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もう一度、逢えるのなら。


わたしには、2人お母さんがいる。

1人は生みのお母さん。

もう1人のお母さん。それがこれから話をする、Ann。

2011年8月。18歳の1か月。

アメリカのオレゴンに
ホームステイしたときのホストマザー。
当時60歳くらいだったはず。


Annの素敵さは、みんなを笑顔にする
チャーミングなその人柄。
そして、包まれるようなあったかさ。


いつも、どんなときも笑顔で
人のいいところをたくさん見つけて
たくさん褒める人。


アートが大好きで、自分が感じていることを
とっても大事にしていて
自由な表現の中で生きている人。


初日からそのあったかさに触れることになる。

わたしは
このオレゴンが初めての海外経験。
とてもドキドキしていた。

大学主催のプログラムだから
日本の学生と一緒に行ったけど、なかなか
自分をさらけ出して打ち解けられなくて。

飛行機の中も、乗り継ぎの待ち時間も、
なんとなく心細くて不安で、
そんな中で、現地に到着。
迎えに来ているホストファミリーと対面。


私はずっと泣きそうな顔を
していたんじゃないかなと思う。

対照的に、「あっちよ」って
車に向かって歩いてくAnnは
キラッキラの笑顔だった。
 

 
小学生の頃に英会話教室に通っていたこともあって
耳は英語に慣れていて。

すごくゆっくり話してくれているのがわかる。
出来るだけYes,Noで答えられるように
聞いてくれているのもわかった。


日本語なら本来すごくおしゃべりなわたし。(笑)
言いたいことも聞きたいこともたくさんある。
だけど、なかなか英語が出てこない。

車の助手席のわたしは
すごく縮こまって大人しい子になっていた。

静かな子だなって思われていたかも知れない。



わたしが迎えてもらったのは
Ann、Louisの夫婦のおうち。

家について見回してみると日本のものがたくさん。
わたしの部屋には書道や折り鶴。

娘さんが日本にいるので、
日本のものが多いのだとか。


わたしはやっぱりなかなか落ち着けなくて
はじめは自分の部屋にこもっていた。

しばらくして夕ご飯に呼ばれて
重い腰をあげてリビングに出て行くと

初日の夜ごはんはなんと、
ミソスープ!

そのあったかな配慮にびっくり。


次の日から、

とにかく話す時間を増やしたい!
黙っててもはじまらないよー!
なんのためにここまできたんだ!

と、自分に発破をかける。


学校から帰ったら
食器洗いをお手伝いしながら、
夕飯の支度をするAnnと話をするようになった。

(Annは食器洗いが大嫌いと言ってて、絶対仕事が残ってた。笑)
 

そんな中でAnnは、家族の話、
どんな価値観でどんな暮らしをしているのか
話をたくさんしてくれた。

ホストファザーのLouisはイタリア人でもともとコックさん。
料理が得意で週末には自家製のパンを焼いてくれる。
彼はフィシュタリアン(お肉を食べない人)

娘さんは日本で「根付」の仕事をしている。
Annは週末に陶芸をしたり、絵を描いたり。
彼女は猫が好き。


喉が渇いたら、
冷蔵庫にジュースが入っているし、
お腹が空いたら
冷凍庫にアイスクリームが入っているから
夜中でも食べていいよ。
(バケツのアイスクリーム常備。)

