Interview Kan Sano - どこにも属したくないと思ってたし、誰とも同じことをしたくないと思ってやってきた《Jazz The New Chapter for Web》

僕は2014年2月に『Jazz The New Chapter』を刊行した。その時に売り場を見にタワーレコードに行ったら、店内演奏の音源が耳に留まった。「あれ、この感じ、自分の本でも取り上げてる感じのサウンドじゃん…」。何がかかっているのかを見たら、それはKan Sanoの2ndアルバム『2.0.1.1.』だった。「わ、日本人かよ」。そこから彼のファンになった僕は何度かライブにも足を運んだりもした。

2017年にKan Sanoは3rdアルバム『k is s』をリリースした。その頃、ふと「そういえば、今ではCharaやUAのバンドにも参加していたり、関ジャムでも紹介されたり、注目度は上がっているのだが、彼のバイオグラフィーっていまいちわからないな」と思った。バークリー音大を卒業していることは知っていたが、そこで何をやっていたのか、その後、どうやって今のようなアーティストになったのか、一度まとめたいなと思った。このインタビューは、『k is s』発売からしばらくした2017年の3月に取材させてもらったものだ。

――Origami PRODUCTIONSってレーベルの初期からいたんですか?

mabanuaのサポートでかかわってました。アルバムもちょっと弾いたり、ライブは最初から手伝ってましたね。

――基本的にOvallのメンバーがOrigamiにいて、その後、周りの人も入った感じでサノさんも入ったんですか?

そうですね。最初はSWING-O a.k.a. 45渥美幸裕さんとかもいました。ジャムナッツ(JAMNUTS)って言って、渋谷のプラグとかでセッションやってたやつらを集めて、Origamiでアルバムを出したりしてて。僕はそこには入ってなかったけど、そのシーンの隅っこのほうにいたって感じですね。

――まぁ、初期のサノさんってバンドっぽい感じじゃなくて、ビートメイカーっぽいイメージですよね。

ミュージシャンのセッションがあまり面白いと思えない時期で、ただソロを弾いて終わりっていうのがつまらないから、あまりセッションとかも行ってなくて、それよりはマイスペースが流行ってたから日本のCOSMOPOLYPHONIC(※Sauce81RLPが所属していたDJクルー。Sauce81、RLP、Onra、TOKiMONSTA、Pursuit Groovesといったビートメイカーが参加したコンピレーション『COSMOPOLYPHONIC』をリリースしている)っていうDJ集団とか、そういう人と繋がったりとか、その頃は、そういう方が楽しかったですね。

――バークリーから帰ってきてからそんな感じだったんですか?

2006年に日本に帰ってきて、その頃にマイスペースが流行っていて、それまでうちらの世代のビートメイカーの横の繋がりがなかったので。COSMOPOLYPHONICのメンバーとか、Daisuke Tanabeとか、Yoshi Horikawaとか、みんなそうですね。その中からレッドブルミュージックアカデミー経由で海外に出ていった人もいるんだけど、日本でそういう繋がりってなかったから。

――サノさんってもともとどういうビートを作ってたんですか?

僕がトラックメイクを始めた頃、ブロークンビーツが流行ってて。20歳くらいのころかな。ブーム的には終盤だったんですけど、ジャザノヴァ(Jazznova)とか、ソナーコレクティブ( http://www.sonarkollektiv.com )周辺とか、マーク・ド・クライブロウ( Mark de Clive-lowe )とか、そういうのを聴いてました。

――それはバークリーに留学してた頃のボストンで?

ですね。もともとネオソウルから入ってるから、そっからヒップホップを聴いて、ブロークンビーツとか、クロスオーヴァーな方面に行ったって感じですかね。

――たしかにビートメイカーとしてはUSのヒップホップっていうよりはUKとかヨーロッパの感じがありますよね、サノさんって。

そうなんですよ。

――その感じの人って他にいないですよね。

基本的にどこにも属さないでいままでやってきたんです。ハウスにも行きたくないし、ヒップホップにも行きたくないし、ジャズメンにもなりたくないし、ずっとそうやってやってきたんですよね。そもそもバークリーでブロークンビーツやってる人とかいないし。

