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interview Moto Fukushima(House of Waters) ー USの音楽シーンでサバイブすることと、NYの南米ジャズ・コミュニティー

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スナーキー・パピーマイケル・リーグが運営するレーベルのGROUND UP  MUSICからHouse of Watersというバンドがデビューしていた。ヨーロッパの弦楽器ダルシマーを配したトリオという不思議な編成だが、Groundupが実力があるライブバンドをリリースすることをレーベルのコンセプトとして掲げているだけあって、その内容は素晴らしいものだった。

その動画を見ているとアジア人ベーシストがいることに気付いた。名前はMoto Fukushima

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さっそくNYのジャズミュージシャンに確認したら日本人でバークリー卒業だとわかった。と思っていたら、2017年の03月に一時帰国して、日本で小川慶太と西口明宏とのトリオでライブをやるという情報も見た。さっそくコンタクトをとって取材を申し込んだ。で、2人で飲みながら語り合ったのがこの記事だ。

――そもそもマイケル・リーグと知り合ったのは?

バンダ・マグダマグダ・ヤニクゥが連れてきてくれたんです。マグダと会ったのもNYですね。マグダのアルバムにハウス・オブ・ウォーターズのダルシマー奏者のマックスZTが参加してたのもあって、ライブやったときによく来てくれてて、そんな感じでマイケルを連れてきてくれたのがきっかけですね。

(※Banda MagdaにMax ZTが参加した曲「Trata」)

――ハウス・オブ・ウォーターズって、そもそもどういうところで演奏してるんですか?

ハウス・オブ・ウォーターズはツアーを組むようになってからは、パフォーミング・アーツ・センターみたいな地方の大きいところでやったりもするけど、クラブって言ったら、ジャズもやるし、この前はヨシズ(Yoshi’s)でもやりました。そういうところでもやったりもするし、ロックのクラブでもやったりするし、このバンドはどこでもありです。

――フクシマさん個人ではどういう活動をしてるんですか?

今はハウス・オブ・ウォーターズが多いですけど、昔からやっている繋がりの南米系のバンドですね。最近はペルーのギタリストで、ユリ・フアレス(Yuri Juarez)とやってます。いいメンバーなんですよ、ドラムはシラセッテ・ティニン(Shirazette Tinnin)。

――それってペルーのフォルクローレっぽいサウンドなんですか?

そうですね。パット・メセニー系譜のぺルー版に、かなりがっつりフォルクローレが入ってくる感じですね。そういうのがNYで始まったのが15年とか20年くらい前。僕が学生のころにアルゼンチンのフリオ・サンティジャン(Julio Santillán)ってギタリストがいて、この人がすごい人で、アルゼンチンの音楽とジャズやクラシックのハーモニーを混ぜてやるってのをアメリカで初めた人ですね。彼はロス・チャンゴス(Los Changos)ってグループをやってて、ドラムのフランコ・ピナ(Franco Pinna)と、バークリーの先生でベーシストのフェルナンド・ウエルゴ(Fernando Huergo)って全員アルゼンチンのトリオだったんですけど、フェルナンドが他の仕事でできないときに僕が代わりに入ってやってて、2人にアルゼンチンの音楽を教えてもらっていたんですよ。僕にとってはそこがはじめですね。

――へー。

あと、マルタ・ゴメス(Marta Gomez)ってコロンビア人のヴォーカリスト。彼女はラテン・グラミーとか取ってる人なんですけど、そのマルタのグループの主要メンバーがフーリオのトリオだったんですよ。その辺から、そういう感じのペルーとか、アルゼンチンとか、コロンビアとかのフォルクローレとジャズを組み合わせたものが出てくるようになって、NYでもだんだんポピュラーになっていますね。例えば、ペルー系のジャズは、ぺルビアン・ジャズとか呼ばれてます。

――NYの南米ジャズのディープなところにいるんですね。

それは演奏できる場所があるのも大きいんです。ラテン系がオーナやってる店のテラッサ・セヴン(Terraza 7)って店とか、そういうところで演奏してますね。

クイーンズにあって、たぶん15年くらいやってて、昔はステージが宙づりで笑 消防局が来て、危ないからダメって注意受けたり笑 あとは、一時期、トゥトゥマ(TUTUMA )ってペルー人がやってる店もマンハッタンにありました。そこは閉店しちゃったんですけどね。

