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一番死に近い季節

一年を四季で分けるとしたら、夏が一番死に近いと思っている。なんだか街が臭いからとか蝉の死体があるからとか色々思い当たる節があるけれど、戦争関連に触れざるを得ない日がいくつかあるというのも大きいかもしれない。

70年以上の前のことで涙を流す当事者の姿を見ると、私なんて五年前に泣いた出来事の詳細すら思い出せないのに、と、その計り知れない暗さに絶望的な気持ちになる。私が小さいころから読んでいた新聞には読者の投書欄があったのだが、定期的に戦争についての投書を掲載するコーナーがあった。最初の方は真面目に読んでいたけれど、気付いたら際限のない無数の悲しみがしんどくて飛ばすようになっていた。本当に、当事者の気持ちは計り知れない。

話は変わるけれど、最近知ったことで、理性を重視する啓蒙主義が広がった18世紀ごろから「人類は絶えず進歩している」という進歩説が浸透してきたみたいで、それまでは同じところをぐるぐると回る循環説が濃厚だったらしい。私はそれを聞く前、進歩説を前提にその進歩を疑っていたのだけれど、過去に進歩説が前提でない時代があったという事に驚いた。人は死んでも科学技術は残り続けるから、その蓄積がある水準を超えて念頭に「進歩説」があるようになったのかもしれない。多分これを読んでいる人もなんとなく「人間、私たちは絶えず進歩し続けている」という感覚があるんじゃないかと思います。

話を戻すと戦争に関しては、やっぱり被爆国であるという点からも原爆というものについて考えさせられる。一度開発してしまった技術をなかったことにするというのはできないし、技術の実現可能な材料がそろっている時点でそれを実現したい衝動を抑えるというのは研究者にとってはなかなか苦しい決断になると思う。前にちょっとした意地悪な質問をTwitterでしたんだけれども、詳細はあえて漠然とさせたけれど、一般の人たちだけでもこれだけ少ない情報で実行する方向を目指す人が確実にいるんだから。

技術のバランスをとるという事ではこのツイートに対して友人が指摘してくれた通り政治というのも社会を形成する重要な枠組みとして作用すると思うが、所詮人間が何とか体制付けたもので完全なものなんてないし、人間は間違う生き物だから、ちゃんと先人たちの歴史を学ばなきゃいけないんだけれど、私たちはそこまで頭が良くないから、いろんな資料を目に通しても結局は当事者の気持ちが「計り知れない」気持ちになってしまうしそれが事実だし、さらに定量的でない言語化し残しにくい空気感というのはもっと分かりにくいしもうどうしたらいんだ。あと数十年したら日本には当事者すらいなくなってしまうかもしれないのに。

確かに、歴史をちゃんと研究した人はある程度傾向などを掴んでいると思う(検閲の開始や、何かを神格化し始めることなど?)。でも多分、その人たちだけだと社会全体の舵取りは出来ない。とりあえず私の知識が弱いのが悔しいので勉強しますねもっと、諦めませんからね。

戦争、本当にしたくないなあ。私今日ピューロランド行ってきたんだけど、いろんな人たちが楽しそうにしてたのを見たんだけど、ずっとそんな感じだったらいいのになあ。世に出た技術が傷つける人の絶対数が一番少ない世界線にこの世界がなりますように。そして一刻も早く世界全体で戦争が無い瞬間が訪れますように。道のりが果てしなくても、こういうのは口に出さないと始まらないと思いました。

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ありがとうございますううあ
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Δゆら

わせだ、大学3年生
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