――そらそうですよ笑

バークリーってジャズマンばっかりなので、そういうところにいるとそこにいる人たちと違うことをやりたくなるんですよね。

僕がバークリーにいた頃に今、monologって名前でやってるYUKI KANESAKAってやつがいて、彼はチビユキって呼ばれてて。あと、ビッグユキとして知られているMasayuki Hiranoもいたんですけど。僕はチビユキと仲が良くて、あの人は当時からトラックメイカーとして完成されてて、すごい影響を受けたんですよね。あの人がやってた感じって、まさにマーク・ド・クライブロウみたいな感じだったので、その影響は大きかったかもしれないですね。一緒にバンドもやってたし。

――確かにmonologってUKっぽいセンスというか、クラブジャズっぽいというか。

彼は2005年くらいにドイツのin|phusionってレーベルからリミックスを出したりしてましたからね。

――Kan Sanoさんの『2.0.1.1.』とか聴いてると、Jディラっぽいビートもあるんだけど、とはいえ、ヒップホップの人でもなさそうだなって感じがあって、それがブロークンビーツとかヨーロッパの感覚も混じってたからってのは納得ですね。

基本的にブラックミュージックが好きなんですけど、ネオソウルとか好きでも日本人がやっても同じにはならないじゃないですか。そうなるとジャザノヴァのプログラミングとかに共感するんですよね。ブラックミュージックがあって、それに対してどういうグルーヴとか、音作りができるかって考えると、ヨーロッパの方が自分のスタンスとかやりたいことに近いと思ってましたね。

――アメリカにいたら、そういうUKとかの音楽を聴いてる人自体が少なそうですよね。

特にバークリーはジャズマンばっかりで、monologもそういうところと距離をとってて、学校では珍しいタイプだったんですよね。そこが良かった理由というか。

――例えばネオソウルっぽいとか、LAのブレインフィーダー的なビートミュージックっぽいとか、もしくはフローティングポインツみたいな感じとか、いろいろありますけど、生演奏とプログラミングを両方やってて、その辺の感じも入りつつ、UKっぽいセンスも入ってるサノさんみたいな感じって、他にあまり思いつかないですね。

少なくとも日本ではそういう感じの人はあまりいないんですよね。

――だからある意味では浮いてるんですけど笑

結局、どこにも属したくないと思ってたし、誰とも同じことをしたくないと思ってやってきたから、そりゃそうなりますよね笑

――『2.0.1.1.』よりも『k is s』のほうが今話したようなビートメイカーっぽい感じが強かったかも。バンドっぽいけど、音作りとかを聴くと、ブロークンビーツとかクロスオーヴァーとかも好きな感じが入ってる気がします。

今までやったことを割とてらいなくやったというか。もうやったことではあるけど、もう一回ちゃんとやろうって思ったんですよ。今までやってきたことをまとめて、今の自分のバランスでやれば新しいものになるだろうと思ったんです。

――結構音が変わりましたね、『k is s』で。

完成まで2年くらいかかったので、作ってる間に音が変わっていってるんですよね。自分で今回はいきなりこれって言うよりは時間が経っているので、自然と変わっていってて、自分の中では大きな変化ではないんですよ。

――最初に作ったデモと完成品って全然違いますか?

没にした曲もいっぱいあって、最初の2011年の『Fantastic Farewell』寄りの曲で、インストでもっとクラブ寄りなトラックとか結構あったんですけど、そういうのを全部カットしたんですよね。その2年の間に大橋トリオやUAのツアーをやったりとか、いろんな人とやったし、そういう影響もあったんじゃないですかね。

――じゃ、2014年の前のアルバム『2.0.1.1.』の延長っぽい曲が多かった?

最初はごちゃまぜにしたようなものをやろうと思っていて、ファーストのころのようなものとか、そっちに振り切ったものとポップなものとごちゃまぜにしたものにしようと思ってたんですけど、Origamiと話していく中で、作るんだったらどっかに方向性を決めてまとめたほうがいいねって話になって、それで今回の感じに絞ったって言う感じです。たしかにいいアルバムとかってブレがないんですよね。自分がよく聴いてるアルバムにしても「あのアルバムのあの感じが聴きたい」って思って聴くわけで、そこがあいまいになってると作品としてどうなのかなってのはあって、今回はこの方向に決めましたね。

――前のはピアノ弾いてるって感じだったけど、今回はシンセとエレピ。

前のアルバムの反動ですかね。一回やると違うことをやりたくなるので、前にやらなかったことをやろうと思って、前回は初めてドラムを人に叩いてもらったんですよ、mabanuaとかに頼んで。もう一回、今回は打ち込みに戻ってやろうっていうのと、メロウなゆっくりめのテンポが多かったから、アップテンポを増やしたいなとか、そういうのはありましたね。

――これって基本的に一人?