――僕はチリのカミラ・メサとかは知ってるけど、日本ではなかなか聞かないシーンですね。

ペルーだとスサーナ・バカ(Susana Baca)とかトラディショナルなイメージだと思うんですけど、それよりはもう少しコンテンポラリーなことをやっている若い子は多いんですよ。

アルゼンチンはもっと多いし、もっと洗練されてます。フェルナンド・イセラ( Fernando Isella )とか、ニコラス・ソリン(Nicolás Sorin)とか、彼らは映画音楽をメインにやってる人だと思うんですけど、すごいですよ。アルゼンチンの人の作曲能力はすごいって思います。僕はこの辺からインスピレーションを得ることが多いですね。

――日本でアルゼンチンって人気あるんですよ。アカセカ・トリオとか。あと、カルロス・アギーレとか。

あー、その辺もいいですよね。アカセカはかっこいいですよ。アルゼンチンは日本人に馴染みやすいメロディーなんですよね。ネイティブ・インディオの音楽と、アフロの音楽と、スペイン経由の西洋の音楽が混じってるんですけど、そのネイティブ・インディオの音楽が合うんですよね。日本人と似たような顔してるじゃないですか。だからか、なんか馴染み深いんですよね。

フーリオ・サンティジャンがバークリーでクラシックのコンポジション・メジャーだったんで、彼は譜面とかもきっちり書くタイプだったんですね。僕はドラムのフランコ・ピナとジャズのギグをやってて、彼からフーリオを紹介してもらいました。僕は譜読みが強かったんで、重宝されたんですよ。とりあえず、フィールとかはわからないけど、譜面をきっちりやって、ソロは普通にやるみたいな感じで。でも、最初は難しくて、どこが1かリズムがわからないみたいになるから、これはちゃんとやらないといけないなと思って、どんなのを聴いたらいいか、どんなことをやったらいいかって色々教えてもらって勉強しました。

――最初はどういうのを聴いてましたか?

ユパンキからですね。あとは、アカセカ・トリオ。アカセカは今っぽいからわかりやすいって感じで。ジャズ/アルゼンチン的な音楽はNYではフーリオが始めた感があって、彼から学んだんですけど、タンゴっていったらピアソラのここら辺を聞けって言われて、チャカレラとか、サンバ(ブラジルのサンバとは別のアルゼンチンのリズム)とか、そのあたりはユパンキとかの音楽を聴いてリズムパターンを学んでって感じで、そこから実際に演奏するってなるとジャズ的な要素が入ってくるので、もっと自由度をあげるのはその場で工夫してって感じでしたね。

――じゃ、たとえば、メルセデス・ソーサみたいなクラシックスを聴いて勉強してたってことですよね

そうですね。それこそマルタとメルセデス・ソーサは繋がってて。共演したりしてるんじゃないかな。僕はフーリオのところで、チャカレラとかのリズムができるようになって、そこからペルーとかコロンビアとかの音楽もできるようになったって順番ですね。

――僕もアルゼンチンはけっこう買ってた時期があるんですけど、面白いですよね。

例えば、ロックとかでもスピネッタとか、チャーリー・ガルシアとか、あの辺もいいんですよね。やっぱりリズムが良くて、アルゼンチンの土着のリズムが入ってるんですよ、ロックの中にも。土っぽくて、ちょっと都会の雰囲気もありつつの感じがいいんですよ。

――ペドロ・アスナールとかどうですか?同じベーシストとして。

好きですね。最近一緒にやったのは、ピアニストのギジェルモ・クライン。レコーディングやったんですけど、アルゼンチンのドラマーとギレルモとのトリオだったんですけど、そのためだけに彼が曲を書いてきて、一見簡単な曲なんですよ、ロックみたいな。でも、シンプルでずーっと進んでるのが、いきなりガっと半音ずらしてパッと元に戻してみたいな、それだけのアイデアなんだけど、それが登場する瞬間とかタイミングとかが良くて、そういう曲ってなかなか書けないと思うんですよ。曲を壮大に書いたり、シンプルにしたり、どっちかになりそうなところをうまくまとめ上げちゃうんですよね。

