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『悲情城市』をみたよ。

 フォレストガンプしか映画を知らなかった。

 もちろん、これは漢詩的誇張である。と言ってもせいぜい5を1にするくらいの逆誇張で、100や200も大げさに表しているわけではない。

 つまり、私が今まで自覚的に見てきた映画というのは『フォレストガンプ』と『式日』と『17歳のカルテ』と『ラブ&ポップ』と『シン・ゴジラ』だけなのだ。

 なるほどね、と思う方もおられるだろう。まぁ、異様に偏っている。

 フォレストガンプについてはたまたま金曜ロードショー的なもので見て、何に対しても「イエッサー!ダン中尉!」と返すフォレストガンプごっこが兄との間で流行った(「スプーンを取ってきたまえ!」「イエッサー!ダン中尉!」というようにやるのだ)から覚えているだけで内容については、なんかこわかったなーくらいの感想である。

 ともかく、映画に限らず小説も音楽も絵画も、今までちゃんと摂取してこなかった。いよいよヤバいのでは? と思い始め、今年から自覚的に見ようと頑張っているわけである。


 前置きが長くなったが『悲情城市』の話だ。

 あまり関係のない前段として、この映画についてはどこかで誰かに聞いて、見てみたいなーと思いながら温めていたもので、なぜか私はずっとこの映画のタイトルを『非情哀市』もしくは『悲情哀城』という謎の覚え方をしていた。

 今思うとそれほど素っ頓狂な間違いではないのかもしれない。

 見たのは鎌倉の川喜多映画記念館で、これまた関係のない前日譚として、もらった記念館の入場チケットを、二三ヶ月の間ずっと映画が見られるチケットだと思っており、初日に行ったときにはもう上映チケットは売り切れていたのだった。

 その日は体感8時間くらい悪夢を見ていて、泥から這い上がってきたような状態でなんとか起き上がり、持ち前の神経衰弱を発揮しながら電車を乗り継ぎ乗り継ぎ、なんとかそこまで辿り着いたところだったので、率直にとってもびっくりした。

 へえ! そうなんだー! と目を丸めた。

 でも私の前に横入りしてきた方が、チケットが買えないので大層悲しんでおられ「金ならいくらでも出すから」という言葉を吐いていたので、それだけでも行った価値はあったと思う。生まれてはじめて聞いた。

 その人が大変に打ちひしがれているので、自分のあまりに無力なのに多少悲しくなったくらいだ。

 宮沢賢治が好きなので、私の持っているチケットが上映チケットだったら喜んで譲るのにな、とサソリに思いを馳せながら彼を横目に二日後のチケットを買い、鎌倉観光をどんぐり共和国を冷やかすことで終わらせて、江ノ電から海を見て「海だ」と思いながら帰った。


 『悲情城市』の話である。

 1945年、日本の統治が終了し、そこから国民党政府が樹立するまでの台湾の情勢を、ある一家を中心に追っていく映画だ。

 wikiペディアを見ながら今の説明を書いた。ペディアがカタカナなのは間違えたから、というより英語で書くのが難しかったからだが、今まで自覚的に映画を見てこなかったので、ここまで話の筋を言葉にするのは難しいものなのかと驚いている。

 それでなくても、たぶんこの映画は歴史を少しでも勉強をしてから見たほうが、もっとより多くのものを得られる類のものだろうと思う。

 説明的な画がないのである。

 字幕は最小限。短いカットや、寄りのカットも少なかった(気がする)ほとんどが固定の引きの映像で、人に焦点を合わせて追ったりということもない(たぶん)

 途中、田舎の山村のようなところの場面で、カメラがするする~と横に動いたことに「動いた!」と驚いたくらいだ。なんだかとっても違和感があった。それくらい画面がほとんど動かないのだ。

 とくに印象的なのが、一家の居間か何かの画(そこでご飯などを食べる)と、主人公格である女性が働く医院の内側から入口を撮った画。

 うーん。映像を口で説明するのは難しいなぁ。

 そう思って絵にしてみたけれど、ものすごく分かり辛くなっただけだった。これは病院の内側から入口を撮った画を描いたものである。そういえば私は横向きで顔がこっちに向いている動物の絵しか描けないのだった。

 遠近法というものを人はどこで手に入れるのだろう。遠近法を手に入れるのに何か良い案があったら教えて欲しい。そしてこの図のことは忘れて欲しい。そもそも遠近の問題なのか?