完全に一人です。

――ドラムは全部打ち込み?

全部打ち込みです。一人の方がやりやすいんですよね、全部自分でミックスできるし、生ドラムだとミックスが難しくて、あとは今回は自分のイメージしているサウンドも打ち込みの方が表現しやすいというか。

――でも、かなりバンドっぽさもある打ち込みですよね。

そうですね。シンセとかもいっぱい使うけど、オーガニックなシンセサウンドって言うか。そういうのが好きなんでしょうね。でも、それもファーストとか、Bennetrhodesって名義で作ったものとか、前の作品でちらほらやっていたりしたんで、今回はそれらをもう一度ちゃんとやってみたかったって言うか。新しいことにチャレンジするって言うよりは、今まで培ってきたものや試してきたものを集約させてきたって感じですね。

――前の延長っぽいビート感も少しはありますよね。

BPM90くらいのJディラっぽいビートの感じに自分も飽きてきた時期があったんだけど、このアルバムの最後のほうになったら、やっぱりいいよなって思えてきて。自分もずっとネオソウルとか聴いてきたしやってきたし、自分の得意分野でもあるし、それもやろうって思って、そこは出し惜しみせずやろうと思いましたね。

――クレジットをきちんと見ない人とか、普通に配信で聴いてる人とか、バンドだと思う人もいるんじゃないですか?ドラマーとデュオでやってるライブでも手元が見えなかったら、ベースラインとかどうなってるんだろうとか、わからない人も多いんじゃないですかね。あれはPCから出してるわけですよね?

ですね。

――特にライブは、どこ弾いてて、どこが打ち込みなんだろうって思ってる人多いかも。その感じがアルバムにもかなりありましたね。

結局、音源は全部自分で弾いてるんですけどね笑 僕はずっとバンドでやってきて、バンドマンでもあるから、そういう自分なりのトラックの作り方って言うか、そういうのはあるんでしょうね。それは他の人には出せないところなのかもしれないし。自分で好きで聴いていたのもネオソウルとかだから、(打ち込みが入ってても)生っぽいって言うか、エリカ・バドゥとかディアンジェロとか、Jディラのビートももちろん好きなんですけど、クエストラヴが叩いてる生のビートが好きだったんですよね、当時から。

――なるほど。

『Voodoo』『Mama‘s Gun』『like water for chocolate』は昔使った教科書みたいな感じですしね。Qティップだと『The Renaissance』は昔からすごい聴いてましたね。あと『k i s s』を作り始める最初のころに『Kamaal/The Abstract』を聴いてました。サウンドやビートの質感とか、ピアノとかエレピの使い方とかがいいんですよ。

――でも、ここまで生演奏と打ち込みとどっちの人なのかよくわかんない人っていないんじゃないですか?だから、参照元もあまりなさそうって言うか。

そうですね、誰かを参考にしたっていうのがあまりないですね。

――ライブで見てても、誰かに似てるとかないし。

ないですね。ライブはスケジュールとか、経費とか、いろんな問題があり、二人編成でやってるんですけど(※現在は三人編成)、ほんとうはもっとメンバーを増やしたい気持ちはあるんですよ。出来れば。

――あ、そうなんですね。僕は全部できちゃうし、出せちゃうから、ドラマー1人で充分って思ってるのかと。

いやいや、ほんとはベースとかも入れたいんですけど、生で再現しようと思うと、人数も増えてしまうので、ライブによってメンバーが変わったりするのも嫌なので、バンドって生き物だから。一個決めてやるなら、全部それで回りたいなと思って。今、最小限ですから。

――でも、あれも良くないですか?

