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1-2. 音楽と演出

a.) 心臓の鼓動


 この作品を音楽的側面から見てまず特徴的なのは、冒頭部分、心臓の鼓動音に合わせて幕を上げるという演出がなされている点だ。

 観客は暗転した空間の中でまず始めにこの鼓動音を聴くことになる。この音が響く中ゆっくりと幕が上がり、私たちは床面の蛍光灯のみに照らされた薄暗い舞台の上に佇む患者たちを目にするのである。
 指揮者がすっと手を上げる。
 舞台手前側に座り込んでいた患者の一人が手に持っていた編み物棒を放り投げる。彼女の手からその編み物棒が離れ、音を立てて床へと落ちるその瞬間、それを合図にするかのようにオーケストラの和音が鼓動音を掻き消して響き渡る。
 一気に舞台は明るくなり、患者たちは動き出す。

 この演出については各誌でも評価が分かれるところであり、しかもほとんどの評論家はこれに関して否定的である。
 ライナーは

「大きな心臓の鼓動に私たちは気を取られ、オーケストラによるアガメムノンの呼び声からその効果の大部分を奪ってしまった」 _1

と述べ、『フアヒェ(Die Furche)誌』のH.シュピーズ(Hansjörg Spies)は

「ヨハネス・エーラトのようなヴァイオリニストの教育を受けた者が録音テープによる心臓の鼓動音のモンタージュを使ったりすることには(中略)愕然とする」 _2

と指摘した。
 さらに『シュタイヤーマルク・レポート(Steiermark report)誌』にてR.フリッツベルグ(Rüdeger Fritzberg)は

「心臓のリズムはオペラではなくむしろスリラーの始まりを思い起こさせる。ここで演出家はオーケストレーションと心理学的人物描写の名人だった作曲者R.シュトラウスにもっと頼ってしまうべきだった」_3

 と評している。
 しかし一方ではS.エンダ―が

「大きな心臓の鼓動とともに幕が上がったとき、演出家はすでに最初の音が鳴る前に、このエレクトラの舞台を精神病院へと移すことに成功したのである」 _4

と好意的に評価した。


b.) オレストとの再会 降りてくるグミの木


 エレクトラとオレストが再会し認知しあう瞬間はこのオペラの中でもひときわ盛り上がる感動的な場面であり、ウィリアム・マンはこの場面について『リヒャルト・シュトラウスのオペラ』の中でこのように絶賛している。

この再認の瞬間に、ここに居合わせるものはだれでも目に涙を浮かべ、喉を詰まらせるはずである。それまで余りにも長く続いた緊張は、こうしてふたりの心臓の鼓動が高鳴る瞬間、勇敢で誇り高いこの女性が7年もの間に体験しあらゆる恐れと心痛から解き放たれるこの瞬間に、まさにクライマックスに達する。シュトラウスは私たちひとりひとりと同様、人の心の弱さをよく知っており、この目の眩むような瞬間に、その長く堂々たる生涯のいかなる瞬間におけるよりも強力に、人の心に深い感動をあたえる。この巨大な頂点からの下降は、非常に巧妙に暫減するように工夫されている。感情の緊張は次第に緩められるので、それはあたかも、もたらされた主題群が涙を浮かべて見慣れたものをちらっと見たかのような具合である。_5

 2012グラーツ『エレクトラ』でもこの場面は特徴的である。

 エーラトはオレストをまず2階席から登場させるという方法を採用した。
 自分一人で復讐を成し遂げようと決意したエレクトラは舞台の上から遠く離れた場所に佇むオレストに気づき、対話を試みる。おそらく、彼女の目に彼の姿ははっきりと見えてはいないだろう。観客もまた2階席に座らない限り、彼の姿を見ることはできない。

 対話が進み、いよいよ姉弟の認知の瞬間がやってくるとき、エレクトラは「オレスト!」とほぼ叫ぶように歌い上げ、舞台上へと倒れこんでしまう。同時に(マンが表現するところの「巨大な頂点からの下降」に合わせて)舞台上方からは巨大な植物―『プレッセ(Die Presse)誌』でH.ハースルマイヤー(Harald Haslmayr)はこれをグミの木であると指摘した ―がゆっくりと降りてくる。
 そして、ようやくオレストは舞台上にその純白の正装姿を現し、エレクトラの目に映る。(「1-1. 舞台と演出」でも述べた通り、この姉弟のコントラストは衣装の力を借りて強調される)

 この演出に関してハースルマイヤーは否定的である。彼は

「エンドウ豆のような緑色のグミの木というばかげた装飾が、底知れぬほどに醜い舞台へと降りてくる。―これこそ脱構築(Dekonstruktion)というものだ、この音楽劇の最たる名場面をまるで悪ふざけのように破壊している」_6

 と辛辣に批判した。しかし、照明効果によりぼんやり青みを帯びて発光しているかのようなこの植物は、エレクトラがこの場面で語る「夢(Traumbild)」を思わせるかのように幻想的であった。

*** *** ***
1. Naredi-Reiner,op.cit., 23.1.2012.
2. Spies,Hansjörg: „Freudlos,lustlos,einfallslos“, In: Die Furche, 1.3.2012., Ohne Seitenangabe.
3. Frizberg,Rüdeger: „Elektra“-vieldeutige psychische Realität, In: Steiermark report, 2.2012., p.29.
4. Ender,Stefan,op.cit., 23.1.2012.
5. ウィリアム・マン著、原田茂生監訳『リヒャルト・シュトラウスのオペラ』、第三文明社、1997年、p.111。
6. Haslmayr,Harald: „Eine flog übers Kuckucksnest“, In: Die Presse,23.1.2012.,Ohne Seitenangabe.

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