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小学校低学年女児が殴ってくる!

私は家族の中で末っ子なので、一番年齢が低い人間だから、あまり「自分に力がある」と思ったことはない気がする。小さい頃は体格に差があったからなおさら。

小学校低学年の時、学童のスタッフさんの背中とかを手で殴るのが癖だった時期がある。とくに負の感情があったとかじゃなくて、構ってほしいとか呼びかけの代わりとか大した理由がなくすれ違いざまにたたいてみたりとか。バシバシたたくたびに、「ぶったらだめだよ」ということを言われていたがなんとなくだめな理由が分からなくてその後も何度も繰り返しスタッフさんをぶっていた。

ある日、なんだか机で作業をしているスタッフさんをかまって~みたいな気持ちでぶったら「痛い痛い、痛いからやめて」という反応を得らえて驚いた。というかこんな私が殴っても痛いのか!!!と思った。そっから腑に落ちて殴るのが良くないことを自覚してやめられたのを覚えている。

それまで私が殴るのが悪いという事に気づけなかったのは、もともとあまり人を殴ることも殴られることもなかったためにその痛みが分からなかったことと想像力の乏しさだったからだと思う。正直小さい子の想像力なんて凝り固まってないだけで自分の都合の良いようにしか見えてない。例えば、「渡されたもの」しか見えてないから「渡してくれた人」を意識できなくてありがとうなんて自然に言えないし、生命の大事さなんて微塵もわかってないから蟻の巣穴で待ち構えて出てくる蟻をひたすら潰したりする。そんなもんだ。

話がそれたけれど、小学校低学年女児だった私は、自分の持っている力の強さが気づいたら想像を超えてしまったのだと思う。

じゃあ今は?という話ですよ

あの時の二倍以上の年齢で当時よりもずっと力を持っているはず。さすがに人間を殴ることはしないけれど、例えば高校生の後輩に「大学はつまんないよ」とかいまバイトで数学を教えてる中学生に「これができないなら数学は向いてないよ」とか言ってしまう事、の、破壊力はどれくらいなのだろうか。力によって道を切り開いたり希望を提示したりすることはもちろんできるけれど、私の何気ない一言がどれくらいのプレッシャーや絶望のポテンシャルを含んでいるのだろうか。ここまでだいたい900文字書いてきたけど、それらの一語一句すべてが全人類を傷つけないなんてこと、無いじゃん?ミスiDは私の世界を広げてくれるけれど、その拡張された先があるべきところだとは限らない。でもそれをわかっていながらも私には見たいものたくさんあるから、力に対して無自覚ではいけない。と思った。

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ありがとうございますううあ
7

Δゆら

わせだ、大学3年生
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