やりやすいですよ、メンバーが少ないと。

――自分がやりたいことは割とあの編成で出来てるんじゃないですか?プラスアルファはあると思うけど。

基本はできてますね。次作ったらまた変えるかもしれないですけど。

――マーヴィン・ゲイの「What’s Goin on」のヴォーカルを使って、生演奏と打ち込みでその場でリミックスするみたいなあれすごいサノさんっぽいなって。ヒップホップとかじゃなくて、テクノとかハウスの人っぽいなって思ったんですけどね。カヴァーかリミックスかわからない感じをライブでやるのは面白いですね。

「What’s Goin on」が好きで、どうしてもライブでやりたくて、ああいう形に辿り着きましたね。リミックスをサウンドクラウドにアップしたら好評だったので、ライブでもやろうかなって。そっからですね。

――あれってマーヴィン・ゲイのリミックスのライブバージョンなんですね。

そうですね。

――ライブで生バンドの人が声ネタ使ってやってるのって珍しいなと思って。

Diy Tokionってバンドがいて、いろんなヒップホップのアカペラを持ってきて、それに合わせて生バンドで演奏するんですけど、マーヴィン・ゲイとかディアンジェロとかネットに落ちてるアカペラを持ってきて。それをPVとリンクさせて、スクリーンに映像を映しながら演奏するみたいなのをやってて、めっちゃかっこよくて。だから、その影響もあるのかな。けっこう前の話ですね。
ああいう自分がずっとやってきた中では割と直球のビートを使ってるんですけど、自分的にはわかりやすいって言うか、そういうのもライブでやったほうがいいかなって。自分が既に知ってても初めて聴く人も多いし、そういうのも見せたいなと思って。

――自分が今、やれることだけじゃなくて、自分がしてきたことも見せるというか。

そうですね。で、またネオソウルっぽいサウンドも復活してて、自分は二十歳くらいのころにずっとそういうのを聴いてきたし、そういうのがルーツにあるから、そこは今出してもいいかなって。

――でも、出し方は変わってますよね、『k is s』は80年代っぽさもあるし。

90年代っぽいところもありますからね。懐かしい感じっていう人もいるし。そこはちょっと意識してるんですよね。

――あー、なるほど。小沢健二が『Life』とかでやってるファンクっぽさというか。

そうですね。今回作るときに、日本のソウルとかR&Bの系譜を聴き直してたんですよ。山下達郎さんから始まって、自分が一番音楽を聴いていたのは90年代ごろで、その頃、小沢健二とかUAとか聴いてて、久保田利伸とか、そういうの聴いてたら、ちょっと近いところもあって。

――山下達郎ってどの辺ですか?

「Paperdoll」が入ってる『GO AHEAD!』とか。『Ride On Time』も好きなんですよ。その辺はすごい聴いてましたね。

――久保田利伸だと、アンジー・ストーンモス・デフとかとやってる2000年代頭のころの『Time To Share』とか?

そうそう。あの辺とか。その日本のブラックミュージックの系譜の影響はあるんですよね。

――あー、そういう意味でもDJっぽいですね。今海外で評価されてる山下達郎からって部分は。Jポップっぽくないけど、Jポップっぽいところも薄っすらありますよね。

今回は邦楽をかなり意識しましたね。以前はジャイルス・ピーターソンとか海外が頭の隅にあったけど、今回は吹っ切れたって言うか。日本で活動してて、アルバムを出して、全国ツアーもやって、それを聴いてくれてた人たちに向けて作りたいって部分もあったから、自然と邦楽を意識するようになりましたね。邦楽のつもりで作った部分もかなりありますね。

――キャッチ―な日本のポップな歌ものっぽい感じがありますね。でも、ディテールはJポップぽくなくて。

そうですね。使うコードとかがJポップで使われるものと違うことも多いから。

――AメロBメロサビみたいなポップスっぽい構成じゃないし。

それは僕がDJが好きで、今でも憧れがあるのも関係ある気がするんですよね。

――DJをやってたことは?

ないです。バークリーでジャズマンばっかりの世界でうんざりしてたころに、DJって同じレコードでも全然違う聴き方をしているじゃないですか。その聴き方がリスナー的だったり、プロデューサー視点だったりするから、自分と近くて。そこが良かったんですよね、そんな世界があるんだなと思ったんですよ。その頃に小川充さんが書いた『スピリチュアルジャズ』ってディスクガイドとかに出会って、衝撃だったんですよね。要はバークリーの中だとサン・ラとかは誰も相手にしてないって言うか、みんな聴こうともしないんですけど、DJの中では神じゃないですか。アリス・コルトレーンとか、ファラオ・サンダースとか。その当時の僕にはそっちの方がしっくり来たんですよね。

