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序論  『エレクトラ』変遷

a.) ギリシャ悲劇における『エレクトラ』

 エレクトラは王アガメムノンを父に、王妃クリュテムネストラを母に持つミケーネの王女である。
 クリュテムネストラとその愛人エギストの謀略によってトロイア戦争から凱旋帰国した父王アガメムノンが殺害されたことを受け、エレクトラは幼い弟オレストを国外へと逃がし、謀反者二人への復讐を決意する。やがて成長したオレストが帰還し、エレクトラの助けを借りて復讐は成し遂げられる。

 彼女のこの物語はギリシャ神話に原典があり、古代ギリシャ悲劇三大詩人であるアイスキュロス、エウリピデス、そしてソフォクレスの三人全員が劇化している。
 アイスキュロスの場合は三部作『オレステイア』の二作目『供養する女たち(コエーフォロイ)』がそれにあたる。


 その中でも後のホフマンスタールの戯曲、シュトラウスのオペラに続くのはソフォクレス版である。
 この三人の詩人による『エレクトラ』を比べたとき、ソフォクレス版は

はじめから、純粋に芸術家の手になったものである _1

と中村善也は述べている。

 ソフォクレスと他の二者の『エレクトラ』劇の相違点としては、主人公エレクトラと対照的な考え方を持つ妹クリュソテミスが登場していることがまず目立つ。姉妹の対立によりエレクトラという人物像が一層際立つようになっている。

 しかし最も重要なのは、クリュテムネストラ、エギストへの具体的な復讐計画が劇冒頭に台詞によって示されており、なおかつエレクトラがそれを知らされないところにある。
 これによってオレストの偽りの死の便りに対する彼女の衝撃や絶望と、オレストとの再会の瞬間における喜びの起伏は劇的に大きなものとなる。

 ソフォクレスがこの作品で示そうとしたのは他の二人の詩人が重きを置いた「母親殺害の罪の問題」 ではなく「母親殺しという人の世の異常な事象にかかわる人間たちの生きざま」 であり、とりわけ重要だったのは復讐に至るまでのエレクトラの心理の起伏だけであったと言えるのだ。 _2


b.) ホフマンスタールからシュトラウスへ


 ホフマンスタールの作品『エレクトラ』はマックス・ラインハルトの演出、ゲルトルート・アイゾルトの主演によって1903年10月にベルリンで、1905年5月にはウィーンで初演された。

 当初この作品には「ソフォクレスによる悲劇の自由な翻案(frei nach Sophokles)」と記されていたが、形式も内容も原作からかなり変更されており、後にホフマンスタールはこの表記を除去している。

 彼の『エレクトラ』においては、ソフォクレス版よりもさらに登場人物たちの心情の動きが劇の中心となる。
 彼の戯曲には、人間心理と精神分析が大きな関心の的となった世紀転換期ウィーンの時代的風潮がうかがわれ、内容は確かにソフォクレス悲劇の筋書きによってはいるが、人物像の造形に際して、原作で論じられる生き方の選択よりも、特異な心理描写に関心が寄せられている。
 ソフォクレスの主人公たちと比較して、彼の描く人物は肉体的にも精神的にも病的な異常性が強調される。 (ホフマンスタールはこのことを「心の影の部分(Nachtseiten)」と述べたという ) _3

 この戯曲に注目したのがリヒャルト・シュトラウスであり、彼は1904/05年のシーズンにベルリンでこの『エレクトラ』を観、その直後からオペラの素材としてふさわしいことに注目し、ホフマンスタールに作曲の意思を伝えた。 しかしシュトラウスは1905年に『サロメ』を発表したばかりであり、このあとで似たような内容の劇に作曲するのを躊躇したため、『エレクトラ』にかかる前に、別の喜劇の台本をホフマンスタールに依頼する。しかし、それに対してホフマンスタールは『サロメ』と『エレクトラ』の相違点は外面的なものに過ぎないこと、二作品間の色調の配合の違いを強調する。

《サロメ》の色調はいわば緋と紫であり、むせ返るような雰囲気に包まれていますが、《エレクトラ》ではこれに反し、夜と光、暗黒と光明の混合物となっております。 _4

 シュトラウスも最終的には納得し、作曲に取り掛かることとなった。オペラは1908年9月に完成し、1909年ドレスデン宮廷歌劇場で初演された。
 シュトラウスはホフマンスタールによる『エレクトラ』に対し、徹底した不協和音を用いた。そのうえ時としてヒステリックなまでの無調性音楽は聴衆の神経を逆なでするかのような効果を果たしている。しかし、このシュトラウスの音楽に関して楠見はこのように指摘する。

不協和音であるにもかかわらず秀れて古代的な哀調、半音の響きを持ち、エレクトラが怒りで絶叫しているのに、裏では号泣しているのが伝わってくる。加えて《サロメ》(1905年)の東方的官能性を感じさせる音楽とは多少異なるものの、ここでも時折、奇妙に甘美な旋律が我々を退廃的な死の幻影へと誘う。  _5

 当時のドイツ・オペラはすでにワーグナーの出現によって最も過激な転換を始めていた。しかしシュトラウスが1905年の『サロメ』に続き1909年にこの『エレクトラ』を発表したことにより、決定的な衝撃を世界の楽壇に与えることとなったのである。 


*** *** ***
1. 中村善也『ギリシア悲劇入門』、岩波新書、1974年、p.69。
2. 丹下和彦『女たちのロマネスク 古代ギリシアの劇場から』、東海大学出版会、2002年、p108。
3. 古澤ゆう子「世紀転換期の古代女人像 ―ホフマンスタール作『エレクトラ』」(中井亜佐子・吉野由利編著『ジェンダー表象の政治学 ネーション、階級、植民地』、彩流社、2011年)、p.73、pp.77-78。
4. ヴィリー・シュー編、中島悠爾訳『リヒャルト・シュトラウス ホーフマンスタール 往復書簡全集』、音楽之友社、2000年、p.17。
5. 楠見千鶴子『オペラとギリシア神話』、音楽之友社、1993年、pp.123-124。

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