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ゆとり世代とさとり世代の違い

そもそもゆとり世代の中にも世代間の違いがあったりとか、そもそもさとり世代の定義もまだ曖昧だよなということは後に詳しく語るとして、まずざっくりと「ゆとり世代」「さとり世代」の大きな違いについて論じたい。


これはニコニコ大百科などでも取り上げられていて、自分が好きなテーマでもある。

大まかに言うとそれは感覚の違いにある。

ゆとり世代:昔の華やかな時代をギリギリ知っているので大人になった今がつまらない。

さとり世代:そもそも物心ついた時に日本は衰退していたし、昔も知らない。


ゆとり世代論でいえば、95-96年の学年が小学校1年から高校卒業までフルでゆとり教育を受けた世代だったと言われている。

大体この前後がいわゆる世間で「ゆとってるゆとり」といわれる世代だ。

例えば80年代後半に生まれた世代はゆとり教育を受けていたとしても中学や高校の頃に始まっているので、わりとゆとり以前の教育を知っているし、90年代文化の面影を体験している。

例えばサッカーの本田圭佑は、ビッグマウス時代は「発言が馬鹿なゆとりっぽい」と叩かれていたが、祖父母や高校サッカーに育てられガチガチの根性教育で育っているのであまりゆとりっぽくはない。

世間でこれだから最近のゆとりは・・・と叩かれるのは「90年代生まれのゆとり」といった方が適切かもしれない。

この辺からもう平成文化にどっぷりつかった微温湯の世代になり、昔の大正義文化も知らずしょぼい時代を過ごしていく世代になる。それこそ最近平成の後始末として語られる機会が増えているオウムもリアルタイムでは覚えていない人がほとんどだ。

個人的には1998年のフランスワールドカップもあまり記憶が無く、2002年の日韓W杯からよく覚えている。


しかしその次のさとり世代となってくると日韓W杯がちょうど、ゆとり世代にとっての歴史上の出来事、1998年フランスワールドカップや1994年アメリカW杯のロベルト・バッジョの決勝でのPKはずし、ドーハの悲劇で日本代表不出場、Jリーグ開幕直後といったものになっていく。


このさとり世代の特徴は中国にGDPを抜かれていることが普通で、青春時代を3.11の震災後に育っていて、スマホネイティブ世代やネットネイティブ世代だといわれている。

スマートフォンの登場によってネットが本当の意味で国民全体にいきわたっている時代が普通で、震災が起きて中国に抜かれて、20世紀や90年代的な文化を知らない世代だ。


もっとわかりやすく言うならば、ゆとり世代はテレビのような既存メディアに価値があって流行が大々的に流行った時代を知っているが、さとり世代は「スマホでよくね?」とナチュラルに言える世代だともいえる。

ゆとり世代が10代の学生の頃にもネットでテレビ番組を見るという文化は存在したが、まだ固定回線が惹かれたパソコンを持っている家庭に限られたし、ここまでユーチューバーが流行る以前のyoutubeをそのころに知っていた人々に限られる。

そして90年代前半生まれまでのゆとり世代はモンスターペアレントのような存在がレアだった時代で、特に自分のような田舎育ちだとまだ「昭和や90年代の残り香」のようなものがあった。


ゆとり世代とさとり世代を分ける基準として「青春アミーゴ」や『野ブタ。をプロデュース』をリアルタイムで知っているかどうかもあるように思う。

世間的にCDがミリオンで売れて流行って、Mステやエンタの神様のような番組が流行の象徴だったり、「ごくせん」のようなドラマがクラスで話題になった時代で、まだテレビはなんか偉い物だという認識があった。


さとり世代以降になると、テレビを見ないというライフスタイルが普通になって流行追わない生き方が許されるようになっている。

たださとり世代の特徴として、小学生ぐらいに全盛期のAKB48が流行って年上のお姉さんとして憧れだった世代ともいえる。

ちょうどゆとり世代にとってLOVEマシーン以降のモーニング娘。がかっこよく見えた時代的な雰囲気を、さとり世代だとAKB48で体験しているのかもしれない。80年代後半生まれの世代だとそれがSPEEDや安室奈美恵などになってくる。


そもそも「テレビみなくてよくね?」というのも、2ちゃんねるによって普及した考えであり、「テレビ見ないとかダサい」「テレビ見てない=流行についていけない友達少ないオタク」という時代だった。

テレビを見ないライフスタイルが普通の時代に、いまだに「まだテレビ見てるんだ」という人はテレビを見てないことや芸能人を知らないことで差別されていた時代を経験している人だと思う。

逆にそういう人を見て自分は「未だにテレビ叩きやマスコミ叩きを昔の2chのノリでしてる人いるんだ・・・」と思うぐらいであり、要するにそれぐらいもうテレビや新聞といったメディアが強固だった時代があった。