――へー、そうなんですね、。僕はてっきりDJとかもやってた人なのかと。

いやー。当時はやっぱり、学校の中にいるとオーセンティックなジャズって言うか、そういうものをみんなやるし、聴いてたし、もちろん自分も好きだし、演奏するし。でも、聴き方とか聴きどころがみんなと違ってて、それは何なのかなって考えるとDJやプロデューサーの視点なんですよね。

ーーたしかにジャズとかファンクとかフュージョンとかの解釈もジャズを学んできた人とは少し違いますよね、そこもサノさんの特徴だと思うんですよ。

プレイヤーは演奏だけを聴くんですよね、それが嫌で。バークリーで会ったmonologもそんなスタンスでしたね、バリバリ弾くんだけど、常にプロデューサー視点で全体を見ていた。

――サノさんって難しいこともできるのにやらない人って印象もあって。一番気持ちいいし、かっこいいほうを選ぶ人って言うか、そこがプロデューサーっぽいんですよね。

難しいことを難しくやることに面白さを見出せないというか。だから、mabanuaとかは数少ない感覚が近い仲間ですよね。

――マーク・ド・クライブロウはどうですか?彼もプレイヤーだし、ビートも作るし。

かなり影響もうけましたね。ドリアン・コンセプトとかもね、あの人もけっこう弾けるじゃないですか。僕がバークリーがいた頃って、monologもいたし、BIGYUKIもいたし、センスのいいジャズミュージシャンが増えてきたころで、結構周りにいたんですよね。

――じゃ、ギタリストの宮崎大さんとかも同じ時期ですね?

あー、そうですね。一緒にギグやってましたよ。彼は今何やってるんですか?

――彼はフィラデルフィアにいて、ネオソウルとかコンテンポラリーゴスペルの第一線でやってるんですよ。で、僕の本『Jazz The New Chapter 4』でインタビューしたんですよ。

あ、今、フィリーにいるんだ。へー。

――そうなんですよ。

この世代はいろいろいたんですよ。Monologは当時から完成されてて、やりたいこととか作風がはっきりしてて、今と変わらないですよ。クオリティが高かったし、演奏力もすごかったから、みんな影響を受けたと思う。あの頃、BIGYUKIとmonologはお互い意識してて、あまり近寄らないって言うか。そんな感じでしたよ。BIGYUKIも当時から素晴らしかったから、僕らからしたらやっと出て来たかって感じですよね。今まで何してたんだよって。

――何気にバークリーのポジティブな経験もネガティブな経験も今に繋がってるんですね。

Monologはモーメント・オブ・トゥルースってオルガントリオをやってて、ソウライヴとか流行ってたちょっと後くらいで、ネオソウルの影響とかも受けたソウライヴ的なジャムバンドのアップデート版みたいなのをやってて、BIGYUKIはJP3ってオルガントリオをやってて、田中TAK中村あきらの3人でやってて、僕は別で3PEACEってオルガンのトリオをやってました。僕らの中で左手でベースを弾くブームがあったんですよね、当時。

――じゃ、サム・ヤヘルとか好きですか?

ジョシュア・レッドマンエラスティックはすごい好きでしたね。でも、ソウライヴも好きでしたよ。たぶんmonologがやってたから、その影響で左手でベースを弾くのにチャレンジしたんじゃないかな。最初に見た時にびっくりしましたから。

――どういう曲やってました?

エラスティックっぽい曲とか。あとは、ソウライヴっぽいノリやすい曲とか。ソウライヴの1stのころの感じかな。だから、今も左手でベース弾くのは好きなんですよね。

――そういうのもあって、打ち込みでベースをやってもバンドっぽくなるというか。

自分でベースをやってましたからね。ピノ・パラディーノとか好きなんで、特にライヴだと、フィジカルな満足感も得たいわけですよ、だから、それがいわゆるトラックメイカーとかDJとは違う感じになると思いますね。ライブの時は特にいちミュージシャンだから。

――サノさんがライブの時に使うトラックってカラオケ感がないって言うか。不思議とバンド感があるんですよね。

そこは意識してます。同期っぽく、カラオケっぽくなるのが嫌なんですよね。

――ジャズピアニストだと誰が好きですか?

どストレートですけど、ビル・エヴァンスハービー・ハンコックキース・ジャレットですね。いまだに好きです。

――世代的にはメルドーとかどうですか?