そうやっていろんな話をしたり
近所のスーパーに一緒のお買い物に行って
ご近所さんに紹介してもらったり
家族の一員に迎えられた感じがして、嬉しかった。


わたしも、大好きな家族に
わたしのことをもっと知ってほしくて
頑張って話をした。


あんまり英語を喋るのに自信がないこと
でも上手になりたくてここにきたこと

先輩が「オレゴンよかったよー!」
と素敵な自然の写真をたくさん見せてくれて
それに惹かれてここを選んだこと

美味しいもの、服がとっても好きなこと
この家に来れてよかったこと
ご飯がいつもとても美味しいこと


今となってはどんな風に伝えたかも
もう覚えていないけど、
とってもたどたどしい
英語だったんじゃないかなと思う。


その時は、伝えたい一心で。
苦手とか失敗したら
どうしようとかは考えもしなかったな。


いつもうんうんって聞いてくれて

あなたの発音はとても綺麗だよ、
全然下手じゃないよ
伝わってるよって伝えてくれた。
それはパパのLouisも同じだった。



この1ヶ月、本当にたくさん褒めてもらった。

発音が綺麗
あなたのファッション、かっこいいね
センスがいいよね
お友達が多くていいよね
笑顔がチャーミングだよね
アクティブだよね

わたしはこの家で暮らすようになって
自分のことをすごく認められたなって感じがした。


そんな、楽しくて幸せな1ヶ月は
飛ぶようにすぎて、
日本に帰って愕然とした

英語で伝えたい!と思えるような相手が
日本で暮らしていると近くにいなかった。


これから就職をするから
もう暮らすようにここ(オレゴン)にはこられない。
あんな風に話す時間はないんだ
もう逢えないかも知れない
そうやって、どこかで決めていた

「話したい人」がいないのに、
「話したいこと」がないのに
どうして学んでいるんだろ?
英語は伝えるためのツールなのになって、
どこかで気づいている自分がいて
英語からだんだんと気持ちが離れていってしまった。

国際系の学部だったから
英語に対して素直に
頑張って勉強している子を見ると、
自分はどこかで何かを間違えてしまったのかもなと
どこかでずっと後ろめたさを感じてた。




あれから今年で8年になる。



素敵な人、を書いているときに、
Facebookでタグ付けされた投稿が流れてきた

「お母さん誕生日おめでとう」
という娘さんの投稿だった。

それを読んで知ったのは
Annが2年前に亡くなっていたこと。
 

 
びっくりして
悲しくて悲しくて、たくさん泣いた


《大好きなAnnに、もう逢えないんだ。》

あの場所でもう一度Annと暮らすことを
わたしはもうとっくの昔に諦めていたはずなのに、

本当に可能性がなくなると
悲しくて涙が止まらないっていうのは
とても不思議だなと思った。


とおくに、逢いたい人がいる。

わたしのことを知ってほしい人がいる。
それは間違いなく
わたしの心の支えだったんだなと思った。


いまの生き方があるのは、
間違いなくあのオレゴンで過ごした1ヶ月のおかげ。

わたしはもう来られないかも知れないこの場所を
一つ残らず覚えていたくて
3000枚の写真を撮った。

それがわたしの写真の始まり


2年前に会社を飛び出して、
写真を通して人と話すようになった

Annがアートが好き、と言うように
胸を張って「写真が好き」
と言える自分に驚くこともあって。

わたしの中にはAnnがいて、
この2年間ずっと
支えていてくれたのかもって思った。

もう叶わない、もう届かない、
逢いたい。


もう一度逢えるのなら、
たくさん伝えたいことがあるよ。

でもいまは、英語忘れちゃってるから
ひとことだけ


もう一度Annに逢ったときに見せれるように、
これからも忘れたくない瞬間を撮り続けるよ。

あと、英語も勉強しよう。


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期間内に書ききれなくて、
すごく後ろめたい自分がいた。

素敵な人、をもう一度書こうと思ったのは、
みんなが自分の素敵な人について
大事にしまってあるものを
見せてくれたことがすごく嬉しくて。

素敵な人を通して、
みんなのことが知れたのが嬉しくて。

わたしもわたしの素敵な人を知ってほしいな
伝えたいなって思ったの。

わたしの伝えるの原点は、
伝えたい相手がいること
伝えたいことがあることなのかも知れない。


たくさんたくさん愛をくれたAnnと
この課題を出してくれた阿部さんと
もう一度書く勇気をくれた
企画生のみんなに感謝を込めて。


岡本彩菜



ありがとうございます!! 何度も感じたことを言葉にさせてもらってきた モスバーガーに還元します〜!!笑