――ギジェルモの音楽はリズムもすごいですよね。

アルゼンチンのリズムで、アフロキューバンみたいな頭抜きで、引っかかるんですよ。それを6/8とか変拍子でやったりするんで、ロストワールドですよ、あれは(笑 一回見失ったら終わり(笑 最近でこそ「1はどこ?…」ってのがなくなりましたけど、やっぱりペルーとかコロンビアとかアルゼンチンって6/8が各地にあるんですけど、クラーヴェがちょっと違うんですよ。アルゼンチンだとパッパパッパパッパパッパで取って、ペルーだとパパッパパッパパって、コロンビアだとンパパンパパンパパみたいな感じで、同じ三つのどこをとるのかで手拍子のポイントが違うんで、アルゼンチンのに慣れて、ペルーに行くと一個ずれるわけですよ(笑 それは南米の人でもよく起こるんですよ。アルゼンチンの人にペルーのをやらせると一個ずれるんですよ。そこは同じ南米でも勉強しないとできないんですよ。あのリズムは面白いですよ、飽きないですね。あとは、チリとかウルグアイとかもいろいろあるし。ウルグアイのカンドンベとかもやりますね。

――そういう南米的なところに日本人がいるのも面白いですね。

もともとそういうのをがっつりやっていたのがタケイシ兄弟ですね。ドラムのサトシ・タケイシさんとベースのツトム・タケイシさん。

(※クオン・ヴ―のカルテットのベースがツトムタケイシ)

――あー、ヘンリー・スレッギルとかもやってる方ですよね。

ですね、イリアーヌとか、ポール・モチアンのバンドにもいたし。たぶん、日本人で海外でがっつり活躍しだした人で、NYに住み着いてローカルで有名なのはあの二人ですよね。僕よりも一回りくらい上だと思うんですけど、あの二人はバークリー出てから、コロンビアに住んでたらしいですよね。コロンビアでヒーローだったらしいんです。僕の友人のコロンビア人のミュージシャンが、コロンビアにいた頃にすごくいいミュージシャンがいるからって見に行っていたのが、タケイシ兄弟だったらしいですね。あの人らは本物ですね。

――ちなみにフクシマさんは最初から6弦ベースなんですか?

バークリーの一年目は5弦だったかな。実は友達から買ってた中古の6弦があって、一年たって夏休みに日本に帰って、持って帰ろうと思って、そこから6弦ですね。特に理由はないんですよね、なんか身体に合ったんですよ。僕の人生は何となくなんですよ。

――バークリーの時の先生って誰ですか?

ハル・クルックエド・トマシの二人ですね。どの世代でも習ってる二人ですよね。彼らが教えてた生徒はみんな有名になってて、それこそカート・ローゼンウィンケルとか。たしかカートとハルはインプロビゼーションの方法論で喧嘩したはずなんですけど。カートってルームメイトでマリアーノ・ジルってアルゼンチン人がいて、彼から話をいろいろ聞きました。

――カートって南米好きですよね、そういうところからの影響もあるかもですね。

好きですよね、トニーニョ・オルタが好きだったり。ダニー・マッキャスリンもペルーの音楽とか好きですよね。昔のアルバムではアルゼンチンとか、ペルーとかのリズムの名前を付けた曲をやってますよ。

――ちなみにベースの先生は誰ですか?

デヴィッド・クラークって先生でしたね。アコースティック・ベースの先生で、クラシックの作曲も勉強されてた方で、現代音楽の理論がジャズのインプロにも使えるんじゃないの?みたいな話をよくされてましたね。もうひとりはブルーノ・ラバーブってコンテンポラリーなジャズの人でしたね。

――じゃ、エレキベースベのレッスンは受けてないんですね。

唯一あったのはマシュー・ギャリソンが自主盤を出した時にいいなと思ったから、メール送ってみたら返事が来て、しかもレッスン料も安くて、NYに何回か行って、レッスンしてもらいました。でも、3回目くらいに「それは既に僕がやってることだから、自分のものを築いていなかないとダメだよ」って言われて、なるほどなと思って。だから、エレキベースを避けていたわけじゃないけど、それ以外のことも勉強するようにしてましたね。だから、ベースのレッスンも受けてないし、22歳以降くらいからはトランスクライブとかコピーとかもエレベに関してはやってないですね。トランスクライブするにしても、サックスだったり、ピアノだったりをするようになったし、作曲の勉強をしたり、バークリーでもハルとかエドとかベーシストじゃない人に教わってましたし、ベースで何か違うアプローチでやるってことを考えながらやってましたね。

