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人は日常や現実に帰っていかなければならない運命にある

とある批評家が語っていたことなのだが、政治的運動やデモがあったとき、それが勝つにしろ負けるにしても、終わればみんな「日常」に帰っていき昂揚感のない世界に戻っていく。

一般市民にデモ隊は戻っていくのだ。

その結果「終わりなき日常」を生きることが人生だというのが現実なのだという。


日常に帰っていく、終わりなき日常を生きる

このフレーズに凄く納得し心に響いた自分がいる。

そうか、結局いくら楽しくても人間は日常に帰っていかなければならない。

それは自分が常日頃経験していることであり、例えばお酒を飲むと非日常の昂揚感を味わうが、それはいつか終わる時が来る。お酒を飲んで楽しい時間というのは有限で、飲み過ぎれば気分が悪くなり、二日酔いになることもある。

ひたすら気分の悪い時間帯を凄し虚しくなる。

今日が最後の日だと思ってとにかく飲みまくろうとしても、結局は現実が続いていく。かといって早めに切り上げる時もまた虚しい。

この終わるときの虚しさこそまさに自分が向き合わなければならない人生のテーマなのだろう。

酔いの終わりという日常の出来事から、死や別れという結末も含めて人間の人生というのは究極のところ終わりを受け入れ終わりと向き合う物なのかもしれない。



自分がついついお酒を飲み過ぎることも結局は「いつまでも楽しくありたい、この時間を終わらせたくない」という心理だ。

また学生や社会人にとってそれは、土日や祝日のような休日の終わりを意味するだろうし、夏休みや冬休みの最期の日の感覚とも似ている。

平日であっても帰ってからの自由時間が終わり、寝る時間になると明日は仕事や学校だという現実が押し寄せる。

アニメや漫画、ドラマが最終回を迎えこれから続かないときの悲しさも似たようなものかもしれない。

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