好きですね。でも、バークリーだとハービー好きな人が多かったですね。大学の時はロバート・グラスパークリス・デイブとかも聴いてましたね。それこそmonologとか、僕とか、バークリーの僕らの周りはみんなクリス・デイブが好きで、ケニー・ギャレットのバンドでやってた映像とかがあって、そういうのめっちゃ見てましたね。ケニー・ギャレットとか、ジョシュア・レッドマンとか、ブランフォード・マルサリスとか、コンテンポラリーなジャズマンの中でもファンキーなことをやる人が好きで、その辺はめっちゃ聴いてましたね。

――そもそもバークリーって何科ですか?ジャズミュージシャンになろうと思ってたんですか?

ジャズ作曲ですね、ジャズ・コンポジション・メジャー。ジャズをちゃんとできるようになりたかったんですけど、地元が金沢で、金沢から留学したんですけど、地元の音楽シーンって狭いし、ジャズマンも少ないから。

――何歳で留学したんですか?

18です。ジャズマンになろうとは思ってなかったんですけど、何をやるにしても一回は勉強はしておいたほうがいいなと思って。

地元でもジャズはやってましたね。高校3年くらいからですかね。自分と同世代に全然ミュージシャンがいないから、上の世代の大学のジャズ研の人とか軽音の人とバンドやってました。

――ジャズやり始めたきっかけは?

多分それまで聴いていたロックやポップスだけでは物足りなくなったんでしょうね。

――でも、そんなジャズに行った人が、クラブ寄りのものだったり、ポップだったりする方向に行ったのはなんでですか?

難しいことを難しくやるよりも、入り口は広くて入りやすくて聴きやすいけど、よく聴くとすごく高度なことをやっている方が、実は一番難しいしやり甲斐があるなって思うようになって。自分もビートルズとかから音楽に入ったから、そのすごさとかを感じるんですよね。ここ数年CharaさんとかUAさんとか、メジャーアーティストのサポートもやるようになって、更にそういうことを考えるようになりましたね。

――サポートをやるようになって、変わったと思います?

変わったと思いますね。ポップスに対しての考え方って言うか、今まではポップスと距離を置いていて、自分は自分でコアなことをやっていればいいと思っていたんですけど、そうじゃないなって。アーティストだからアーティスティックなものを作るのは簡単なことなんだけど、たくさんの人に届けるものにするのはすごく難しいんですよ。自分はそれをやりたいなって思いが出てきました。Charaさんも大橋トリオとか、みんなそういうアーティストだと思うんですよね。

――でも、使う側はアーティスティックなものを求めてサノさんを使ってるんでしょうね。

Charaさんは自分がやりたい音楽があって、そのために人を集めてますね。あの人も自分は日本人に届けるって意識があって、自分が邦楽をやっているって言う自覚はかなり持っていると思うんです。でも、普段聴いている音楽は洋楽ばっかりなんですよね、めっちゃ詳しいんで、あの人。俺が知らないものをよく聴いてて。でも、それをそのままやるんじゃなくて、Charaさんのフィルターを通してみんなに届けるっていうのがあの人の役目で、それを本人も自覚しているんでしょうね。

――ちなみにCharaさんのバンドに入るのはどういう経緯で?

mabanuaがバンマスでやるときに呼んでもらったんですよ、そこからですね。Charaさんは常にインディーをチェックしているので、今思えば、遅かれ早かれどこかのタイミングで繋がっていたと思いますね。

――ところで留学が終わって、日本に帰ってきて最初は何やってたんですか?

最初はトラックを作って、My Spaceにアップして、海外のレーベルにデモを送ってました。例えば、Brownswood( https://brownswoodrecordings.bandcamp.com )とか。そういうのをやりながら自分の周りのミュージシャンの手伝いみたいな感じでライブのサポートやったり、ホテルのラウンジやバーでピアノを弾いたりしてましたね。

――海外のレーベルに送った音源ってどうだったんですか?

最初はまったく反応が無くて。それでも2、3年くらい続けてたら少しずつだけどコンピレーションに入れてもらえたりするようになって、ぽつぽつとですけど。その後に1st『FANTASTIC FAREWELL』を出したんですよ。『Beat Dimensions』(※オランダのラッシュ・アワーRush Hourによるコンピレーション。Vol.1が2007年、Vol.2が2009年。シナマンとジェイ・スカーレットが選曲していて、フライング・ロータス、ハドソン・モホーク、ディムライト、ノサッジ・シング、ラスGなどが収録されていた)ってコンピレーションがあって、Jay Scarlettって人がやってたんですけど、そこにフライングロータスとか、ドリアン・コンセプトとかが収録されてて、すごくいいコンピレーションで。そのジェイがやっていた別のコンピレーション『Jay Scarlett & Onur Engin Present: Maverick Sessions Two』に入れてもらって。

――じゃ、その頃はビートメイカーになりたかったって感じですか?

