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イビサ島には運命の鍵がある #旅はみちしるべ#1

2010年にJALの機内誌に掲載されたものを加筆修正してみました。この2020年は旅の年だと言われています。きっと何かのきっかけになると思い、アップしますね。イビサに行こうよっていうわけではなく、きっとこれを読んだあとに、あ、どこかに行こう、自分にふさわしいどこかに、その場所も見えてくる気がするんです。では、どうぞ。


地中海に浮かぶバレアレス諸島のひとつ、イビサ島。歴史ある建物が佇む旧市街、海洋性植物ポシドニアが生息する肥沃な海、1999年に世界遺産にも登録された、自然豊かな小さな島で大宮エリーが手にしたものは…。

イビサ島に行かないかという話をいただいた。
ちょうど秋に日替わり演劇5daysというチャレンジングな舞台を控えていたので躊躇われたが、心がしきりに行ってみたいと言う。どうしてだろう。正直行っている場合じゃないのに。何かそこにあるんだろうか。
島を人が訪れる時というのは、人の意志ではなく、島に人が呼ばれる時のような気がする。島がなんらかの理由で私たちを招くような。どうもそう思えてならない。島という言葉の持つ、何かノスタルジーで原始的な響きのせいかもしれない。

編集者と空港で待ち合わせ。カメラマンは現地集合ということで、女ふたりの旅が始まった。
旅の前夜に友人に伝えた。明日からイビサに行くことになった、と。そうすると友人がこう言うのだ。「レイヴパーティーで有名な島だよ!」

え?レイブ?私とは程遠い響きにおののく。
別の友人は、こう言った。

「ヒッピーで有名な島だよ!」

ヒッピー?でも、私の持っているガイドブックにはこう書いてある。

「島全体が、世界遺産」
一体どんな島なのか、そして、この旅が私にとってどんな意味をもつのか、全く分からないままその夜、眠りについた。

「眠れました?」「ワインをがぶがぶ飲んで、すぐに」
ロンドンでトランジットをした。早朝に家を出発してドタバタ機内へ。イビサが何かわからないままも、旅はもうはじまっていた。

ロンドンまできてしまえばあとは飛行機を乗り継ぎ1時間、もうイビサ島だ。
その時、日本から仕事の電話がある。信頼している人からだった。
が、話しているうちに突然、気付いてしまって動揺。

お互いが見ている景色が全く違っていたのだ。薄々分かってはいたのだが決定的になってしまった。きっともうごまかすことはできない。帰国してからどうすればいいんだろう。
1時間弱喋って長い電話は切れた。
「大丈夫ですか?」編集者が心配そうにしている。
「あ、すいません、大丈夫です」
出国まで時間があるから、ビールでも飲みます?と気遣われる。
フィッシュ&チップスをビールで流し込みながら厄介なことになったぞと思った。
何かがのろのろと動き出しそうなのを感じつつもそれをどうにかして押さえ込み、その電話以前の自分を取り戻せないかと考えていた。

イビサ空港に着くともう夜。島に住む現地ガイドのエミリオと、スペインに住む通訳兼コーディネーターのイニャキとミユキ夫婦、そしてニューヨーク在住のカメラマン高木さんと合流。各国からイビサに集まった6人。その夜はそのまま就寝となる。

翌朝、一番張り切っていたのは、ガイドのエミリオだった。木彫りの人形みたいな顔をしている。彼はイビサの歴史に詳しく、何かといえばクローズアップされるイビサのナイトシーンではなく、世界遺産たるゆえん、古代遺跡について知ってもらいたいと力が入っていた。
まず、ダルト・ビラという、城壁に囲まれたエリアを案内してくれることに。エミリオは赤い砂まみれの原付きを飛ばし、それに先導されて通訳イニャキの運転する我々の車が行く。
が、道が入り組んで狭くなり途中で車を断念。ひたすら歩く。私たちは完全に息があがっている。
が、エミリオは元気だった。「これが、サンぺレ砦の城壁だよ」
敵に攻め込まれないように作られた古い砦の一部から、海を見下ろす。コバルトブルーの海。あんなふうに、澄んだ青い気持ちになれたらどんなにいいか。

