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「オタク文化」が面白かったのはいつまでか?

人のよって意見が分かれるのがオタク文化やインターネットはいつの時代まで面白かったかというテーマだ。

そもそもオタク文化に限らず、「○○が面白かったのはあの時代まで」という話は多い。例えばスポーツや音楽はこの時代まで、アイドルや芸能はこの時代まで、そんな話をすればきりがなく人によって意見が分かれる。

これらにはおもに3つのパターンが存在する。

1:そのジャンルそのものよりも、選手やアーティスト個人が好きだったパターン

2:自分自身が面白くなくなったパターン

3:本当にそのコンテンツが面白くなくなったパターン


1つめは自分が応援していた個人がその業界を去った後に自分も「~レス」になり情熱をなくしていくパターンだ。

例えば作家の村上龍は中田英寿が引退してからサッカーを見る機会が減ったと語っている。それでいえば本田圭佑が引退した後自分はサッカーへの情熱を持続できるか、特に代表に関しては本田がいた時代の情熱を持てるようになるまでは時間がかかるだろう。

つまり村上龍にとって「サッカー熱=中田英寿熱」でもあったように、そのジャンルへの興味とそのジャンルで活躍する個人への情熱が密接に関連している場合は連動するケースが多い。自分だって本当はサッカー熱だと思いながら、本当はその正体の大部分が「本田圭佑熱」によって占められているかもしれない。


ジャニーズでも赤西仁がKAT-TUNを脱退してからジャニーズを見なくなったという人は存在するしスポーツ以上に音楽や芸能ではこういった光景をよく見かける。XJAPANのHIDEがこの世を去ってからヴィジュアル系への情熱をなくしたという人は大勢いるだろう。

最初にそのコンテンツへの興味を持ったきっかけである存在が、時としてそのジャンル全体以上に大きな意味を持つことは多い。


2つめは自分自身がつまらない人間になったというパターンや時代についていけなくなったというパターンだ。

つい最近マツコデラックスが核心的なことをテレビで語っていた。

「音楽は自分が青春の時に聞いたものが一番、私は今の音楽がつまらないと思ってるけど多分最近の音楽が好きな若い子も数十年後は同じことを思ってる」

まさにその通りで最近の世の中が漠然とつまらないと思っているのは、自分が楽しくなくなっていることや時代についていけなくなっていることが原因なことが多い。

自分が時代の主人公ではなくなったり、そうなれないと気付いた時ある種の虚しさが芽生える。

また人間はいつまでも同じものをすきになり続けるのは難しく、飽きが来てしまうことがある。言い換えれば新鮮な感性で楽しめる期間は有限なのだ。

世の中がつまらなくなったというより自分自身や自分の人生がつまらなくなったから世の中も劣化しているように感じる構造がある。

自分に合ってないものを楽しむことはできないし自分が面白くないときは何も面白く感じないのは当然といえば当然かもしれない。



3つめは本当にそのコンテンツが面白くなくなったパターンである。

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