そうですね。でも、いざビートメイカーとしてやろうと思うと、自分の周りには凄いビートメイカーがたくさんいてとても敵わないから、なんとか自分なりのやり方を確立したくて試行錯誤してましたね。

――その試行錯誤の中で、ここから結構軌道に乗ったかもみたいな出来事ってありますか?

いやー。ファーストの『FANTASTIC FAREWELL』を作ってた頃までが一番孤独でした。超孤独でした。ホテルのバーとかラウンジでピアノを弾いて、家に帰ってトラックを作ってみたいな感じで、でも、レーベルも見つからないから。やっと見つかったのが、栗原大さんって方がやっていたサーキュレーションズってレーベルで、Daisuke Tanabeを出していたレーベルなんですけど。それもなかなかリリースの話が進まなくて、その時期はけっこうつらかったですね。

――最初にレーベルに所属して作品を出すって時期はもろビートメイカーだったんですね。

そうですね。

――ピアニストとして出したい気持ちはなかったんですか?

ソロとかピアノトリオも作りたかったんですけど、自主で作って手売りしてたくらいですね。でもトラックメイカーとして成長すると、ピアニストとしても成長出来てたりするんですよね。相乗効果みたいなのがあって、いろいろやっていると、少しづつ全部がスキルアップしている感じがあるんですよ。だから、ピアニストとしても成長していたと思いますね。

――Kan Sanoはバークリーから帰ってきて、何やってたんだろうと思っていたけど、そんなうまくいかない時期があったんですね。才能あってずっとうまくやっていた人かと思ってました。

いやー、売れなかったですね笑 全然ですよ。結局、どこのシーンとかグループにも属さないし、属したくないし、みんなと違うことをやりたい、けど、そうなると認めてもらうのが難しくて、認めてもらいたいし、みんなに聴いてもらいたいけど、誰にも相手にされないから、辛かったですね。そういう意味では今は幸せなんですよ。少なからず、自分のアルバムを買って聴いてくれる人もいるし。

――音楽はどこにも属してないもののままですよね。

そうですね、それをずっとやってきた結果、そこに共感してくれる人やこれいいなって言ってくれる人がいるんで、それはやっぱり続けてきたからでしょうね。

ーーところで、2013年に出した『ピアノ作品集』もそうなんだけど、アコースティックのピアノを弾くときって、和っぽくなりますよね?

なりますね笑

――あれなんなんでしょうね。Jポップじゃなくて、和っぽいんですよ。

即興でやっていると、そういうのがポンって出てきますよね。

――違和感がない感じでふっと出てくるんですよ。意識はしてないんですよね?

そうですね、割と自然に出ちゃいますね。ピアノって言う楽器もあるのかな。でも、ピアノはキース・ジャレットの即興をめっちゃくちゃ聞いてた時期があって、『ケルン・コンサート』とか『サンベア・コンサート』っていう6枚組くらいの即興しか入ってないやつとかめちゃくちゃ好きだったんで、その影響とかもあるのかな。和っぽいものを弾くというよりは、即興でとにかく弾くっていうのに影響を受けましたね。

――即興は好きなんですね。

そうですね。でも、ジャズスタンダードでアドリブを弾いたりするより、完全即興が好きなんですね。

――既存の曲をリハモしようとかじゃなくて、ゼロから弾きたいって感じ?

そうですね。キース・ジャレットだと、ジャズとかフォークとか、ゴスペルとか、クラシックとかいろんな要素が自然に入っているじゃないですか。そういうのが好きなんですね。

――それを自分がやると和が出てくると。

そうなんですよね。

――なるほど。そういえば、日本のフォークっぽいアーティストや曲も好きですよね。「C'est la vie」の七尾旅人とか。

もともと日本のフォークは好きだったんですよね。だからハセケン(長谷川健一)さんともやってるし、寺尾紗穂さんとかすっごい好きで。七尾旅人さんもそうだし。

――「C'est la vie」はなぜ七尾旅人だったんですか?

