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アセンブリー・ルームと社交界

 貴族や上流階級の社交や娯楽と言うと宮廷やお屋敷でやっているイメージがあるけど、あながち間違いでもなく、18世紀まで娯楽の中心は家で、演奏会にしても舞踏会にしても宮廷やカントリーホームに招待する、される事で娯楽は楽しむものであり、男女共に入場を許された公共の娯楽施設は劇場くらいのものだった。

ウォバーン・アビー。社交のために貴族は地方にこうしたステイトリーホーム(威厳ある邸宅)を構えた。

 17世紀以降はコーヒーハウスやジェントルマンズ・クラブが社交の選択肢に加わるものの、これらは女人禁制のため、女性は相変わらず邸宅で社交をした。こうした中、若い男女が出会い、踊り、お喋りしたり戯れたり楽しい時間を過ごせる唯一の公共の場として生まれたのがアセンブリー・ルームで、数百、或いは千人以上を受け入れる規模があり、仮面舞踏会や通常の舞踏会のためのダンスホールや、テーブルゲームを楽しむためのカードルーム、談話室にティールーム等を備えており、18世紀の初めから20世紀の初めまでイギリス中の主要な都市、或いはバースのようなリゾート地で繁栄する。

舞踏会はアセンブリー・ルームの重要な機能の一つだった。左端のダークスーツの男性はブランメル。一流のこう言う場所なら大体彼がいる。

 元々女性のためだけに作られたアセンブリー・ルームもあったものの、多くは男女混合に移った。公共の施設でありつつ、アセンブリー・ルームは排他的な性質を持っており、参加するメンバーは選別された。たとえばロンドンで最も高級なアセンブリー・ルームであるアルマックスは10ギニー(大体30万円くらい)で3ヶ月間利用する事ができて、価格設定そのものは富裕層に取って大したことはなかったものの、誰を受け入れるかはメンバーの中の身分の高い女性達に委ねられており、会員申請を弾かれる事はかなりの痛手になった。それはすなわち、ロンドンの最高級ソサエティからの拒否を意味しており、そんな噂が立てば他所の社交界でも身の程知らずと軽視されかねないのだから。同じようにバースではダンディーのボー・ナッシュが来客をチェックしており、保養地でハメを外した若者が女性に無礼を働いたり、乱闘が起こらないよう目を光らせる。

 やってくる女性はシャペロンと呼ばれる歳上の女性(概ね自身の母)に付き添われ、なるべく一人の男性とばかり接しないよう忠告された。それでもアセンブリー・ルームは結婚に大きな影響があった。若い女性にとってアセンブリー・ルームは社交界デビューの幕開けであり、異性との恋愛が初めて許される舞台だった。勿論、選別済みと言うのも有り難い。地方にもアセンブリー・ルームはあるけど、ロンドンの高級なところならより良い条件にも巡り合える可能性があった。もっとも、その分自分に求められる基準も厳しくなるけど。因みに彼のウェリントン公爵も遅刻とドレスコードの違反を理由に門前払いされた事がある。

 勿論誰も彼もが恋愛しに来るわけじゃない。純粋におしゃべりを楽しんだり、ゲームを楽しんだり、ボウリングルームが設けられたりもしたし、ゴシップ、ニュース、スキャンダルが語られる。政治的な談合をやるよりは軽い雰囲気のアセンブリー・ルームはカントリーハウスやタウンハウスでやる社交よりも安らげる場として親しまれる他、フランスとの和平、王女の誕生、トラファルガーの勝利など、全国的なイベントを祝うのにも重宝されたし、救貧院へのボランティアの呼びかけなどの慈善を目的として真隣に建てられたアセンブリー・ルームもある。

最も名高いアセンブリー・ルーム、アルマックスの様子。ロンドンで最もファッショナブルなクラブとして知られ、ここへの入会を認められる事は、ロンドン社交界の上澄みから認められる事と同義だった。

 18世紀から19世紀まで良男良女の出会いの場として、また娯楽談笑社交の場として上流階級から中産階級の間で重要な役割を担ったアセンブリー・ルームだけど、時代が下り、専用のダンスホールが現れ、各種クラブや娯楽施設が女性に門戸を開き、政治的会合にしても鉄道の発達と共に拡大したホテルがその役割を担い出すと、アセンブリー・ルームは衰退した。彼らが誇りとした閉鎖性は自由化する社会にそぐわず、社交のメインストリームを奪われたまま、遂に奪回すること叶わず、隆盛を極めたアセンブリー・ルームは消滅する。

 しかし高級層向けに建築された優美な建物は今も現存し、博物館やホテルなど、異なる役割に供されているし、自由化するばかりがいい事じゃない。階級差別が原則撤廃された現代でもクローズドな社交界は存在する。誰とでも繋がれるインターネットでも他人をブロックする権利があるし、鍵をかける権利がある。

 いつだってアセンブリー・ルームのようなものを人は求めるのでしょう。


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