見出し画像

最高の夏にしような!という自傷行為

こんにちはΔゆらです。ミスiDの書類で、将来の夢の欄に「日々の積み重ねが愛しいと思えること」と書きました。本当に、将来の夢であるとともに常に今かなえ続けたい夢でもあります。でも、多分それができるのは死ぬ直前とかになってしまう気がしていますが。

私は、思い出が苦手です。別に過去に辛いことが合ってそれを思い出すのがつらいとかではなく、いや、まあ、それは至極全うであり人間だれしもおそらくそうなんですが、楽しかったことも、それ以上に例えばかつて見たことのあるような陽のさし方や昔一度だけ通ったことのある道、特に夏は街の匂いが強いので思い起こされることが多くて、胸が締め付けられるようで苦手です。
重要なのは、辛い思い出だけでなく幸せなことやそうでない些細なこと、それらが私の胸を苦しめてしまうのです。これよくあることだと思ったら友人に理解されなかったので、ちょっと言語化頑張ってみます。

はじめて思い出すという概念に気づいたのは多分小2の夏ですね、多分。なんでここまで細かく覚えているかというと「夏休みに思い出す思い出がある」という事に気づいてしまった体験が強烈だったからです。だから多分その頃から「思い出」という概念が苦手。
今でも、例えば私は自分が個人で使っているインスタは食べログとして使用しているのですが、友人など人間との○○して遊んだなどの思い出を載せることがどうしても苦手です。これは多分自分の楽しかった思い出や楽しくなかった思い出を「インスタに載せる」という味付けをしてしまうことでその部分が濃くなってしまったり逆に当時以上に良いモノに見えてしまったりするのがなんとなく許せないからだと思います。ほかにも好きなバンドがライブでやった曲は記憶が塗り替わるのが怖くてしばらく聴けなくなります。逆にツイッターを遡るのは自分がその時何を考えたかを追えるから好奇心が満たされて割と好き。けっこう曖昧な境界だなぁ。
ただ思い出が苦手というのは多分かなり日常生活で足枷になります。かつての通学路をかつてと違う服を着て通るときの泣けないだけに苦しい虚しさや、強烈な夏の日差しと蝉の声と土の香りで立ってる時の幻みたいな懐かしさ、知ってる道を初めての人と歩くとき、素足のちょっとした感覚、他人に見る何かの面影、デジャヴ、いつどこで何の思い出の苦しさに襲われるかわかったもんじゃないですね。

内容に関係なく、多分思い出すという事自体がほんとに苦手なんだと思います。私は多分かなり「今」にこだわって生きているので、かつて自分が存在していたという時間の流れがある事、その時の自分がもはや同じではないこと、思い出すといっても結局ほんの一部しか思い出せない不誠実(?)さ、が引き起こす、「自分という存在の不確実性」に何だか不気味さを感じてしまうのかもしれませんね。てか「思い出」に対するそれ以上に圧倒的な「思い出せないこと」を無意識に分かってしまう怖さかもしれません。あとシンプルに自分が20年も生命を維持してきたことに驚いてしまう。

とりあえず、前述した通り私は夏は刺激が強くて思い出すことが多くて苦手なんです、生きていたことのある実感が無くて毎回本当にこの夏を乗り越えられるのか不安になります。一時の不安を紛らわせる誰かと過ごした時間が、来年の私の胸を締め付けることが目に見えているのでやるせないですが、それでも生きていかなくちゃなので、今年も息継ぎする暇のないような夏をください。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

いいねしてくれてありがとう最高か
6

Δゆら

わせだ、大学3年生
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。