今のアラサー、アラフォー世代がまだゆとり叩きに固執していたり初期2chのノリを捨てきれず、逆に今のネットで疎外感を感じているように思う。

自分も今のネットにつまらなさを感じている立場だが、アラフォー世代になってくるとファミコンやジャンプ全盛期を知っているだけに、なおのこと今の時代がつまらなくスケール感がしょぼく感じるだろう。その上結婚や介護という現実的な危機も迫っており、もどかしさはゆとり世代以上のものがある。特に就職氷河期を経験していると、やっとの思いで安定したころには結婚適齢期を過ぎているというケースが男女ともに多いようだ。


そのさらに上の世代をからめた議論をすると、「オタク」に対する感覚の違いもある。

ゆとり世代以降のオタクは自分も含めて「まだ修行が足りない」と思っている立場で、その就職氷河期ぐらいの世代が本物のオタクだと思ってリスペクトしている節がある。まだオタクという言葉が恥ずかしかった時代だし自称する者でもなかった。

ちょうど「しょこたん」がテレビで堂々とオタクキャラをやり始めた頃ぐらいから風向きは変わり始める。毛皮問題や捨て猫問題で名声を汚した感はあるが、しょこたんがオタク文化の普及において果たした役割は結構大きい物がある。


その結果さとり世代になってくると、オタクが市民権を得て普通のことになり、むしろ最近では不良が少なくなっているという。

ガチガチにオタクが弾圧されていた時代がまさに電車男のような世代で、多少弾圧はゆるくなったがオタクや腐女子であることに隠れキリシタン的な後ろめたさを感じている世代が、ゆとり世代だ。

そしてもはやオタクや腐女子であることがファッションやステータスであり、カジュアルに名乗れるようになってからがさとり世代という区分もできる。

今でこそ萌えキャラとのコラボはどこにでも見かけるが、ああいうかわいい感じの二次元キャラが登場するだけでオタクっぽいと忌避されていた時代があったのは隔世の感があることだ。


「オタクがカジュアルに名乗れるようになってからがさとり世代」という区分もあれば、「日本が衰退してるのが物心ついた時から普通」なのがさとり世代ともいえる。

オタク文化普及後および、日本衰退後に青春を過ごしているのがさとり世代だろう。そして誰もがネットを使うことが普通の世代だ。


まだゆとり世代は、それこそCDを一般人が買って流行が形作られる時代で、Mステのオリコンにアニソンが登場するだけで大騒ぎだった。

それが今はもはや音楽ランキングなど、アイドルオタクと声優オタクの物になっている。

よく言われるのが「邦楽が完全に終わったのは、嵐とAKBが占領するようになってから」ということだが、ここにアニソンや声優文化のオタク商法が普及するようになってからと付け加えることも出来る。

その3つとも個人的にははまっていたころもあったり、今も好きだったりするのだが、J-POPのスタイリッシュなイメージは無くなったのも事実だ。


Love so Sweet以降の嵐と、Riverまたはポニーテールとシュシュ以降のAKB48が階段を駆け上がっていくのがちょうど2008年ぐらいの頃で、このころはアニメ方面でも『けいおん!』が流行り出して、それまで萌えアニメを見ない層が見るようになってオタク文化もかなりカジュアル化していく。

ここまでは失われた20年だとか言われながらも、それなりに良かったのだが、日本が終わるきっかけになったのが例の震災だ。

落合陽一が面白いことを言っている。

「日本人のセルフイメージは2010年で止まっている」

それってつまり、「震災前の美しい思い出」で日本人は時計の針を止めてしまっているということなのだ。ここから日本は前へ進むことを辞め、思い出の中の日本に固執する国になっていく。

楽しくて華やかだったあの頃に日本人は踏みとどまり、前を向こうとしなくなり、後ろ向きの国民性になった。そのきっかけがまさに震災だったのだと自分は思う。

今でも日本は中国より進んでいる国だし、アメリカに次ぐ国だという認識でいる。美人だった頃の扱いを捨てきれないで、未だにバブル的な感覚で結婚相手の理想は高い人みたいなイメージだろうか。

しかし現実的には落合氏の言うように、アメリカの1/4の国力になり人口もアメリカは3億になっている。昔の認識ではアメリカは日本の倍ぐらいのイメージだったが、今は3倍といったほうが近い。

そして中国と均衡していると思いきや、もう半分の国力になっており、これから日本はさらに落ちていく。

とはいえ戦前が6,7位だったことや、イギリスが今それくらいの順位だと考えると戦後の日本があまりにも高い所に行きすぎたともいえる。

これからは貧しい中でどう幸せに生きていくか、というライフスタイルに変えないといけないし、「流行りの服を買わないと時代遅れ」というバブル時代の価値観から、そんな服買わなくてもいいよねという時代になっていく。現にファッション大国だと言われるイタリアやフランスの人々はそこまで服を買わないし、ブランド信仰を持っていない。


