ある人とのやりとり…

私には不思議な友人(?)がいる。ネットでしか会った事も何も無いのだが、人生の中にあって、他の人が斜めに見てバカにしてしまうような事を話し合ってそれを共有している。共有する事で成長や気づきがあるからだ。

しかし最近は私が相手のカウンセラーのようになってきていてる。8割から9割彼はずっとしゃべり続け私の話をなかなか聞いてくれないからなのだが…。このひとの名前をメン君とした。これからメン君の話しとして記録して行ってみようと思う。

さて今回はそのような関係の中で交わした話をここに残しておこうと思う。
これはスカイプにて、テキストチャットの形で行われた。

【メン君との往復書簡:私からの回答】

さんざん言われた事ですが、「本当の自分=愚かな自分」を受け入れるという事が重要です。

私は全くテレビを見ない人生を手に入れてから、幸せになりました。コマーシャリズムやマスメディアは「こうあるべき」人を映し出しそれを強要してきます。これは大多数に及びますので、そうした人達は社会の中に蔓延しているという事になるでしょう。

トレンド、おしゃれ、すべてそうしたコマーシャリズムの産物でもあります。

そして、そこから外れる自分に価値が無いなら、本当の毎日起きて、毎日ごはんを作り、それを食べ、掃除をし、仕事をし、排せつし、時に笑い、そうしてつまらない毎日をふつうに生きているだけの私達はどうやって生きていけばよいのでしょう? 

社会の人達が大多数であいまいに決めてくる「変な事」を思ったりしても良いのではないでしょうか?相手が受け入れるのか受け入れないのかは相手の問題で貴方の問題ではないと思います。

そして、相手がどうとるのか?そこまでを自己価値基準として考えてしまうのが問題です。相手がどう思うのかと自分がどう思うのかは別の問題です。

これこそまさにバウンダリーの問題です。

そして、自分が発したすべての事柄それは文章化しなくても発して時と共に流れていく言葉でもそれは全て自分の責任なのです。

その責は消す事で無くなりません。それは内的世界の中に明らかに出現した事実です。その事柄と貴方自身と関係という事であれば、貴方は貴方の思考をちゃんと知り覚えてもいます。

そして、これは無かった事にしようという思考でさえ、それをする事は無理だという事を本当は貴方は知っています。

そのような愚かな考え…自尊心とはそこから発するものなのです。本当の自分を受け入れなければそこに本当の自尊心も育ちません。多分そうゆう事なのだろうと私は思っています。(原文を一部補足、改定)

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