エミリオがまた動き出す。
ミユキさんに聞いた。「次はどこに行くんですか?」「別の城壁に行くようです」「え、、、」

また城壁か、、なぜ、、、、と思った。そしてみんなそんな顔をしていた。

エミリオ以外は。世界遺産って、壁以外ないのか、どうなんだ。
城壁を見にいく道のりには当然、階段や上り坂が多くなり、普段の運動不足が悔やまれる。足ががくがくしてきた。ミユキさんも眉間にしわを寄せている。二つ目の城壁は申し訳ないのだけれど一つ目とあまり変わらなかった。でもそこで行われた戦いにまつわる甲冑やら装飾品が展示されていたのでよかった。そのあと、エミリオはまた驚くことに
三つ目の城壁に我々を連れて行った。ここでもエミリオは延々と、誇らしげにその壁の歴史を説明してくれた。が、
イニャキとミユキは、もう訳さなくなっていた。

なぜ?1つ目の壁と、2つ目の壁と、あまり変わらないと判断したからだろうか。訳されていないのに、エミリオは壁の説明に、熱弁をふるっている。カメラマンは海を狙ってファインダーをのぞいている。編集者は旅のスケジュールを確認している。
私は、ただ、目をつむって顔を上げ、まぶしく照りつける太陽をまぶたで感じていた。
この陽射し。まぶたを開けたら失明してしまいそうな危険な陽射し。太陽と地球の距離が近いのが分かる。
そして、まぶたを通して、今を強烈に感じていた。
私は確かにここにいる。普段は忙しい日常に流され我を失ったまま、いろんなことをやりくりしている。
でもこうして照りつける太陽に顔を向けると、ぼやけた自己の現在地に焦点が定まり、なんだか強烈に生きていることを実感するのだ。自分の肉体の隅々まで、生の感覚を取り戻していく。
そうか、この太陽をたくさん浴びて私は帰るんだ。そうすればきっと、いろんなことがうまくいく。
そのために私はイビサに来たんじゃないだろうか。
この地中海の快活な太陽が、私の心の中に垂れ込めた憂鬱な雲をかき消して、光で満たしてくれるに違いない…。

四つ目の.城壁へ向かおうとしていた時、私はそっとミユキに言った。
「もう、城壁はいいって、言ってくれませんかね…」
「そうですよね、朝から壁ばっかり見てますものね」
過去より今を楽しみたいんだ。
エミリオは不服そうだったが歴史ツアーを終了させ、エミリオ曰く、"とっておきの場所"へ案内してくれることになった。とっておき、あるんかい!と思いつつも私はまだ不安だった。そこにはまた、"とっておきの城壁"があるんじゃなかろうかと。
だって、イビサといえばビーチなのに、エミリオの原付きバイクは下っていく気配がない。ビーチならば下りだ。ビーチ、ビーチに行きたい!壁ではなくいい加減に海がみたいよ!でも、エミリオについていくしか術がない私たちは上ったり下りたりをいくども繰り返し、小高いカラ・ドルトと呼ばれる高台に到着したのだった。

ごつごつした岩がむき出しの自然が作り出した壮絶なる絶壁。私たちはそれを見上げていた。
「すごいけど、やっぱ壁かぁ……」そう思っていると、
エミリオが壁と反対方向に歩き出した。そっちはきっと崖だ。
取りあえずついていく私たち。サバンナで見るような枝の広い低木群をくぐり抜け、しばらく歩くと見晴らしのいい場所に出た。
ぱっと眼下に広がる海。

「海だ!」

その海は、サファイアを練り込んだように青い。
指で絵の具をのせたような躍動感ある小波をひとつひとつ眺めていると、何か気配のようなものを感じた。心がざわざわ沸き立つような感覚。
なんだろう。何が私の心をこんなにざわつかせているんだろう。