――あー、なるほど。リオネル・ルエケにインタビューした時もギタリストは避けてたって言ってましたね。

コピーしてそこに留まってしまうのもよくないし、リオネルみたいに全く違う方法を生み出せたらすごいですよね。ちなみに僕は、バークリーでは、リオネル、ケンドリック・スコットマーク・ケリーウォルター・スミスとかと被ってる感じですね。宮崎大くんも一緒なんですよ、大くんのシニアリサイタルで弾きましたよ。その時のヴィデオも持ってますよ。

――へー。

エスペランサのバンドでピアノ弾いているレオ・ジェネヴェーゼっているじゃないですか。彼はアルゼンチン人なんですけど、彼が僕と同じ時期にバークリーにいて、レオとは一緒にもやってたし、アルゼンチンの音楽もいろいろ教えてもらいましたね。あそこら辺は仲良くて、あとは、リッチー・バ―シャイとか。

(※レオとエスペランサ。アルゼンチンのリズムのチャカレラがモチーフ

――リッチー・バ―シャイもエスペランサ周りでも演奏している人ですよね。

そうです。僕はリッチーをハウス・オブ・ウォーターズに入れたかったんですよね。10年来の付き合いで、一番やりやすいんですよね。彼はクレズマティックのメンバーでもあるし、スケジュールがなかなか合わなくて。僕が学生のころに、リッチーはニューイングランドの新入生で、彼は入学したばっかりなのにハービー・ハンコックのクリニックで認められて、そのままハンコックがツアーに連れて行ったみたいな逸話があって。そういうすごいドラムがいるってので話題になってたやつなんですよ、その2年後くらいにレコーディングで一緒になって。彼もドラムもパーカッションもできて、ジャズもワールドミュージックもできて、みたいなタイプですね。

――ジャズを求めて、世界中からバークリーに集まってきて、よくわからない国の音楽に出会ったりして、ジャズってプラットフォームがあることで音楽的にすごくリベラルになれるというか。

ジャズ自体がもともとコミュニケーションの音楽だし、ジャズは元々アフリカのリズムと西洋のクラシック音楽のハーモニーが合わさってるわけで、今はもっと広い意味だけど、でも、相変わらず世界中のリズムと発展したハーモニーって点では今も変わらないので、そういうフォーマットなんですよね。

――あとは、南米系以外だとどういう人とやってますか?

最近やってて面白いのは、ケーン・マティス(Kane Mathis)ってアメリカ人なんですけど、コラとウードを弾けるやつがいて、両方ともすっごい上手くて。アフリカの音楽と中近東の音楽が混じってる感じですね。

――どこで知り合ったんですか?

ワールドミュージックっぽいシーンがあるんですよ、NYに。そのシーンも大きいので、ラテン系だけじゃなくて、アフリカ系、インド系、ジプシー系とか、いろいろあって。ジプシー系だと、パナギ・オティス(Panagiotis Andreou)ってわかります?ジェイソン・リンドナーとかマーク・ジュリアナNow vs Nowのベースなんですけど、彼がジプシー系で、そこら辺が参加しているNew York Gypsy All-Starsってバンドがいますね。

そういうコミュニティーのハウスコンサートやセッションがあったりしますね。パーカッションだと、小川慶太くんとかも習ってたと思うけど、ジェイミー・ハダット( Jamey Haddad )ってバークリーの先生がその辺の神みたいな人で、その生徒さんたちがいっぱいいて、そのパーカッション・コミュニティーがあるんですよ。パーカッションというとワールドミュージックに直結するので、そのあたりを軸に色んな人が混ざってて、そういう場所で知り合うんですよ。

(※ジェイミー・ハダッドはマイケル・リーグのバンド ボカンテのメンバー)

ーーコロンビア人で日本で有名なところだとハープ奏者のエドマール・カスタネーダとかいますけど、ああいう人も接点あるんですか?

彼はまだ共演したことはないけど、知ってますね。ケーン・マティスとか、マックスZTはその枠ですね、超絶技巧の枠。

――アフリカの人が出てるNYのクラブってどういうところがあります?

