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実は田舎の方が都会より孤独になりやすい

よく都会は人間関係が希薄で田舎の方が温かみがあると言われるが、実際そこまで差はないどころかむしろ田舎程孤独になりやすい。

世の中、孤独でほとんど交友関係がないと言う人は田舎や地方の方が多いのではないだろうか。 


自分の場合極端な都会というわけでもなければ、極端な田舎というわけでもないが両方経験したことがあり現在は地方在住者だ。 

田舎に戻ってきて思うのが思いの外、田舎ってそれほど人間関係が密接じゃないし、むしろ都市部のほうがよほど交友関係広げやすかったなという事である。


隣の芝は青い現象なのかもしれないが、都会にいるときは「地元に戻れば暖かい仲間がいる」と思い込んでいたが現実にはそうならなかった。 

テレビで若者が「地元の方が友達も多いので戻ることに決めた」とインタビューに答えていたが、現実にはあまりそうはならない。


まず自分が住んでいる場所はいわば「陸の孤島」のような場所であり、地方なので当然自動車社会になる。 

更に居酒屋や喫茶店というものがなく、地域の関係は身内同士の小さなコミュニティで固まっていてそれですらかつてに比べて小規模になっている。 


結局夕方一人街を歩いて感じるのが、「田舎と言えども孤独だなぁ」と言う事であり謎の疎外感みたいなものを感じるのは都会と変わらない。いやむしろ都会の方が交友関係は広かった。 確かに昔の自分を知っていたり覚えていたりしてくれる人もいたり、すれ違う人でも挨拶してくれたりするのだが、そこで終わってしまう感はある。 

「自分を知っている人がいる」とハイテンションになれたのはUターンで帰ってから数か月間の話であり、それ以降は結局他人だなという感覚に陥っている。 


時の断絶が長ければ学生時代の友達ですら今では距離感を感じるようになり、かつての様には戻れない。

「同じ空間にいたから仲が良かった」というだけであり、案外こういう物はいざ復活させようとしても難しいのだ。 

実際自宅近くにある小学時代の仲間の家に挨拶しにいったが、それなりに昔話も弾んで懐かしく気さくに話せるのだが「他人じゃないようでやっぱり他人」感はある。 

結局一回いって、社交辞令的に「次飲もう」と話すだけでそれ以降こちらからわざわざもう一度いこうとも思わないし向こうから何かあるわけでもない。


更に他の旧友に関してはそもそも地元から都会に出ているケースが多く、こういう旧友は同窓会や成人式にでも出なければ再開することが無い。連絡を知っている人と連絡し合ってもやっぱりどこか距離感が違い、かみ合わない。

同じ空間で毎日合うから交友関係があっただけで、今更戻ろうとするほどの仲間ではない人が多い。確かにそれなりに気さくに話せたとしても、余程趣味が合ったり近くに住んでなければ連絡は続かない。 


そして田舎の場合そもそも県外に出ている人が多いため、地元に残っている人自体が少ない。

 「地元には友達が多い」とテレビで答えていた人もヤンキー風味の人であり、こういう「地元仲間の絆」みたいなのは普通の人は案外なかったりすることが多い。 


部活動仲間なども関係は深いが自分の場合帰宅部だったためそういう関係もない。今思えばいろんなものが表面的だったなとも思う。同窓会や成人式も「わざわざ交通費や参加費を支払ってまで会いたいか」と言われると、「まぁいつかでいいや」程度なものが多く、これは自分の問題にも起因するのかもしれない。


 唯一地元に残っている友人がいるのだが、彼とはそもそもかなり前から付き合いが長いので都会に住んでいた頃からも連絡は取り合っていた。最終的に本当に残るのはこういう関係であり、「田舎に戻ったから自動的に仲間が増えていく」というわけでもない。 

 一度スーパーのレジでバイトしている後輩というか小学時代の下の学年のメンバーと再会して、これも世間話が弾んだのだが結局これもその時ともう一度コンビニで再開したときだけだ。

そこまで連絡先交換するほどでもないし、またどこかで会ったときに世間話でもできる、という関係で済ませてしまう。


こういう「確かに知っているようで、もう今は他人」的な人が田舎には多い。それよりは地元の関係をリセットして、知らない街でゼロから作った関係の方が今では深かったなとも思う。 


居酒屋も喫茶店も無く、交通インフラは整っておらず陸の孤島状態になっている上に、過疎化が進み地域のイベントも縮小傾向にある。 

そんな場所はどうしてもいろんな関係が希薄になっていく。  

なるべくして過疎化が進んでいるのだ。 


地元に仕事も無く、全員ただ少し離れた場所に働きに出るため住んでいるというケースが多い。大半は高齢者で、ほとんどの人が市街地で仕事をするとき以外は地元にいない。 


元々居酒屋が無いことに加えて、集まって飲むという習慣も消え、それぞれが他人として生きて家で晩酌をしている陸の孤島というイメージだ。外で飲むにしても夜間に機能している交通インフラが無く自動車を使うしかない。

そうすれば帰りは代行になってしまうため必然的に市街地のお店からは足も遠のく、そんな人が大勢いる。


過疎化と貧困が支配し、自分が子供の頃にあったようなお店も露骨に閉店している。人も物も産業も少しずつ消え、大部分がただ他人として住んでいるだけ。

用があれば自動車を使い遠くに行く。 

環境が変わると見る見るうちに交友関係が減少していく、そんな過疎化の街の日常だ。 


学校行事なども昔はもう少しあり、地域の人も参加していたイメージだが、まず地元の小学校自体が人数が減り閉校まで10年持ちそうにはない状態だ。

そういう家族もいなければ当然ながら無縁であり、公民館であったようなイベントや飲み会なども実は大人になり親でもなければ関係がなくなる。 

 周りの家は他人という意味では都会と変わらず、かといってその地域内に集まるようなコミュニティも無かったり同年代もいなければ必然的に学生時代の級友などに関係が限られる。


そしてその関係もいざ大人になってみればどこか距離感があり、お互いただ生活しているだけでしかなくなる。バイトや職場なども田舎と都会で優しが違うといえばそういうわけでもなく、むしろ閉塞感漂っている場所の方が多い。


田舎ならではの魅力というのはもちろんあるが、「都会の劣化版」のようなもののほうが多い印象を受ける。 

独特の地域性を築いて町おこしを出来なかった、ただ人が住んでいるだけの陸の孤島の末路がかつて自分が育った場所でもある。そんな昔と比べて、もの悲しくなる地方在住者が全国に結構存在するのではないだろうか。 


面白いとおもたら銭投げてけや