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Film Review:映画『Bill Evans Time Remembered』で気付いたビル・エヴァンスの音楽から聴こえるサイケデリア

※ここにビル・エヴァンスの伝記映画『ビル・エヴァンス タイム・リメンバード』映画評を書いたんですけど、そこに書けなかった更にディープな部分をここに書いておきます。

この映画には、ビル・エヴァンスの音楽の素晴らしさをいろんなミュージシャンが語るシーンがたくさん挟まれてるんですが、中でもピアニストのエリック・リードが実際にピアノを弾きながら解説するシーンがとてもわかりやすくて、ここだけでエヴァンスの音楽への理解がぐっと深まります。

マイルス・デイヴィスの名盤『Kind of Blue』に収録されている「Flamenco Sketches」の元ネタ曲でもあるエヴァンスの「Peace Piece 」の解説部分だけでも観てもらいたい。それを見れば『Kind of Blue』がなぜここまで愛されてるのか、そこにエヴァンスがどう貢献したかがわかると思います。ここ特に秀逸です。

以前、コットンクラブでエンリコ・ピエラヌンツィを観たことがある。ピエラヌンツィはエヴァンス派なんて紹介をよくされているイタリアのピアニストで、エヴァンスのトリオに在籍していたマーク・ジョンソンとのトリオを組んでいたり、まさにエヴァンスの音楽を継承しつつ、独自のスタイルを生み出したヨーロッパジャズの巨匠だ。彼のライブを観た時にまさに「Peace Piece」のようにコードだけの、その美しい響きだけで音楽を作っているような時間があって、そのハーモニーによる響きへのこだわりにエヴァンスを感じたことがあって、すごく感動したのを覚えている。映画を見て、久しぶりにそんなことを思い出したりした。

その「Peace Piece」や、それをもとにした「Flamenco Sketches」は立体的に音を鳴らしたり、その音響/残響そのものを音楽に情感やアトモスフィアを宿らせるために意図的に奏でていたりするんだけど、それらが収録されたレコードにはそんな意図が録音できっちり捕らえられていて、それは盤にはっきり刻まれてる。当時のエヴァンスやマイルスの作品には、そういったライブミュージックの音楽としてのジャズにおける録音物としての新しさがあったことも映画を見ていて気付いた。

それで思い出したのが、ビル・エヴァンスが『Kind of Blue』のライナーノーツでそのサウンドを書道に喩えていたこと。もしかしたら、エヴァンスは音楽を譜面上での音の並びや、楽器演奏の技術云々だけじゃなくて、絵画や書のようなヴィジュアル表現を音に置き換えるような新しい表現を求めていく先で響きにこだわっていたんじゃないかと思って、とても痺れたのだった。

書道っていうものを、筆を置いたところから和紙の上に勝手に広がり、勝手に止まる墨の滲みをコントロールしつつ、完璧にはコントロールできない不確実性に身を任せ、滲みのグラデーションが生む奥行きをも表現に取り込むものだとしたら、ピアノを奏でたら自身の指で鍵盤を押したことによる出音だけでなく、その空間の広さや特性など様々な環境が作用しながら、奏でられたそばから空中で減衰しながら消えていくピアノの残響を音楽にしている感じとでも言えるだろうか。

映画を見てからそんなことを考えていたら、ビル・エヴァンスの音楽に対する感覚は美しいメロディーとピアノトリオというフォーマットでマスクされていて、なかなか見えなくなってるけど、エヴァンス本人はピアノという楽器特有の音色と、彼が好むときに不協和音を含む独特のハーモニーを響かせることで、サイケデリックな快感を味わってたのではないかと思い始めた。ドラッグの影響があったかどうかはわからないが、そういったことを感じたり、音楽として出力できる驚異的な感覚の持ち主だったのかもとか。

「Peace Piece」~「Flamenco Sketches」をそんな空間的な音響感覚の音楽という視点でビル・エヴァンスを改めて見てみると、ジム・ホールとの『Undercurrent』とか、オーケストラとの『Symbiosis』、多重録音の『From Left to Right』『Conversations With Myself』のサウンドも異端では決してなく、初期から繋がっている志向がある気がして、非常にしっくりくるようになる。

ドビュッシーラヴェルを引き合いに出されることも多いビル・エヴァンスだけど、ドビュッシーやラヴェルを音楽だけじゃなくて彼らが影響を受けた印象主義の絵画も含めて繋がりがあると考えてみると、ドビュッシーやラヴェルの音楽が持つ色彩感とそれによって生まれる音響的な快感だったのかも、とか思ったり。オーケストラとの共演の際にラヴェルの影響もあるクラウス・オガーマンを起用するエヴァンスのセンスからもそういう意図が見えてくるかも、と。

そう考えると、マイルスに関しては、ビル・エヴァンスと『Kind of Blue』だけでなく、ギル・エヴァンスとのコラボの『Sketches of Spain』あたりも2次元の中に3次元~を見出す絵画的というか、印象主義的な音楽性ってところで繋がってくる気がするし、マイルス・デイヴィスの音楽の中にまた聴きどころが見つかるなと。

ビル・エヴァンスのあの映画を見て、エヴァンスの音楽の聴こえかたというか、見え方というか、感じ方が変わってきたところがある。こういうのは映像メディアならではの喚起力だよなと思う。

ちなみに映像ゆえの視覚から、サイケデリックとも言える超越した感覚みたいなのを感じたのは「Peace Piece」~『Kind of Blue』に関する場面だけじゃなくて、映画の中でビル・エヴァンスがゆっくりと弾くシーンを度々使っていたところだったりする。あのまるでスローモーションに見えてくるような独特な弾き方とそれによる生まれる音色にサイケデリックなものを感じたから。

それは僕が「スクリュー」(※DJスクリューという人が始めた手法で音楽のピッチをものすごく落としてものすごくゆっくりにしてDJがプレイすることで独特の酩酊感を生み出すもの)みたいな音楽を知ってるからだろうし、現代のジャズを聴いていても一見平坦で変化がないけど顕微鏡で覗いて拡大してみたらものすごい繊細な変化が起きていてとんでもない世界がそこにはあるみたい喩えを時々考えるからってのもある。あとはあのエヴァンスのピアノからはジェイムス・ブレイク「Unluck」での歌みたいなものを思い出したりしたのもある。すべてはゆっくり遅く動くエヴァンスの指の映像から喚起されたものだ。

視覚=映像は聴覚=音楽よりも一度に得られる情報量多いから、理解を進めてくれたり、想像を膨らませてくれたりってのがあるのはわかっていたけど、その使い方次第で思考を飛躍させてくれることもあるんだなとこの映画を見て思った。映画の中のエヴァンスの指と打鍵(ほとんど「押」鍵だけど)を見ていて、脳が覚醒していく感じが確実にあった。

音楽と映像について考える機会にもなった映画でもあったと思う。こういう体験もなかなかない。

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