昔はゼブロン(Zebulon)っていうのがブルックリンにあって、もう今は無いんですけど、アフリカ系でしたね。あと、ジンク・バー(Zinc Bar)が一応、ワールドミュージックで幅広くやってますよね。

――それにしてもすごい広いバリエーションの中でやっているんですね。

バリエーションを広げているからやれてる気はしますね。これがアルゼンチンの音楽だけみたいな感じで勝負するんだったら、難しいかもしれない。それぞれの音楽のリズム・パターンとか、そういうことは押さえるんですけど、基本的にはぴったりのタイム感で、いい音のチョイスってことを重視していて、トラディショナルなフレーズを知っていたら入れたらいいけど、無理に入れる必要はなくて、って感じでやってますね。

――自分なりのグルーヴでやるけど、ただどういうカルチャーなのかは押さえたうえでってことですよね。あとは経験値というか。

それぞれの音楽を独立して勉強しなきゃいけない部分もあるんだけど、音楽は繋がっているので。繋がっているのには理由があって、その音楽の伝わり方に理由があるんです。アフリカから人が連れてこられたことで、音楽も広まったのと同じように何かしらの理由がある。だから、幅広く知っていれば、なんとかなることも多いんですよね。アフリカだったら僕が知っているのは西アフリカとか北アフリカだと思うんですけど、そこら辺に行くと、ちょっと上がったら、モロッコがあって、中近東があって。だから中近東の音楽をがっつりやっているときに、インドの音楽に聴こえたり、アフリカの音楽に聴こえたりするときがあるんですよ、だから、繋がってるんだなってのはすぐに実感できるんですよね。同じようにラテンの音楽でもそういう感覚があるから。それがあって、西洋のクラシックのハーモニーがあって、ジャズなわけだしね。

――ちなみにアメリカに残ろうと思った決め手は?

卒業して、1,2年ボストンで仕事してて。ボストンだと教えながら、レストランみたいなところで演奏してて、ボブ・ザ・チェフ(Bob The Chef)ってジャズとレストランみたいなところでレギュラーがあったり、バンドの仕事とかしてて、仕事を繋いで、家賃も安かったんで、なんかやれるなみたいな感じで、細々とやってて、それでバンドのリーダーの人が「アーティストビザが欲しかったらサインしてやるよ」みたいな感じだったので「3年いれるのか、じゃやってみるか」みたいな感じですね。3年の間に、みんなNY行くし、自分も引っ越してみるかなって。NYでの最初はきつかったですよね。週末はボストンに仕事やりに戻ってました。ビザが3年更新なので、最初はこれで切れたら日本に戻ろうかなと思ってたんですけど、ぎりぎり繋がっていったんですよね、仕事ってアップダウンあるんですけど、ある時はレストランでの演奏が週7とかであったりするから。ちなみにハウス・オブ・ウォーターズはもともとストリートで演奏していたんで、NYの地下鉄の駅の構内で許可取ったりしてたんですよ。許可取って、オーディション受けて、時間割があるんですけど、駅の構内で、週2とか週3とか駅の構内で昼間に演奏してましたね。それが結構稼げたんですよ、CD2万枚くらい売れたんで笑

――えーーーー

手売りで。それでNYのローカルのファンが付いたんですよ、GroundUpから出したCDのリリースコンサートやったときに黒人のおばあちゃんとかが一人で来て、「あんたらのことは7年前に見てからずっとファンなの、偉くなったわね」とか言われて笑。地下鉄で見てくれてた人の中で、ヴィデオ撮る人や写真撮る人とも知り合いになったり、地下鉄がきっかけでウエディングの仕事がきたり、大きい仕事に変わっていったりとか、その時はすごく楽しかったですね。でも、しんどさもあって、お客さんがいないところで演奏を始めて、まずは人を止めなきゃいけないわけで、止めた人に気に入ってもらえたら1ドルもらえて、もっと気に入ってもらえたらCD買ってもらえるんだけど、それは勉強になりましたね。その後、ブッキングのエージェントも決まって、ストリートはやれなくなったんですよね。

ーーその話はNYのミュージシャンのリアルって感じで面白いなぁ。

あとはNYのサーカスで演奏してましたね。8年くらい前にサーカスでドラムを叩いている人と知り合って。サーカスでベース弾いてたのはニール(Neal Persiani)ってやつで、マーク・ジュリアナHeerntってバンドやってたやつなんですけど。

そいつはSemi Precious Weaponsってグラムロックみたいなグループでやってて、そいつらはレディガガの前座でツアーに出るってなって、それで空きが出たんで僕がサーカスの仕事に入れたんですけどね。ちなみにもともとSemi Precious Weaponsの前座はレディガガだったんですよ。ロックウッドミュージックホールみたいな場所でレディガガが前座やってて。で、レディガガが有名になって、ツアーをやるってなったときに「前座はSemi Precious Weaponsがいい」って言って。もちろんレコード会社もマネージメントも誰も知らなくて、でも、レディガガが「このバンドじゃないとツアー行かない」ってごり押しして連れて行ったって有名な話があるんですよ。