そしてここに登場する「2010年でセルフイメージが止まっている日本人」の典型が、自分はゆとり世代や就職氷河期世代であるように思う。

それよりも上の世代は日本が貧しい時代を知っているし、さとり世代のになってくると日本が貧しいことは肌身でしみてわかっている。

「幸せだったころの日本」という幻想から抜け出せず、それが普通のことだと思っているから20代~40代は今の世の中に満足しないのかもしれない。

逆にこれからは「2010年のセルフイメージ」なんて知らないし、そのころよく覚えていないという世代が増えてくる。その先駆けがまさにさとり世代なのだろう。

そもそも贅沢な時代を知らないので、今の貧しくスケール感がしょぼくなった時代のライフスタイルに満足できるしそれが普通のことだと納得できる。


これから日本で作られるコンテンツはどんどんしょぼくなっていくし、それこそ盛大なスケール感で描かれるアニメは無くなって皆バーチャルユーチューバー見てれば孤独じゃない気がして満足だよねという風潮になっている。しょぼいことに満足するというのがこれからの日本人がしなければならないことだし、昔があまりにも幸福すぎたのだ。

それでもやっぱり華やかな世の中がいいという人は、自分個人の生き方で成り上がっていくか、海外を目指すしかない。

普通に日本で過ごすということは、衰退とともに生きていくということを意味する。日本の中で独自の生き方を目指すか、海外で新しい道を切り開くという道を選ばないといけないが、今の日本人は大多数がこの衰退に慣れきっているし諦めている。


ニコニコ大百科にあったのは「ゆとり世代は上の世代に逆らおうとして負けた」、「さとり世代はそんなゆとり世代の敗戦を見て、逆らおうとすら思わなくなった」ということで、まさにそこに納得がいく自分がいた。


自分はよく「もっと若者盛り上がろうぜ!」「反逆しようぜ!」なんて言っているが、それが今日日通じないこともわかるし、実際に「今の冷めたゆとり世代とかさとり世代にそんなこと言っても響かないよ」なんて言われることもある。

自分の知人は大学で経済学を専攻した事がある人で、そのことを頭でわかっているからこそ衰退する日本を受け入れていて冷めている。

その人から「今の若者は盛り上がらない人の方が多数派、日本は陰キャとオタクの国になったんだよ」とよくこのテーマを話すと言われる。


まぁ確かにそうだなぁと頭ではわかるが、昔の華やかな時代に対する幻想を捨てきれないジレンマもある。それがゆとり世代であったり、今の3,40代になる。

結局ゆとり世代は中途半端に日本のよかったころを知っているからこそ、今の衰退した日本が受け入れられない。

逆に衰退して以降しか知らない世代は、そもそもそんな不満が無く満足が行く。


「ワシの時代が一番よかった」なんてことはどの世代も言うが、ゆとり世代もだんだんそういう老害っぽくなってきてるなぁと思いつつも、じゃあさとり世代のことを一番理解できる世代はゆとり世代しかいないということになる。


ゆとり世代は中途半端ではあるけど、昔の華やかな時代もギリギリ分かるし、逆にさとり世代以降の新しい文化や価値観も理解できる。ゆとりより前の世代だとあまりにも乖離がありすぎて、さとり世代を理解できない。

ゆとり世代は衰退する感覚もわかるし、そこまでがっつり日本の黄金期に使っていたわけではないからだ。


一方でそのゆとり世代は上の世代のことも理解できる。

就職氷河期世代の中からいわゆるオタクであったり、社会からドロップアウトして流行や世間を軽視するひとが登場し始める。その世代がいわゆるリア充文化と激闘を繰り広げてきた結果、ゆとり世代頃になるとわりと生きやすくなった。

そしてそんなゆとり世代が更に意識低い価値観を作り出して、いまのさとり世代に通じているというのが大まかな構図というか歴史の流れだろうか。


90年代生まれと7,80年代生まれ最大の違いは「昭和を知っているか」であり、ゆとりは昭和は知らないがなんとなく残り香のようなものは知っていておぼろげには体験している。

逆にニューミレニアム世代、21世紀生まれになると完全に昭和は排除されているというか絶滅した世代になっている。

ゆとり世代は甘い教育を受けていると言われながらも、地域にはよるがちょくちょく昭和っぽい物は経験しているし、親や教師、地域コミュニティの人、憧れの芸能人やメディアがその世代だったからこそ間接的に昭和が伝わってきている。


そしてその「間接昭和」を知らない世代がさとり世代と言えるかもしれない。そもそもさとり世代の名称や年代の定義もまだ曖昧で「ゆとり教育廃止以降」という基準が今のところ有力だろうか。

ただ文化的な定義で行くと、自分は「間接昭和を知らない世代」だと言えるように思う。昭和は知らないが間接昭和は知っているというのがゆとり世代に対して、間接昭和も知らないというのがさとり世代だだ。

それは日本が世界2位の華やかな経済大国だったが、理不尽な文化もあった「昭和」という時代の物で、その狂騒は震災で完全に冷めた。

ギリギリ2010年まで、昭和や戦後日本の文化は日本に残り続けたが震災で力尽きた。その2010年の日本のセルフイメージを知らない世代が今後どういう時代を作っていくかなのだろう。

2020年の東京五輪はちょうどその2010年から10年後の世界だ。

2020年が日本のセルフイメージになる時代は果たしてどんな世の中になっているだろうか。


面白いとおもたら銭投げてけや