 でも一生懸命唸りながら描いたので、とりあえず貼っておくよ。


 本筋がどこにあるか見失ったので、少し話を変えます。

 私はこの映画を見て、最初から最後まで異様とも思えるほどの強烈な「懐かしさ」を感じたのだ。それはほとんど妄想に近い感覚だった。

 もともと私は父が中国人らしいということで(らしいというのは、それ以上情報がないという意味で、中国人であるということは確定している)中国的なものにすぐ心を寄せてしまう習性があるが、それにしてもこの感じ入りようはちょっと異常な気がした。

 完全に、そこにいた事のある人間の感傷だった。

 しかし、私は中国的な暮らしなどしたことがない。せいぜい中華街に行って「大陸の血が!」と適当なことを言って悦に入るくらいで、たぶん普通の日本人より中国を知らない。

 そもそも、中国はとても広いので、場所場所で暮らしがかなり違うだろう。ましてやこの映画の舞台は台湾である。よく知らないけれど、中国本土とは別の国と言ってもよいのではないだろうか。 

 日本統治の影響で、在りし日の日本の面影があるから、ということは多少あるかもしれない。ただ、それでここまでの感傷を得られるとも思えない。私は昭和末期の生まれで、物心が付いてからの生活はすでにして昭和は遠くになりにけり、という趣があった。

 つまりこの感傷は、中国、日本、台湾、というような土地や、その時代による郷愁とは別の所から生まれ出たものなのだ。

 私は、この映画の撮り方に郷愁を感じているのである。

 アップのない引きの画と、多言語が飛び交う中での最小限の字幕、極端に少ない状況説明、そして言葉の聞こえない主人公格の男の顔――そういった所からこの感傷はきている。

 私は実際にこの映画の画を体験したことがあるのだ。

 もう少しこの画の説明をしようと思う。

 例えば一家の居間らしい場所を引きで撮った画。手前に足の長いテーブルがあり、その後ろに硝子戸、またその向こうにも部屋があり、そこには祭壇のようなものがある。カメラはどこかに焦点を合わせているのではなく、遠い所から、場そのものを撮っている。

 そこで人間たちは生活をしているのだ。ただ、人を追ってはいないので、見ている人間の目には、一つ一つの動きがただ乱雑に入ってくる。

 場の中を、出来上がったご飯を持って女性が横切る、家長はテーブルに座ったままじっとご飯を待っている。子供達がテーブルに座ったり、座らなかったりする。そして硝子戸の奥では、ヤクザ同士の抗争か何かに巻き込まれ、認知能力が極度に落ちてしまった一家の三男が、お供え物のお菓子を盗み、動物のように頬張っている。

 この三男は途中で死んだのかと思っていたが、説明もなく生きていた

 彼がごぼごぼ血を吐いたシーンの次には、別の日常のシーンが挟まっていて、一命を取り留めましたとか、命はあるけれど以前のようは戻らないでしょう、とかいうシーンは一切ない。

 そういう説明不在の動きが、ずっと続く。

 あるいは、中国語だか、台湾語だかが聞こえているが字幕がないシーン。ヤクザたちが賭け事をしている。ここでもカメラは動かずその場だけを取っていて、賭け事をしている卓の様子はほとんど映らない。がちゃがちゃと音が聞こえる。途中で若い衆が一人入って来て、聞き取れない声で誰かに何かを言う。そこでも、カメラは人間の顔には寄らない。耳打ちされた男が立ち上がる――。

 観客である我々は(少なくとも私は)何が起きているのか分からない。

 けれど同時に、何が起きたのか、はっきりと分かる。

 その感覚が強烈に懐かしかったのだ。

 この映画は、子供の世界のような撮り方をされている。

 まだ自分で自由に動けないような子供は、現実を言葉では認知出来ていないが、大人たちが何かを話していれば、それがどのような話か、どの程度の良い事柄か、あるいは悪い事柄か、かなり正確に理解している。