話は戻るんですけど、最初はニールの変わりはビル・フリゼールとかとかやってるカーミット・ドリスコール(Kermit Driscoll)がやってたんですけど、カーミッドのサブが必要だからって僕が呼ばれて。でも、いきなりカーミットから電話があって「明日の朝なんだけど行けるか?」みたいになって、譜面も読んでなかったけど、断ったら二度目はないだろうなと思って引き受けました。カーミットが事情があって辞めたので、その後ずっと僕がやってました。そんなのをやりつつ、その間にハウス・オブ・ウォーターズをやりながら、いろんな仕事をして、みたいな感じで。

――アメリカでサバイブしてるんですねぇ

いやー、NYは大変ですよ。毎日がオリンピックみたいと言うか、世界中から集まってきますからね。だからってよく観に行くとかっていうわけじゃないんですけど、近くでそういうのがあるっていうのを感じるっていうのはミュージシャンにとっては大事かもしれないですね。

――そういえば、ハウス・オブ・ウォーターズの曲ってほとんどフクシマさんが作曲してますよね。

そうですね。マックスZTも曲は書けるんですけど、ダルシマーって楽器ってこともあって、限界があるので。ダルシマーに寄せちゃうとトラディショナルになっちゃうんですよ、トーナリティーというか、ハーモニー的にそこから抜け出せない曲になってしまうので、それを広げないと飽きが来るっていうのもあって。僕はコードが弾けるので、ベースだけじゃなくて、ハーモニーも弾くし、カウンターメロディーも作れるので、それを噛み合わせていったらジャズヘッズが聴いても負けない曲には持って行けるかなって、そこに魅力を感じてますね。

――ダルシマーが入っててもワールドっぽくならないのがいいんですよね。

思いっきりワールドっぽくなっちゃって、こてこてのアフロポップみたいになっちゃうと自分とは違うなって思っちゃうんで。それなら僕らがやらなくていいんですよね、マックス自体はセネガルインドに住んで勉強してきているので、アフリカっぽいのとかインドっぽいアイデアで演奏するんですけど、こてこてにやるんだったら、そっちの専門の人にやってもらったらいいし、それをもとに違うところに広がる音楽になったらいいんだろうなと。

――ダルシマーは使ってて、ダルシマーでしかできないものにはなってるけど、民族音楽にはなってなくて、洗練されてるんですよね。

一大発見だと思います。マックスみたいなダルシマーをあれだけ弾ける人がいて、あれだけインパクトがあって、彼がいたらそこに留まらないでいろいろ広げられるんだって発見によって、作曲がすごく楽しくなりました。

――あそこまで弾ければ、楽器に縛られるというよりは、新しい可能性の方があるかもですね。

そうなんですよね。僕はダルシマーって初めて聴いたのは幼稚園の時なんですよ。ちっちゃいころに上村直己物語って映画があって、その映画の音楽が好きで、母親にレコードを買ってもらったんですけど、そのサントラを担当していたのがウィンダムヒルで、そこにダルシマーが入っていたんですよ。マルコム・ダルグリッシュ(Malcolm Dalglish)って人が演奏してて、その曲を気に入っていたみたいで、小さいころから好きだったみたいです。その時は何なのかはわからなかったけど。

――縁があったと笑 ところでマックスってなんでダルシマーみたいな楽器を演奏するようになったんですかね?

両親がいろんな音楽を聴かせていたみたいで。ミッドウエストではダルシマーは割とポピュラーな楽器らしいんですよ。それをフォークミュージックフェスティバルでたまたま見て、気に入って、買ってもらったのがはじめらしいです。ちなみにあの楽器をマックスみたいに弾くのはマックスだけですからね笑 普通はもう少しゆったりと弾くものみたいですね。

――彼はもともと何の楽器をやってたんですか?