あれは旅人さんにお願いしたくて、日本語でやりたかったんで。もともと面識はあって、たまにセッションしたこともあったし、僕が彼の「サーカスナイト」をリミックスしたことがあって、それを気に入ってくれて。前のアルバムの時にコメントもくれてるんですよ。

――そういえば、自分で歌うじゃないですか?でも、ゲスト・シンガーを起用して、ゲストに歌わせたりもする。その辺も変わってますよね。

自分で歌うのは『k I s s 』からですよ。それはライブで歌う機会が増えて、自然とこうなったんです。それこそ自分の声を加工したり素材として録ったりはしてたけど、あくまでサウンドの一部として歌ってたって感じだから、ちゃんと歌うようになったのは最近ですよ。

実はゲストボーカルの曲は初期の段階で作った曲。自分で歌った曲は割と最後のほうに作った曲なんですよ。2年の間にやりたいことが変わっていって、だんだん歌いたくなったし、だんだん日本語詞が増えていったんですよ。

――なんで歌うようになったんですか?

アルバムを出して、ツアーをやっていたら、目の前のお客さんに対してもっとダイレクトに届けたいと思うようになって。「じゃ、どうしたらいいかな」って思ったところで、自分で歌うのが一番しっくり来たんですよね。

――自分の歌は自信があったんですか?

ライブは手探りな状態で初めましたね。レコーディングだとウィスパーで歌ったりできるけど、ライブだとそれはできないので。

――曲を書くときは自分で歌いやすい音域で書くって感じですか?

そうですね。難しいメロディーは歌えないし、自然と自分が歌いやすい音域とか、歌いやすいメロディーラインで考えるようになりましたね。

実は、徐々に歌い方も変わってきてます。昔はもっとウィスパーでしたけど。Charaさんのツアーに参加したころに、本番で無茶ぶりで歌わされたことがあって。メンバー紹介の時に「ちょっと歌ってよ」みたいな。それで自分の曲のワンフレーズを歌ったんです。そしたら、Charaさんが「いいじゃん」って言ってくれて、それで吹っ切れましたね。「あ、いいんだ」と思って。それまでライブで歌うことってそんなになかったんですよ、だからそれ以来ですね。あと、もっとこういうシンガーいたらいいのにとか、こういう歌い方をする人がいないなとか自分で思うことはいろいろあって、それを自分でやってみたかったってのもあって。最近はラジオに出てもシンガーソングライターって紹介されることもあるんですよ。そういう風に見えるんだなと思って笑 

――もう誰が見てもシンガーソングライターですよ笑

そうなんだ。そういえば、小沢健二が2000年代初期にウィスパー系のアルバムを出しているじゃないですか?『Eclectic』。あれとか聴いてみたりはしてましたよ。

――へー、言われてみれば。あと、さっき自分でも言ってましたけど、日本語の詞が増えましたよね。

今は日本語がしっくりくるんですよね。普段日本のフォークとかを聴いているっていうのもあるんでしょうし、それで言葉の世界に興味を持つようになったというか。今まではやっぱりサウンドとしてしか捉えていなくて、だから英語でいいかなと思ってたんです。かっこよく響くし。でも、それこそ英語で歌うんだったら自分よりもうまく歌える人は海外にもいっぱいいるし

アメリカにはブラックミュージックがあって、昔から培ってきたものがあって、そこには太刀打ちできないなとか。本物には勝てないし、それは自分でやらなくてもいいかなとか考えましたね。でも、じゃあ日本人だから和太鼓とか尺八やろうっていう話でもないですし。

――そこは留学してた人の経験って感じがしますね。

こっちで自分が作ったものを海外に持って行ったときに胸張って出せるものにしたいじゃないですか。これグラスパーじゃんとか言われたら嫌ですからね。

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☞ 『Jazz The New Chapter』という本を出しました。
Kan Sanoさんが記事中で触れているロバート・グラスパーなど、現行のジャズミュージシャンについての本です。よろしくお願いします。

※この後、テキストは何も書いてませんが、このテキストが面白かったら、投げ銭をお願いします。JTNCの制作費にします。

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Interview Kan Sano - どこにも属したくないと思ってたし、誰とも同じことをしたくないと思ってやってきた《Jazz The New Chapter for Web》

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