、だいぶはっきりするかもね。一瞬もムダなことはできないし。ただそんなに簡単にいかないのよ。人は誰だって、明日死ぬ前提で考えたりできないよ。
予約もない女性の一人旅を警戒して、空いているはずなのにうまく断られたホテルもあったが、最終的には手頃な規模と価格の観光ホテルに決まり、チェックイン。大浴場にも入った。ああ、いい気分。部屋で固形燃料でグツグツやる式の御膳を食べて、ますますいい気分だ。ちゅん太にはパン式晩御飯を、横で食べてもらった。この調子で無事に旅が続くといいね。ちゅん太クン。そうだ、スマホで日記も付けておこう。
それから2~3日は、近くの江合川をブラブラしたり、花山湖まで行ってダム見物したり、近場の自然を満喫した。ちゅん太と一緒にいると、自然の知識の豊富さに驚いた。この草は地味に見えるけどこれからキレイな花が咲くよ。この樹の実には毒があって食べてはいけないよ。あの雲が出て北から風が吹いたら、夕方には雨が振るよ。草木や自然現象について、いろいろなことを教えてくれた。都会っ子な割には、自然に詳しいのね。

    「まちなかでも さがせば いろんなくさが はえてる」

    「てんきも わかる」

    「ヒトが きづかない だけ」

雀も、いろいろ勉強してるってことね。

    「ボクたちのこと どれぐらい バカだと おもってる?」

ちょっと、バカとかそんな、思うわけないじゃん。そういう視線で見てないというか…うん、ごめん。確かに話が通じること自体が、今でも変だなって思っている自分がいるの。ねえ、カラスとか頭いいみたいだけど、雀のことどう思っているかな?

    「べつに ボクたちを バカにしたりは しない」

    「つよいか よわいか だけ」

ていうか、「バカ」も本来キミたちの発想にはないでしょ。さてはホテルで一緒にテレビ見て覚えたな。

    「ヒトは あたまが つよい よわいを すごく きにしてる」

    「あたまが つよい ヒトは えらい」

    「あたまが よわい ヒトは こまる」

それはそうでしょう。なにしろ人間は頭を使うことが多くて、そう、キミたちの翼みたいなものだよ。頭が良ければどこまでも飛んでいけるし、弱ければそのへんをウロウロするしかない。

    「とぶときに だいじなのは ゆうき」

ふーん。でも雀は種族全体が臆病な感じじゃない。おまえが言うな、だよ。それに雀だってそれぞれ頭の回転の良し悪しはあるでしょ?

    「はらペコにならないために だいじなのは かんがえることじゃない」

    「まずうごくこと」

町に帰って来たら、小学生とその母親たちが、遠巻きにこっちをみてヒソヒソ話をしているのに気づいた。ちゅん太が気を利かせて、建物の庇の陰から、何を話しているか聞いてきてくれた。

    「コドモをねらう あやしい ヒトって おもわれてる」

    「すっかり うわさに なってる」

発信元はこの前のお母さんか。はあ。いい温泉だったのになあ。しょうがない。ひとまずこの町から退散かな。ちゅん太クン。
次の日、奥の細道湯けむりラインに乗って古川駅まで出て、東北新幹線を北上することにした。
その前に、ちょっとやっておきたいことがあるの。ちゅん太クン。お昼を食べてから、この前少年と話した公園の近くのカフェで、彼のお母さんが迎えに来るのを待った。直接通学路が見える場所ではなかったが、警戒されないので逆に都合が良かった。それに私にはちゅん太という優秀なスパイがいる。

    「きた」

早速偵察飛行から戻ったちゅん太が教えてくれた。店を出て、「こんにちは」と彼女に話しかけた。こうして正面から見ると、キレイなお母さんだなと、素直に思った。ジーンズにボタンダウンのシャツというラフな格好だったが、子供と同じくいい素材であるのはすぐにわかった。意外にも私よりも5センチぐらい、背が低かった。
「あの、一体何の御用でしょうか」
「いい温泉ですね。今日でここを去りますが」
彼女は少し安堵の表情を見せたが、なぜ私に話しかけられているのか、まだ理由を探している様子だった。
「誘拐とか、行方不明とか、そうならないように心配するのは親の役目ですから。あなたを疑ってるわけじゃないんだけど」
目の奥に沈んだ光も、言葉のトーンも、「疑い」以外の何も表現していなかった。
「息子さん、とても素晴らしい才能をお持ちになっていると思うんです。それに、人としてなによりも大切な優しい心と」
「ありがとう。でもあなたにあの子の何がわかるっていうの?」
「この前ちょっと話しただけですけど、あのまま見守っていただければ、本当に素敵な大人になると思うんです」
「だから何がわかるっていうの?責任が持てるの?余計なお世話だわ」
「責任も何もないです。言いたいから言ってます。お願いです。彼の素晴らしさは、本当はお母さんが一番よく知っているはずです。そのままの彼でいいと思います」
「もうお話はそれで終わり?あなたが男性だったら警察を呼んでます。この町を出るなら、早くしたほうがいいですよ」
そう言って彼女は、少し離れた場所にいたママ友の元に駆け寄っていった。時代劇なら、私は村人から石を投げつけられる不審な流れ者だ。邪魔者は去るのみ。
奥の細道湯けむりラインに乗りながら(これぐらいローカル線だと、ちゅん太は隠れもしない!)「どうしてあんなこと いったの?」とちゅん太が話しかけてきた。
キミと話すようになってから、言いたいことが我慢できなくなってきたの、知ってるでしょ。ちゅん太クンだって、動物と話せる人がいなくなるのは、寂しいんじゃない?

    「ヒトにはヒトの かんがえが ある」

そうだけど、あの少年の純粋な気持ちまでどこかに置き忘れられそうで、悲しいなって思ったの。でも確かに余計なお世話かもしれない。子供を育てる大変さは私にはわからない。次は我慢する。さあ、旅を続けよう。

つづく

サポートのしくみがよくわからないので教えてください。