最初からダルシマーですね。彼はダルシマーしか弾けないんですよ。彼は譜面とかあまり読めないし、音楽理論もあまりわかってないので、ジャズみたいにFとかEbとかのキーでみたいな話はマックスには無理です。彼はアイデアとして、そのコンセプトは持てないんですね。だけど、マックスには別のことをやってもらって、下だけEbとかそういうところに持って行くことの楽しさに僕は快感を覚えたんですよ。

――じゃ、普通の作曲とか普通の演奏ではないんですね。マックスは武器でもあり、制約でもあって、そこが面白さになっているんですね。

音楽なんて、自分でどれだけ制約を作るかってゲームみたいなものなので、その制約がダルシマーで、でも、マックスには超絶技巧があるから、そこが面白いんです。マックスは絶対に点を取るフォワードというか、絶対にホームランを打つバッターというか、ファーストインパクトとしてあれが出てきたらみんなびっくりするだろうし、それをどうやってさらに先に持って行けるかが僕の役割ですよね。

逆にマックスもあのインパクトで他の仕事では上手くいくときもあるけど、上手くいかない時もあるんですよね、作曲する人によってはあの楽器のシステムや特性に合わせるってところに魅力を感じない人もいて。でも、それも正しい考え方だと思いますね。

そういえば、マックスってグーグードールズでも一曲弾いてたりするんですよ。マックスのルームメイトがデイヴ・イガーってチェロ奏者でノラ・ジョーンズとかクリス・ポッターエルヴィス・コステロ、フランク・オーシャンフリート・フォクシーズとかやってるスタジオミュージシャンなんですけど、彼がグーグードールズと知り合いで、こんなのいるよみたいに紹介したらしくて、それでレコーディングに参加してましたね。そういう使い方もあるし。

――なんかNYはいろんな繋がりがあって面白いですね。

でも、普通はある程度有名になったら、NYを出て、どっかいいところに住むんですよね。有名な人はそういう人が多いんですよ。でも、マイク・スターンレニー・スターン夫婦って、そういうのをせずにずっとNYにいて、僕はあの夫婦と仲が良くて。セッション要員で呼ばれるんですよ、あの夫婦は朝から練習するんですよ、スタンダードを笑。

――へー、それは意外な繋がり。

レニーはウェイン・クランツティム・ルフェーブルネイト・ウッドとバンドやってて、そこの曲を書いてて、ウェインもレニーの曲に魅了されてるんですよね。まだウェインが有名じゃない時にレニーがサポートしてたりして。レニーはいろんなことをやりたい人みたいで、インド音楽だったり、アフリカ音楽だったり、いろいろチャレンジしてるから、彼女の音楽は面白いですよ。夫婦でセッションしてると、途中でマイクが止めるんですよ。「え、レニー、今何弾いたの?」って(笑 だから、レニーはマイクのインスパイア源になってるんですよね。ちなみにマイクは僕が弾いてるときもたまに止めますからね笑。マイクも好奇心旺盛で熱心なんですよね。レニーはエスペランサとも仲がいいし。その辺も繋がるんですよ。実はハウス・オブ・ウォーターズを最初にいいって言ってくれた有名人はマイクなんですよ。55barで僕らがアーリーショーで、レイトショーがマイクだった時があって、マイクはいつも早く来て、彼は来たら一番前の席に陣取って前座のライブを観るんですけど、僕らのことも観てくれて。その同じ時期にレニーがCDを出すことになって、レニーからも「リリースライブのオープニングアクトやらない?」みたいな感じで誘ってもらって。その時の話をレニーがするんですけど、マイクに「ハウス・オブ・ウォーターズってバンドを前座にするから」って言ったら「あいつら演奏すごいし、早いからやめとけ」って言われたって笑 あの夫婦はそういう感じなんです。

――マイク・スターンってけっこうおもしろいゲストを起用するんですけど、そうやってチェックしてるんですね。

レニーが先に見つけるらしいんですけどね。リチャード・ボナとかもレニーが紹介したらしいんですよね。レニーが幅広く出かけて、見つけてきたりして、それをマイクに紹介して。彼女はNY音楽シーンの重要人物の1人かもしれないですね。そういう人と繋がりが持ててありがたいですね。■

■Profile:Moto Fukushima
NYCを拠点に活動する6弦ベース奏者/作曲家。三味線奏者でもある。バーク―音大卒。
ブルックリンをベースに活動するトリオのハウス・オブ・ウォーターズのリーダーでもある。ハウス・オブ・ウォーターズはスナーキー・パピーのレーベルのグラウンドアップに所属。
テクニカルな6弦ベースの演奏能力と、ジャズをはじめ、南米音楽を中心に、クラシックや日本の伝統音楽、アフリカ音楽などにもインスパイされた音楽性も高い評価を受けている。

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