きっとなにか、ある。しかも、それは近い感じがする。見つけたい。
あたりをよく見回してみた。すると、右手の遠くの海に、海面から、にょきっと出た大きな岩。それが気になった。
「あれは、なんですか?」指を差すと、エミリオは少し神妙な顔になって言った。
「ああ、あれはエス・ベドラという島で、メディテーションポイントになってるんだ」
メディテーション?
「あれが見えるここ一帯がパワースポットで、瞑想しに遠くの国から訪れる人もいるよ」
急にそんなことを言われびっくりする。
日本で言うと、ここは、伊勢神宮みたいなもんなんだろうか。

遠くから詣でに来る場所。
しかしここ一帯を神域のようにしている原因。あの鬼ヶ島みたいな岩がスピリチュアルなパワーを放っているというのか。
そう聞いてしまうと嫌がおうでも厳粛な気持ちになってしまう。
心のざわつきが大きくなる。

それにしてもエミリオ、なぜそれを言わなかったんだろうか。私が訊ねてはじめて答えたエミリオ。試していたんだろうか。おまえにそれがわかるのか?感じられるなら教えてやろうと。ふとみんながさっきから何も話さなくなっているのに気づいた。

みんなも私と同様、心がざわざわしていたんだろうか。
エミリオの説明に、へえ、と言ったまま誰も喋らない。みな黙って岩を思い思いに見つめている。
私はそっと目をつむって、願い事をしてみた。
帰国してからの私を、どうか導いてください、と。
その時、ん?ちょっと違う、と何故か思った。
違うよ、と言われたような気がした。
そして気付く。だって、たぶん私は、導かれてここに来たんだ。

”自分のすべきことは見つかっているでしょう? 

現在地を確かめられたでしょう?”

もう一度目を開けてあの不気味な岩を見る。その岩が話している?
岩が湾にこだまするように、ごぉーん、ごぉーん、と語りかけてくるような気がした。

自分のすべきことは見つかっているでしょう?現在地を確かめられたでしょう?
何を迷っているの?何故、心の声に逆らうの?答えはもう出ているのに。
さあ、決断しなさい。ただ、行動するだけ。

私の手には、いつのまにか、次のドアを開く"鍵"が握られていたのだった。イビサがくれた、運命の鍵。
怖いけれどそれを静かに差し込み、新しい扉を開けないといけない。
その時、地中海のカラッとした風が、私の背中をさっと撫でていった。
去り際、記念にみんなで岩をバックに写真を撮ってみた。
昨日会ったばかりの住む国も考え方も違う6人が1枚に映る。

ビーチに降りると、エス・ベドラは岩というより圧倒的な存在感で海に浮かぶ島だった。
そして、ここから見るそれが浮かぶ宝石色の海は、高台から見たサファイア色からエメラルド色に変化している。
ビーチサイドの海の家のようなレストランで、パエリアを食べることにした。笑っちゃうぐらい大きなパエリア鍋が行き来している。
「あれが、うちのテーブルにも来るんですかね?」
「たぶん」と編集者。
待っている間にイビサでよく見かける白いサングリアで乾杯。微炭酸の白ワインにレモンが強めの、爽やかな味。
そしてみんな、なんとなく黙って海を見ていた。

そのあと、どういうきっかけだったか分からないが、誰からともなく、それぞれ自分のプライベートを話しはじめたのだ。
カメラマンは家族の話をした。彼自身の逆境、そしてそこからの新しい決意を。
イニャキとミユキ夫婦は国際結婚の苦労、そしてこれからの夢。
編集者はひとりの女性として恋の話を。
そしてエミリオは先月離婚してまだ立ち直れないことを告白。
「日本に行ったらいい人いるかな?」真顔で言うので
「砦や城壁はないけど耐えられる?」と、からかうと、日本語が勉強したいんだと言う。以前から本気で考えていたようだった。

なんだ、私だけじゃなかった。
ちゃんと運命の鍵は、みんなそれぞれ、もらっていたんだ。
太陽は平等に訪れる者に降り注ぐ。異なる国からここに来た6人だったが、同じように、開けなくてはいけないドアの前に立っていたことを知る、不思議な海辺の遅い昼ご飯。