 むしろ、言葉を理解するより以前の方が感覚は鋭敏で、ほとんど神秘的な力と言ってもよいくらいに、肌によって事態を全て把握していたように思う。

 この映画を見ている間、ずっとそんな感覚が続いていた。

 その感覚を引っ張っているのが、主人公格の耳の聞こえない男だ。彼はこの一家の兄弟の末っ子で、小さい頃には耳が聞こえていたのだけれど、木から落ちたかなんかでまったく聞こえなくなってしまった。

 トニーレオン。めちゃくちゃイケメンだった。

 彼は耳が聞こえないので、兄や親友や、その他の人々の動向を、絶えず目で追っている。声が聞こえないので、例えば兄たちが今後の台湾はどうなっていくのだろう、というようなことを話している時、彼には意味としての言葉は頭の中にない。

 ただ、彼もまたどういう熱量で、どんな良い話、または悪い話が展開されているのかは、肌で理解している。

 そういう画と主人公を通して、私たち観客は「何が起きているのか正確には言葉で説明はできないけれど、何が起きているのかは分かる」という感覚を得る。 

 ただ彼は我々観客とは違い、外側の人間でもなければ赤子でもく、一人の大人の男として、場に参加する力を持っている。だから自らの意志で、兄や親友たちと共に、大陸から渡ってきた人々に抵抗したり、また蹂躙されたりするのである。

 この「何が起きているのか正確に言葉で説明は出来ないけれど、何が起きているのかは分かる」という感覚は、台湾という国の動向と、国民に関しても言えることなのではないだろうか。

 日本の統治が終わり、大陸から内省人がやってくる、最初はまだ台湾の人々は自分たちの暮らしを続けているが、それがじわじわとあるいは急速に変わっていく。国が今どうなっていて、どうなっていくのか、国民には完全に理解できない(もっとも、それを正確に理解出来る人間はどこにも存在しないだろう)

 しかし、どんな風になってしまうのか分かっている。これから、そして今、どれだけ良くないことが行われているか理解している。

 中盤、主人公は中国からやってきた人間たちによって牢獄に捉えられる。同じ牢に入っている人間が二人、名前を呼ばれて出て行く。彼は耳が聞こえないので、彼らの顔や、動きを目で追う。その時の目――。

 しばらくして銃声が聞こえる。耳の聞こえない彼にその音は届かない。それでも、何が行われているのか分かる。

 そして同時に、やはり誰にも、何が行われているのか正確には理解できないのだ。

 これは、台湾という国を撮った映画だ。

 遠くから居間そのものを撮るように、生活から台湾という国そのものを撮っている。時代そのものを撮っている。その時何が行われたのか、何を理解できて、何を理解出来なかったか。


 すごい映画を見てしまった!

 という気持ちで、その後、何も考えずにぐるぐる当たりを徘徊し、何かを考えているような顔で、カフェに入って、何も考えずに桜味の紅茶とスコーンを頂いた。

 言葉では何も考えてはいないけれど、ずっと何かを考えていた。


 とてもよい映画だった、ということを伝えるために、こんなに文字を連ねてしまった。敗因は前半に挟み込まれて絵だろう。ここまで読んでくれている方がいたらありがとう。横向きの動物の絵でよければいつでもプレゼントするよ。

 この映画を見れたこと自体が、とてつもない僥倖だったのだけれど、その上フィルムで見られたということもまた、この上ない幸せだった。もしかするとこのフィルムでの上映は最後かもしれない、というようなことを言っていたような、いないような――。

 ぷつぷつと途切れる音とか、ときどき出てくる白い穴みたいなものとか、音のずれとか「わー! すごーい!」と思ってとても楽しかった。

 本当に映画をそんなに見たことがないので、そして見たり聞いたりしたことに対して、こんな風にちゃんと考えたことがないので、素っ頓狂なことを言っているかとは思うけれど、なんなら「そんなシーンなかったけど?」みたいなこともあるだろうけれど、練習なので許して欲しい。

 また色々書けたら良いなーと思います。

 以上『悲情城市』を見られてよかったなーの日記でした。

あるか分かりませんが、サポートがあったら私はお菓子を食べたいと思います!ラムネとブルボンが好きです! あと紅茶!