突然足を踏み入れてしまったパワースポットをあとにし、私たちはイビサ名物の美しい夕日を見るため、絶好のサンセットスポットへ移動。今日一日、私たちにふんだんに降り注いでくれたあの強烈な太陽の終焉を見にいくのだ。
それはもしかしたら、自分の生きている実感をより際立たせることになるような予感がした。
夕日が沈み、そこからきっと、何かがはじまる。

サン・アントニという町はカフェやレストラン、クラブが集まるベイエリア。
そこには世界的に有名なサンセットカフェ、『カフェ・デル・マル』がある。
海沿いに延々と並ぶテラス席は、日が沈む瞬間を待つ人々でいっぱい。座れずにテトラポットまで進出している人もいる。
が、日没時間はなんと21時、まだ3時間もある。
のんびり、また白サングリアで待つとするか、と、あくびをした時、あるものが目についた。
夕焼けを待つまだ白い銀幕スクリーンの大空に、ふわふわと大きなパラシュートが浮かんでいる。よく見るとそれには椅子がついていて、キャーキャー声をあげ、空の上で足をぶらつかせている男女が見える。
パラセイリングだ。
「あれやりたい!」そう私が言うと、一同、ぎょっとする。
「本気ですか?」
「本気です。私、あそこからの夕日を原稿に書きます」
ならばとカメラマン、編集者、私の3人で体験しにいくことに。
イニャキとミユキはテラス席から夕日を見ると言った。
ちなみに、エミリオはいなかった。
「ビーチも、そのあとの『クラブPACHA』も勝手に行ってくださいねぇ」と言い残し、カラ・ドルトから家が近いらしく帰ってしまったのだ。マイペースなところが島人らしくていい。

夕焼けの空、紅色の海。
私たちは今、ピンク色の世界にいた。

空の中にいた。足をぶらんぶらんさせて飛んでいた。
このパラシュートの座席からロープがだらんと下りていて、ぴんと引っ張れれたロープは、遙か海上を走る、ボートとつながれている。私たちの乗るバラシュートボートはそのボートが引っ張っているのだ。小さなボートから白い小波の線がたくさん出ているから、かなりのスピードで走っているんだろう。
けれど、私たちのパラシュートは、ふんわり、くらげのようにピンク色の上空をゆらりゆらりと、たゆたっていた。

時が、とまったような。時と時の間に浮かんでいるようなふしぎな。
右に座るカメラマンの顔も、左に座る編集者の顔も、ピンク色に染まっている。
とても静かだった。誰もいない教会に、ひとりひざまずいて懺悔するように、とても厳粛なピンク色の静けさを3人は味わっていた。
「ここから、はじまりそうですね」誰からともなく言った。
みんな、それぞれのドアの取っ手に手をかけていた。
「夕日というより、日の出を見ているような気分ですね」
私は言った。心地よいピンク色の風をうけながら。
ふたりとも、頷いて、赤の強いルージュピンクの大海原と淡いコーラルピンクの大空を区切る、吸い込まれそうな紅の水平線を見つめている。
それは、はじまりの景色。

帰国し、それぞれの日々に戻って、それから何が起こるのだろう。どんな変化が待ち受けているのだろう。
カメラマンの高木さんにも編集者にも、テラス席できっといまこの夕日を見ているイニャキ・ミユキ夫婦にも、自宅で仕事終わりのビールとともに空を見ているであろうエミリオにも、胸いっぱいの幸あれ。

きっと、大丈夫。イビサの夕日は人を穏やかな気持ちにさせる。
ありがとう。いいスタートが切れそうです。
そして夕日は、まばゆい閃光を放ち、ゆっくり、ゆっくり、海の中にもぐっていった。
大丈夫、大丈夫、みんなに言い残しながら。遠くの沿岸から、同じくそれを見届けた人々の拍手、歓声が聞こえる。きっとみんな、鍵を手にした人。

イビサという島には、あなたに必要な運命の鍵が、眠っている。

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